『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第60話『収束点』
―あらすじ―
『第七封鎖区画』
その存在は、
少しずつ複数の人間の前へ姿を現し始めていた。
ガルドは過去の整備記録の中で。
カイン達は欠落した資料の中で。
ミレイは異常発生地点の解析結果の中で。
そしてアルトは、
自分自身の違和感の中で。
誰も真実を知らない。
誰も全体像を見ていない。
それでも、
それぞれが同じ場所へ近付き始めていた。
一方で教導院の日常は続いている。
教練。
講義。
整備実習。
仲間達の何気ない会話。
だが、
その平穏の中にも小さな認識のズレは広がり続けていた。
そしてアルトは初めて、
自ら第七封鎖区画について調べようと決意する――。

第60話『収束点』
晩秋の冷たい風が教導院の中庭を吹き抜けていた。
落葉が石畳を転がり、
生徒達は肩をすくめながら校舎へ向かう。
「最近さ、
昨日のこと思い出すのに時間かからないか?」
「分かる。
誰かと約束した気がするんだけど思い出せなくてさ」
そんな会話が自然に交わされる。
笑い話として流される程度の違和感。
だが確実に増えていた。
誰も異常とは言わない。
しかし誰もが少しだけ引っ掛かりを抱えていた。
◇
午前中は合同教練だった。
訓練場では複数班の生徒達が集まり、
ガルドの指示のもとで連携訓練が進められている。
フェル。
ルナ。
ヴォルグ。
シュバルツ。
エイル。
各ゲゼールが演習用フィールドを駆け抜ける。
連携確認。
索敵訓練。
模擬戦術行動。
久しぶりに教導院らしい活気が戻っていた。
「右から来るぞ!」
「了解!」
カインの指示にエルクとセシルが即座に反応する。
三人の連携は以前より洗練されていた。
一方でリオのフェルも軽快な機動を見せる。
訓練場を見下ろす観測席。
そこにアルトはいた。
実機訓練には参加できない。
ノアが隔離管理中だからだ。
代わりにシミュレーター訓練と戦術分析。
今の彼に許されているのはそれだけだった。
仲間達が前へ進んでいる。
その姿を見ながら、
自分だけが取り残されているような感覚が胸に残る。
無意識に視線が遠くへ向いた。
教導院のさらに奥。
隔離格納庫が存在する方向。
当然見えるはずはない。
それでも気になった。
ノアは今もそこにいる。
静かに監視されながら。
◇
教練終了後。
リオが汗を拭きながら観測席へやって来た。
「お疲れ」
「見てただけだけどな」
「見てる方も疲れるだろ」
リオは笑う。
アルトも少しだけ笑った。
しばらく沈黙が続く。
やがてリオが空を見上げた。
「最近さ」
「ん?」
「やっぱ変だよな」
工具の件。
記憶の曖昧さ。
リオはまだ完全には割り切れていなかった。
アルトは返事をしなかった。
だが否定もしない。
その沈黙だけで十分だった。
◇
ミレイは教室棟の端にある端末室で解析を続けていた。
欠番記録。
異常発生地点。
認識異常報告。
それらを重ね合わせる。
画面上に浮かぶ複数のマーカー。
線で結ぶ。
重なる。
集中する。
その先にあるのは一つの区域だった。
第七封鎖区画周辺。
偶然にしては一致率が高すぎる。
ミレイは静かに目を細めた。
机の横に置かれたルナの同期端末が微かに明滅する。
だがそれ以上の変化はなかった。
◇
午後。
資料室の一角。
カイン、
エルク、
セシルの三人は収集した資料を並べていた。
「地図から完全に消えてるな」
エルクが眉をひそめる。
「削除じゃない」
カインが静かに言った。
「最初から存在しなかったように処理されている」
セシルが資料をめくる。
「でも記録の断片には残ってる」
「だから不自然なんだ」
断片。
削除番号。
存在しない参照先。
全てが同じ方向を指している。
第七封鎖区画。
カインは机の上の資料を見つめた。
点だった情報が少しずつ線になり始めている。
◇
ガルドは教練終了後、
特別修復区画を訪れていた。
巨大な修復フレーム。
作業足場。
吊り下げられた交換装甲。
大型修復設備の駆動音。
その中央にドライグが固定されている。
大破の痕跡はまだ色濃く残っていた。
修復は順調。
整備主任もそう報告している。
問題はない。
それでもガルドは黙って機体を見上げた。
そしてまた思い出す。
第七封鎖区画。
どこで聞いたのか。
なぜ気になるのか。
思い出せない。
だが忘れてはいけない気がしていた。
◇
格納庫では整備員達が通常業務を続けていた。
フェル。
ルナ。
ヴォルグ。
シュバルツ。
エイル。
多数のゲゼールが整然と並ぶ。
「昨日この工具使ったっけ?」
「いや、それ一昨日じゃないか?」
「そうだったか?」
そんな些細な会話が聞こえる。
誰も深刻には考えない。
だが同じようなやり取りは以前より増えていた。
◇
フィオナは違和感報告を整理していた。
件数は確実に増加している。
一件一件は小さい。
しかし全体で見れば無視できない。
「多すぎる……」
思わず呟く。
数字は嘘をつかない。
◇
ダグは教練後の人数確認で再び引っ掛かりを覚えた。
人数は合っている。
名簿も正しい。
全員いる。
それなのに何かが足りない気がする。
理由は分からない。
違和感だけが残った。
◇
シエラとエドガーも解析結果を確認していた。
異常報告件数。
欠番発生率。
認識異常の推移。
全てが微増している。
急激ではない。
だが確実に進行している。
「止まってない」
シエラの声は重かった。
エドガーも無言で頷く。
◇
放課後。
アルトは資料室へ向かった。
目的は一つ。
第七封鎖区画。
端末を操作する。
検索。
結果――〇件。
関連資料なし。
区画情報なし。
過去記録なし。
何も出てこない。
あまりにも綺麗だった。
まるで誰かが最初から存在しなかったことにしたように。
アルトは画面を見つめ続けた。
胸の奥がざわつく。
証拠はない。
根拠もない。
それでも確信だけは強くなっていく。
誰かが隠している。
何かを。
◇
資料室を出る頃には外は薄暗くなっていた。
晩秋の夕暮れは短い。
冷たい風が吹く。
アルトは立ち止まり、
遠くの校舎を見た。
第七封鎖区画。
何があるのかは分からない。
だが今まで別々だった違和感が、
そこへ集まっている気がした。
知らなければならない。
そんな感覚だけが残る。
◇
夜。
隔離格納庫。
閉ざされた隔壁。
無機質な監視灯。
静寂。
モニターにはノアの監視データが流れている。
異常なし。
変化なし。
全て正常。
数字も記録も問題はない。
その時だった。
画面の片隅に一瞬だけ文字列が表示される。
『第七封鎖区画』
次の瞬間には消える。
ログにも残らない。
誰も見ていない。
誰も気付かない。
静寂だけが残る。
そして教導院の夜は、
何事もなかったかのように更けていった。
