見出し画像

『ドールズ・ハイ』          第1章『黒の残響』第18話『混線』

―あらすじ―

カルナ廃路地帯演習以降、教導院の空気は変わり始めていた。
実戦を経験した生徒達は以前より鋭くなり、その熱は訓練や会話の端々にも表れている。

そんな中、アルトの変化はさらに進行していた。
見知らぬはずの場所を“知っている”感覚。無意識に先読みしてしまう反応。ノアと繋がることで得られる静けさと高揚感。

座学では「侵食」「人格境界」「ゲシュタルト・リミッター」の存在が正式に説明される。しかしアルトは危険性を理解しながらも、恐怖より“もっと知りたい”という感情を抑えられなくなっていく。

教師陣やカイン、そしてミレイもまた、アルトへ違和感を抱き始めていた。
そして夜。深層同期の中でアルトは再び、“他者の記憶のような光景”へ触れてしまう――。



第18話 『混線』

 朝の教導院は、いつもより少しだけ騒がしかった。

 カルナ廃路地帯演習以降。
 生徒達の空気が変わっている。

 実戦を越えた者だけが持つ、妙な自信。
 死地を知った者だけが共有する、奇妙な高揚。

 廊下を歩く足音すら、以前より硬質に聞こえた。

 アルトは眠気の残る目を擦りながら、第二棟通路を歩いていた。

 寝不足だった。

 だが不快ではない。

 むしろ身体は軽い。

 頭の奥だけが、
 微妙に熱を持っている。

「……昨日の、なんだったんだ」

 小さく呟く。

 後方には、
 ノアが静かに立っていた。

 白い亀裂を刻んだ黒殻型ゲゼール。

 無機質。
 無反応。
 ただ存在しているだけ。

 なのに。

 アルトは何度も視線を向けてしまう。

 落ち着く。

 近くにいるだけで、
 妙に思考が澄む。

「……変だろ、それ」

 自嘲気味に笑った時だった。

 ふと。

 曲がり角の先を見た瞬間。

 アルトの足が止まる。

「……あ」

 知らない通路だった。

 旧校舎側。

 普段は使われない封鎖区画。

 なのに。

 ――次を右。

 そんな感覚が、
 自然に浮かんだ。

「なんで……」

 行ったことがない。

 見たこともない。

 だが、
 知っている気がした。

 胸元のペンダント。

 アイゼン・ガルテンが、
 微かに熱を帯びる。

 アルトは思わず胸元を押さえた。

「……気持ち悪いな」

 だが同時に。

 懐かしいような感覚もある。

 矛盾した既視感。

 ノアは静かに後方待機している。

 何も変わらない。

 変わっているのは、
 自分の方だった。

   ◆

「同期とは、
 感覚情報共有だ」

 技術主任バルクの低い声が、
 講義室へ響く。

 座学教室。

 半円状の講義席には、
 各班の生徒達が並んでいた。

 ダグ班は相変わらず騒がしい。

「おいおい、
 感覚共有ってことは、
 痛みとかも来んのか?」

「条件次第ではな」

「うげぇ……」

 レオン班は静かに資料端末を操作している。

 シエラ班は既に講義内容を予測していたのか、
 全員メモ速度が異様に速い。

 アルトは前方スクリーンを見つめていた。

 そこに映るのは、
 ゲゼール同期深度グラフ。

 そして。

 “侵食進行モデル”。

「高同期状態では、
 思考補助や反応予測も起こる」

「戦闘における未来予測に近い現象だ」

 教室がざわつく。

 リオがおずおずと手を挙げた。

「そ、それって……
 危ないんじゃ……」

 バルクは淡々と頷く。

「危険だ」

 一瞬、
 空気が静まる。

「だから制御を学ぶ」

 そう言って、
 バルクは自らの胸元を示した。

 銀色のペンダント型装置。

 全生徒が装着しているもの。

「ゲシュタルト・リミッターは、
 人格境界維持装置だ」

「同期深度を制御し、
 侵食進行を抑制する」

 再びざわめき。

「侵食って、
 そんな普通に起こるもんなのか?」

 誰かが呟く。

 バルクは即答した。

「起こる」

「だから管理する」

 禁忌ではない。

 だが安全でもない。

 その説明が逆に、
 現実味を持っていた。

「境界が曖昧になれば、
 自己認識へ影響する」

「最悪の場合、
 自我混線が起きる」

 アルトの表情が、
 少しだけ硬くなる。

 昨日見た景色。

 知らない声。

 知らない感覚。

 あれは。

 ただの幻覚なのか。

「……」

    ◆

 午後。

 実技訓練場。

 複数班混成訓練。

 人工魔獣型ドローンが、
 高速機動を繰り返していた。

