瓦礫の街に咲いた物語の花―少女アンネリーゼが見た希望
「今日を、どうやって生き延びるか」
1945年、戦後のドイツ。少女アンネリーゼにとって、世界は灰色の瓦礫と、耐えがたい空腹に満ちていました。
道端に落ちていたオレンジの皮を拾い、泥を払って弟のペーターに渡す。弟は、わずかに残った香りを吸いこみます。その姿を見ながら、アンネリーゼは自分の空腹をのみこみます。そんな毎日でした。
ある日、市場の屋台にぶら下がるソーセージが目に入りました。
「一つくらい……」
そう思って手を伸ばしかけた瞬間、ペーターが彼女の袖を引きました。
「ねえ、今日も絵本のあるところに行ける?」
アンネリーゼは、はっとして手を引っ込めます。
昨日出会った物語の記憶が、彼女を踏みとどまらせたのです。
「泥棒なんてしたら、ママが悲しむわ」
二人が向かったのは本が並ぶ空間。そこで働く女性が読み聞かせしてくれたのは、『はなのすきなうし(フェルディナンド)』の話。
お話のあと、ペーターがぽつりと言いました。
「この牛、ぼくみたいだね。戦うの、いやだもん」
その一言が、アンネリーゼの胸に深く残りました。
飢えが消えたわけではありません。瓦礫の街が元に戻ったわけでもありません。それでも、そのひととき、物語は姉と弟の心に小さな灯をともしました。
子どもたちに本を届けたイェラ・レップマンの歩みは、国際児童図書館の設立へとつながっていきます。戦争が破壊した世界のなかで、一冊の本はただの慰めではなく、人の尊厳を守る力として手渡されていたのです。一冊の物語が、絶望の淵にいた子どもたちを支えた、そして小さな希望は、時を越えて、平和を願う営みへとつながっていったのです。
子どもの本で平和をつくる。
その信念は、いまも私たちの手元の一冊の中に、息づいている、その信念は、いまも私たちの手元の一冊の中に、静かに息づいています。
希望とは、個人の内面だけで生まれるものではなく、人と人との関係性のなかで支えられるものなのだと思います。
