『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第64話『未登録同期』
ーあらすじー
未登録ゲゼール反応。
それは存在しないはずの“同期波形”として、
一瞬だけ世界に現れた。
誰とも結び付かない共鳴。
誰の記録にも残らない接続。
だが確かにそれは、
「誰かと誰かが繋がった痕跡」だった。
その余波は教導院全体へ静かに広がり、
各班の同期訓練にも
微細な歪みを生み始める。
そしてアルト達はまだ知らない。
その“繋がり”は、
既に何度も起きていた
可能性があることを――。
未登録同期は、
始まっていた。

第64話『未登録同期』
朝の教導院は、
いつもと同じ速度で動いていた。
講義棟へ向かう足音。
整備区画から漂う金属の匂い。
食堂で交わされる何気ない会話。
しかしその中に、
微細なノイズのようなものが混じり始めている。
「さっき、誰と同期してたっけ」
「いや、
確かに共鳴してたはずなんだけど……
思い出せない」
言葉にした瞬間、
会話はそこで途切れる。
誰も深刻には受け取らない。
ただ、
舌の奥に残る違和感だけが、
ゆっくりと沈殿していく。
◇
戦術理論講義。
共鳴理論講義。
施設管理講義。
教導院は今日も通常通りの授業を進めていた。
ホロ投影された同期波形。
ゲゼール連携時の基本理論。
演算干渉と感覚共有の安全域。
「同期とは、
二つの存在が
互いの認識を一致させる現象である」
その説明は正しいはずだった。
だが今日の講義では、
その定義の“輪郭”が妙に薄い。
ノア。
その単語を脳裏に浮かべた瞬間、
アルトの思考は一瞬だけ途切れた。
続けようとしても、
そこには何も残っていない。
◇
合同同期訓練は、
予定通り開始された。
アルト班。
カイン班。
ダグ班。
フィオナ班。
シエラ班。
各班のゲゼールがリンクフィールドへ入る。
リオはフェルと安定した同期を成立させ、
滑らかな機動制御を見せていた。
ミレイもルナと共鳴し、
演算補助を重ねながら
訓練全体の精度を引き上げていく。
カインはヴォルグと、
エルクはシュバルツと、
セシルはエイルとそれぞれ連携し、
戦術同期を刻むように動いていた。
ダグ班は前衛共鳴訓練。
フィオナ班は指揮同期制御。
シエラ班は情報同期と電子干渉解析。
そしてアルトだけが、
そこにいない。
観測席。
シミュレーター接続端末。
そこに流れるのは、
自分の同期ではない戦場の模擬映像だけだった。
ノアとのリンクは、
最初から成立しない空白として表示されている。
それでもアルトは、
その“空白”を見続けていた。
◇
訓練中、
異常は突然発生した。
全班の同期ログが、
一瞬だけ同じ波形を示す。
未登録同期波形。
記録系統には名称も識別も存在しない。
どのゲゼールとも一致しない。
どの班にも紐付かない。
だがその瞬間だけ、
確かに“全員が同じものに触れた”
という感覚が走った。
誰かと繋がった。
誰かと重なった。
誰かと一緒に動いた。
しかし、
その「誰か」が思い出せない。
◇
リオはフェルとの同期中、
その異常に一瞬だけ視線を揺らした。
今の動きの中に、
別の気配が混ざった気がした。
アルト。
その名を思い出しかけて、
すぐに途切れる。
「……気のせい、か」
そう呟く声は、
自分でも曖昧だった。
フェルは何も言わない。
ただ一瞬だけ、
同期波形の揺らぎを記録していた。
◇
ミレイはルナとの演算同期の中で、
異常ログを解析していた。
未登録同期波形。
そこに記録されているのは
“成立した同期の痕跡”だった。
だがペア情報が欠落している。
片方だけが存在し、
もう片方が消えている。
「……同期が成立しているのに、
相手がいない?」
ルナの演算補助が一瞬遅れる。
まるでその問い自体を処理できないように。
ミレイは確信に近い違和感を抱く。
これは欠落ではない。
遮断でもない。
“認識の選別”だ。
◇
カイン班の訓練でも、
同じ現象が起きていた。
ヴォルグとシュバルツとエイルの連携は
一瞬だけ乱れる。
