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『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第79話『接触の予兆(前編)』

―あらすじ―

旧施設図面によって教導院の二重構造が
現実のものとして浮かび上がった一方、
その裏側では誰にも知られない変化が
静かに始まっていた。

アルトは隔離格納庫で
黒殻型ノアの同期観測に立ち会い、
説明できない「向こう側」の気配を感じ取る。

ミレイは教導院全域の同期波形が
一点へ収束する現象を解析し、
その中心が単一の区画では
説明できないことに気付く。

カイン班は旧管理権限の痕跡から、
今なお施設を管理し続ける何者かの存在を
疑い始める。

ガルドの記憶は創設当初の巨大な扉で途切れ、
エルヴィンは地下の封鎖扉の前で
「まだ早い」と呟く。

誰も答えへ辿り着いてはいない。
しかし教導院全体が、
同じ方向を見始めていた。

第79話『接触の予兆(前編)』

朝の空気は穏やかだった。

講義開始を告げる鐘は正確に鳴り、
生徒たちはいつもと変わらぬ表情で
校舎へ吸い込まれていく。

その景色に異常はない。

それでもアルトは、
校舎を見上げた瞬間だけ胸の奥が静かに疼いた。

昨日訪れた資材倉庫の壁。

あの向こうには、
確かに何かがあった。

証明はできない。

だが、
忘れることもできなかった。



隔離格納庫は静寂に満ちていた。

透明な隔壁の向こうで、
ノアは静かに立っている。

黒殻は光を吸い込み、
まるで時間そのものを止めているようだった。

観測員が同期を開始する。

数値は安定している。

同期率九八・七%。

変動なし。

「異常なし。」

その報告と同時に、
アルトだけが息を止めた。

空気が変わる。

いや、
空気ではない。

意識の奥に、
何かがある。

目には見えない。

音もない。

それでも確かに、
隔壁のさらに向こうから
視線のようなものが返ってくる。

誰かが見ている。

そんな感覚だけが、
一瞬だけ胸を貫いた。

次の瞬間には消えていた。



ノアは微動だにしない。

しかし黒殻の表面だけが、
ごく淡く白く変化した。

雪が一枚だけ舞い降りたような、
儚い白。

誰も気付かないほど短い。

監視装置も異常を示さない。

ただ、
アルトの胸元にあるアイゼン・ガルテンだけが
微かな振動を返した。

一度。

それだけだった。

記録装置には、
小さな波形が残る。

誰もその意味を知らない。



解析室。

ミレイはルナが収集した同期データを
静かに並べていた。

校舎。

訓練棟。

整備区画。

医療区画。

本来なら独立しているはずの波形が、
ゆっくりと一つの方向へ傾いている。

「……収束してる。」

第七封鎖区画。

最初はそう考えた。

だが違う。

収束点は、
一つの部屋ではない。

施設全体を支える何か。

教導院という構造そのものの深部。

ミレイは結論を書かなかった。

まだ仮説にしかならない。

それでも画面の中央には、
一つの円だけが静かに描かれていた。



カイン班は旧管理サーバーの深層へ潜っていた。

削除済み権限。

復元不能。

そう記録されている領域で、
一瞬だけ画面が揺れる。

管理者権限──認証。

文字列が浮かぶ。

名前は読めない。

読もうとするたび、
文字が別の形へ崩れていく。

「見えたか。」

エルクが小さく尋ねる。

カインは頷いた。

「読めなかった。」

セシルが端末を閉じる。

「でも……。」

三人とも同じことを感じていた。

権限は消えていない。

今も誰かが使っている。

その事実だけが、
静かに残った。



整備区画。

修復中のドライグを見上げながら、
ガルドは目を閉じる。

遠い記憶。

白い廊下。

施設中央。

巨大な扉。

その前に立つ誰か。

背中しか見えない。

手を伸ばしかけた瞬間、
映像は霧のように崩れた。

「……また、
思い出せない。」

静かな独り言だけが、
工具の音へ溶けていく。



地下管理通路。

人影は一つ。

エルヴィン・クラウゼンは、
封鎖扉の前で立ち止まった。

古い鋼鉄。

幾重にも刻まれた封印線。

長い年月を経ても、
そこだけは何一つ変わっていない。

彼は扉へ触れない。

ただ静かに見つめる。

「まだ早い。」

その一言だけを残し、
踵を返す。

扉は何も応えない。

それでも、
その沈黙はどこか待ち続けているようだった。



再び隔離格納庫。

同期は終了するはずだった。

ノアは動かない。

数値も変わらない。

アルトだけが、
もう一度だけ胸の奥で小さな震えを感じた。

アイゼン・ガルテンが、ごく微かに脈打つ。

鼓動とは違う。

同期とも違う。

何かが境界の向こうから触れ返したような、
儚い反応。

アルトは思わず隔壁へ目を向ける。

何もいない。

何も見えない。

それでも確かに。

ほんの一瞬だけ。

向こう側が、
こちらを認識しかけた。

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