「左から来るぞ!」

 ダグの声。

 同時。

 アルトの身体が先に動いた。

 ノアとの接続。

 反応速度。

 視界情報処理。

 全部が以前より速い。

 自然だった。

 考える前に身体が動く。

 敵役機の斬撃。

 回避。

 反転。

 カウンター。

 黒い残光が走る。

「……速いな」

 遠巻きに見ていたガルドが呟く。

 アルト自身は首を傾げた。

「自然に動けるんです」

 本当にそう感じていた。

 無理をしている感覚がない。

 むしろ。

 心地良い。

 その時だった。

 敵役機が死角側から突進する。

 本来なら見えない角度。

 だが。

 ――来る。

 そう思った瞬間には、
 アルトは動いていた。

 最小動作で回避。

 周囲が少しざわつく。

「今の見えてたのか?」

「いや、
 あの角度は……」

 アルト自身も驚いていた。

 同時。

 胸元のアイゼン・ガルテンが、
 一瞬だけ微光を放つ。

 だが誰も気付かない。

 一人だけ。

 カインを除いて。

「……」

 訓練場端。

 カインは腕を組んだまま、
 無言でアルトを見ていた。

 ヴォルグが背後待機している。

 圧倒的完成度。

 現時点の教導院トップ。

 そのカインですら、
 小さな違和感を覚えていた。

 速くなっている。

 だが。

 単純な成長とも少し違う。

「……何か違うな」

 小さく呟く。

 だが脅威ではない。

 まだ格下。

 ただ、
 説明できない違和感だけが残った。

   ◆

「最近、
 寝れてる?」

 休憩スペース。

 ミレイが静かに尋ねる。

 アルトは少し視線を逸らした。

「……まあ」

 嘘だった。

 眠っても、
 意識が浅い。

 いや。

 本当は。

 眠るより同期したい。

 そんな感覚すらある。

 ミレイは少しだけ眉を下げた。

「無理しないでね」

「……してないよ」

「うん」

 優しい返事。

 否定はしない。

 でも。

 その瞳には、
 明らかな不安があった。

 アルトは少しだけ胸が痛む。

 隠している。

 その自覚だけはあった。

   ◆

「同期深度上昇が早い」

 教導院管理区画。

 監察室。

 副監察官レイスが、
 同期記録を表示する。

 隣では、
 技術主任バルクが端末を操作していた。

「黒殻型側の反応も出ている」

 ガルドは黙って記録を見る。

 アルト・アイゼン。

 同期推移。

 通常曲線を僅かに外れ始めている。

「本人に異常行動はない」

 ガルドが言う。

 レイスは静かに返した。

「……まだ、ですね」

 断定はできない。

 危険認定もできない。

 だが。

 前例がない。

 さらに。

 リミッター反応ログ。

 微細な脈動記録。

「同型装置で、
 ここまで反応差が出るのか……」

 バルクが低く呟く。

 ガルドは腕を組んだ。

「観察継続だ」

 即介入はしない。

 まだ境界は越えていない。

 だが。

 近づいている。

   ◆

 夜。

 静まり返った個人訓練区画。

 アルトは一人立っていた。

 ノアが正面にいる。

 白い亀裂。

 黒い装甲。

 静止した無機質。

 なのに。

 近くにいると、
 妙に安心する。

「……少しだけ」

 アルトは自分から同期を開始した。

 接続。

 感覚共有。

 深度上昇。

 静かだった。

 暗い水へ沈むような感覚。

 怖くない。

 むしろ落ち着く。

「……」

 もっと深く。

 そう思った瞬間。

 視界が切り替わる。

 知らない場所。

 無機質な空間。

 幾重にも走る白い光。

 足音。

 誰かの視界。

 自分じゃない。

 なのに。

 妙に馴染む。

 胸元のアイゼン・ガルテンが、
 脈動する。

 深度制御。

 境界維持。

 それでも。

 アルトは恐怖より先に、
 別の感情を抱いていた。

 知りたい。

 もっと。

 ノイズが走る。

『……――』

 聞き取れない。

 だが。

 耳を澄ませたくなる。

 次の瞬間、
 同期が切れた。

 アルトが息を吐く。

 汗。

 鼓動。

 震える指。

 怖い。

 なのに。

 口元が少し笑っていた。

「……なんだよ、
 今の」

 高揚している。

 自分でもわかる。

 ノアは暗闇の中で、
 静かに立っていた。

 白い亀裂だけが。

 微かに、
 脈動していた。

いいなと思ったら応援しよう!