戦術同期が滑らかに繋がるはずの一拍が、
消える。
そこに“誰かがいた間”
だけが抜け落ちている。
「今の……誰と合わせた?」
エルクの声に、
誰も答えられない。
合わせたはずなのに、
誰とも言えない。
カインは短く息を吐いた。
「記録が追いついてないな」
だがその言葉すら、
どこか曖昧だった。
◇
フィオナ班の指揮系統にも異常が出ていた。
全体同期の中で、
全員が同じタイミングで同じ動作をしていた。
にもかかわらず、
その区間のログだけが欠落している。
「……今の、
全員同じ動きだったはずよね?」
誰も確証を持てない。
フィオナは通信ログを見つめる。
“存在しない一致”。
それは戦術エラーよりも遥かに不気味だった。
◇
シエラ班はエドガーと共に
ログ解析を進めていた。
未登録同期波形は外部干渉ではない。
内部生成。
それも、
教導院全体の同期構造から
自然発生したように見える。
「つまり……誰かが
“ここにいないのに同期している”?」
エドガーの言葉に、
シエラは即答できなかった。
否定できる材料がない。
肯定するには、
あまりにも歪んでいる。
◇
ダグ班の訓練後。
汗を拭いながら、
誰かがぽつりと呟く。
「今の動き……誰と合わせてた?」
沈黙。
誰も答えられない。
ただ一人が小さく首を振る。
「でも……確かに、
誰かと合わせてた気がする」
その“誰か”の名前だけが、
最初から存在しないように消えていた。
◇
資料室。
アルトはシミュレーター記録とは別に、
同期補助ログを確認していた。
未登録同期波形。
それは確かに
“そこにある”はずだった。
画面には表示されている。
波形も読める。
だが意味が結び付かない。
視線を外した瞬間、
その形状を思い出せなくなる。
もう一度見直すと、
またそこにある。
しかし理解だけができない。
ノアとの同期空白が、
逆にその波形を際立たせているようだった。
“繋がっているはずの場所が空いている”
その事実が、
別の何かを呼び込んでいる。
◇
リオが訓練後に近づいてくる。
「アルト、
さっきの見てた?」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
だがその目の奥に、
微かな違和感が残っている。
「……何か、
あった?」
アルトは答えられない。
未登録同期波形のことを説明しようとして、
言葉が途中で消える。
リオはそれ以上追及しない。
ただ一瞬だけ、
フェルとのリンク方向を
意識しているような視線を流した。
◇
ミレイは解析結果をまとめていた。
全ての未登録同期波形は
同一点へ収束しつつある。
第七封鎖区画推定領域。
そしてその中心にあるのは、
座標でも施設でもない。
“同期の空白”そのもの。
「……これ、
場所じゃない」
ミレイは小さく呟く。
ルナは反応しない。
だがその沈黙は、
同意にも近かった。
◇
ガルドは修復区画で
ドライグと向き合っていた。
再構築された
内部同期回路が微かに震えている。
その揺らぎに触れた瞬間、
断片が流れ込む。
戦場。
崩壊。
共鳴。
そして——
誰かがいたはずの場所だけが、
思い出せない。
「……お前、
誰と繋がってた?」
問いかけても、
答えは返らない。
ドライグの内部は静かに修復を続けている。
だがそこには確かに、“
抜け落ちている誰か”の痕跡があった。
◇
ノアの監視データは静かだった。
隔離格納庫。
固定された同期ログ。
だが一瞬だけ、
波形が揺れる。
アルトの空白と一致するような形で。
誰にも認識されないまま、
すぐに元へ戻る。
それはエラーではない。
ただ、
そこに“何かが触れた”
痕跡だった。
◇
夜。
教導院地下の共鳴制御室。
誰もいないはずの空間で、
装置が一瞬だけ起動する。
電源でも操作でもない。
まるで“同期された何か”が
内部から目を開けたように。
表示が浮かぶ。
『UNKNOWN SYNCHRONIZATION』
次の瞬間には消失。
音も、記録も、残らない。
ただ一つだけ残る。
「確かに誰かと繋がっていた」という、
説明不能な感覚だけが。
