キャベツを落としただけなのに
駅前のスーパーで、300ml紙パックのオレンジジュースを買った。特に頑張った一日の終わりに帰りの電車を待つホームでコレを一気飲みするのが私の密かな楽しみである。
地下のホームへ向かうエスカレーターに乗り、ひひひとパックの背中に指をやる。と、あれ?あらら?うわぁマジかぁ。そこには、ストローが袋ごともぎ取られ、丸い接着剤の塊とビニールの破片だけが残されていた。右手が硬直し、「ストローがリュックに入っていないか」即座に思考を巡らすも、そんな備蓄があるはずもない。ジュースを買う時に「ストローがついているかどうか」を確認するほど私は用心深くなかった。
家まで飲むのを我慢して、フォークの先っちょか何かでアルミ箔の穴を突き破ってちびちび飲むのが賢明なのはわかっている。しかし、私の身体が今の今、オレンジジュースを渇望して鳴り止まない。それは単なる喉の渇きではない。このパックをナミナミと満たす、このオレンジジュースを私の体に注ぎ込むことへの欲望である。
「思いもよらない発想は、極限状態でのみ生まれる」と誰かが言っていた気がする。今、絶対に、この、オレンジジュースを飲むと決めたからには、どんな手段を使ってでも飲むしかない。
🧃
紙パックの両角をぺこっと平らにし、ぺたんこになった左の角を上にして持つ。こうと決めたからには実行するしかない。慎重に、紙パックの角を指でちぎろう、としてもなかなか最初の一手が入らない。紙パックなんてものは、キッチンの巨大バサミで牛乳パックを解剖する時にしか切り開かないから、彼らがいかに強靭な素材でできているのかを、私はここで初めて知ることになる。
なかなかなかなか破れない。ムキになってムキムキになる。そして、容易に想像がつく様に、ブシャーっとオレンジ汁が私に向かって噴射された。よりによって、白のTシャツ。準備万端のやらせ芸人か、と心の中で突っ込む。とは言っても、オレンジジュースが今、ここで、自分の裁量で飲めるようになったことに変わりはない。あぁ、パック開けれたぁ。喜びがじわじわと込み上げてくる。
開封できた感動に浸っている私を現実に引き戻すように、電車がじりじりとホームに近づいてきた。キィィイイイ。停車するのが早いか同時か、破った角からオレンジジュースを一気に飲み干した。
あまりの美味さに1人でに「うんーまっ」と呟きながら乗車すると、今まで一度たりとも街で遭遇したことのない微妙な距離感の寮の住民(new)が同じ車両に乗っていた。朝よく見かけはするが、「ハロー」の一言が我々の最大公約数である。
🚇
何事もなかったかのように、すまして「ハロー」と言う。
そこで、彼の目線の先に、つい数十秒前ぶちまけたオレンジジュースのシミがあることに気がつく。
なんてまぬけな姿だ。
そして、そんなまぬけな姿でありながら目の前のオレンジジュースの味に感動していた数秒前の自分の滑稽さに我ながら笑いが込み上げる。その姿はむしろ誇りにさえ思えてくる。
「あはは」と爆発したオレンジシミを隠すように、トートバッグをさりげなく体の正面に持ち直す。
と同時に、卵のパックの上にぽんと載せていただけのキャベツがころんと転げ落ちた。
ころころころころすっころりん。キャベツがころころころんころん。
🥬
横に立っていたいい感じの雰囲気でありながらどこかぎこちなく見つめ合う男女の脚と脚の間に、キャベツに気を取られた私が上体を勢いよく突っ込む。
「ソーリー」と顔を上げると、『trains and lovers』という小説が目に入った。なんてタイトルだ。なんて男だ。よくも、気になる女の前でこのようなタイトルの小説を保持できるもんだ。そもそも、この女はこの男が敢えてこの小説を電車の中で今手にしていることに気がついているのだろうか。解釈に困る。いや、そもそも意図的なのだろうか。だとすれば、どのような意図があるのかサラサラ検討もつかない。
すべて、私の勝手な想像である。
土下座の様な体勢のままキャベツを拾うこともなく「いい感じ」の男女の脚間で硬直している私を、同じ寮の住民は奇怪な目で見つめ、ほいっとキャベツを拾い上げた。
あ、私のキャベツ。
最寄駅に着くまでが、永遠に感じられた。さっき一気飲みしたオレンジジュースが込み上げてきそうなくらいの気まずい沈黙だった。そういえば、私は彼の名前すら知らない。名前を聞くよりも先に、私のキャベツが彼の手に渡ってしまったのだ。「順番なんて、長い目で見たらどうでもいい」と言うおおらかな人間もいるが、自己紹介さえすっ飛ばしてキャベツは果たして長い目で見た時に無視できるほどに薄まってくれるのだろうか。私は、一生取り返しのつかない間違いを犯してしまったような自責の念に苛まれながら、ただひたすらに車内アナウンスに集中した。
それなのに。
電車を降りてもなお、彼はキャベツを両手に抱えて離さなかった。あまりに大切そうに持つものだから、「返して」のタイミングを逃してしまった。
なあに、キャベツ一玉くらいあげてやってもいいさ、と心の中で強がるも、帰って作る予定だったお好み焼きのことを思うと、またしても何がなんでも取り返さねばと奮起する。いや待てよ、この国では一度両手から離れてしまうと所有権がリセットされるのか?それならまるでドッヂボールじゃないか、と呆れる。もう子どもじゃあないんだから。声も、手振りも、顔の一つ一つのパーツの動きも、私の3倍くらい大きいスペイン人のあの子なら、「一緒にお好み焼きどう?」と2秒で誘うのだろう。彼女は脊髄反射でコミュニケーションを取っている。
ここから始まる恋物語があったっていいのかもしれない。いや、ないない。
そうこうしているうちに、寮に着いた。
あ、着いてもうた。
「キャベツを持っていてくれてありがとう、おやすみ」
と、いう世にも奇妙な挨拶で結局キャベツを奪還し、自分の部屋に駆け込んだ。ほー、なんとか取り返せたわ。ま、さすがにこの状況で堂々とキャベツパチれるやつおらんか〜。
思い出したようにどっと空腹が襲ってくる。
キャベツの千切りをしているところに彼と遭遇なんてしたら、あまりの恥ずかしさに発狂してしまうだろう。そしてふと、オレンジジュースが噴射された芸術的白ティーに目をやる。そうか私はずっとこの間抜けな姿で沈黙を貫いていたのか。よくも彼は笑いもせずに突っ立っていたものだ。
この間抜けな姿のままキッチンへ行きそうだったことに「あっぶなー」と呟くと、半開きのドアの隙間から両手にズッキー二とトマトを抱えてキッチンへ向かう彼と目があった。ニコッと部屋の中の私に微笑みかけた彼がもはや恨めしく感じられた。彼は何も悪くないことなど百も承知で、私はこの「恨めしい」という普段あまり湧き起こらない感情を抑えることができなかった。
はい。これで、私の今晩キッチン出禁が確定した。向こうは何も思っていないことなんてわかっている。わかっていても尚、彼と今晩同じ空間にはもういられない。自分の羞恥心がどんちゃん騒ぎをするせいで「お好み焼きを心からは楽しめない自分」になることは容易に想像がつく。せっかくの貴重なお好み焼きをそんな小さな気掛かりのせいで台無しにしたくはない。渋々、お好み焼きは明日の夜に延期することに決定した。
🍽️
もしも、某タクシーが存在すれば、自分の部屋に入るやいなや、ダンディーな運転手さんに電話し、オレンジジュースを買ったあの陳列棚の前にまで戻ってストローのついたパックを選んでいただろう。
あそこから、全ての歯車が狂い始めたのだ。
ストローがない、紙パックをちぎる、オレンジジュースをぶちまける、彼と同じ車両になる、キャベツを落とす、変なタイトルの小説を持った男を見る、彼がキャベツを拾う、etc etc
しかし、ツイテない時というのは何をしたってツイテイナイ。
今のところ、やり直しが効かない人生だからこそ、ツイテイナイことも割り切って前に進めるのではないだろうか。
もしも、時を巻き戻すことができたら。一つでも思い通りにいかないことがある度、何度も何度も時をかけて完璧になるまで繰り返し繰り返し身体も心もボロボロになっていくのではないか。
嫌なこと、恥ずかしいこと、恨めしいこと。どんなことがあっても、なんやかんや時間をかけて、心にじゅわっと放出された高濃度強酸性溶媒は薄まっていく。完全に、純度100%ー生まれたて赤ちゃんの心に戻ることは無くても、気にも留まらないパーツパーミリオンレベルにまでは希釈されていく。
何もしなくたって、生きている限り細胞は更新されてくし、心はころころ変わり、ひとときの感情は時と共に薄まっていく。
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トンカツ定食にキャベツの千切りが添えられているのも、トンカツを食べることによる背徳感を希釈するためなのではないか、とふと思った。
ぐぅとお腹が鳴る。
みんなが寝静まった頃に、トンカツとモリモリのキャベツの千切りでも食べることにしようかな。
🥗
おしまい。
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ありがとうございます🦉