「悪はすべての人間に備わっている」(Das Böse ist Teil jedes Menschen)
独『シュピーゲル』誌が突きつける「内なる悪」~芥川の『藪の中』から考える
欧州を代表するニュース誌、『シュピーゲル』に先日掲載された心理学者のインタビュー記事は、そんな衝撃的な見出しで始まっていました。
私たちはニュースで陰惨な事件やSNSの誹謗中傷を見るたび、「自分とは違う異常な人間の仕業だ」と思いがちです。しかし、コペンハーゲン大学のインゴ・ツェトラー教授は、膨大なデータに基づき「他者を利用し、傷つける『悪(暗い性格)』は、私たち全員の中に普遍的に存在している」と指摘します。
誰もが持つ「D因子」、芥川の『藪の中』にみられる自己正当化のエゴ
教授は、嘘つき、自己中心的、強欲といった性格の根底にある共通の核をD因子(Dark Factor)と名付けました。その正体は、「自分の利益を優先し、そのためなら他人に害を与えても構わない」という性質です。しかも人間は、ただ害を与えるだけでなく「相手が悪い」「自分にはその権利がある」と自己正当化する厄介な生き物です。
芥川龍之介の名作『藪の中』を思い出します。森の中での殺人事件を巡り、盗賊も、妻も、死んだ夫の霊も、自分のプライドを守るために事実を歪め、自己を正当化します。この「自分を守るために他者を犠牲にするエゴ」が、D因子そのもの。仕事で手柄を横取りすることも、匿名で誰かを叩くことも、根本は同じ「私たちの内なる悪」といえるのではないでしょうか。
「顔が見えない」とき、人は残酷になれる
『シュピーゲル』の記事では、このD因子が「環境」によって強く引き出されることが語られています。
経済学の「独裁者ゲーム」が示すように、相手の顔が見えない完全な「匿名」の状態で、かつ自分が罰せられないと分かったとき、人間はいとも簡単に他者を搾取します。さらに、社会の経済不安や格差、機能しないインフラなど、過酷な環境に置かれると、人は自分を守るために他人を蹴落とし、社会全体のD因子が上昇してしまうのです。
個人の「道徳心」から、繋がり合う「生態系」へ
では、私たちはこの「内なる悪」にどう立ち向かえば良いのでしょうか。
「みんなで道徳心を持ちましょう」と呼びかけるだけでは不十分です。人間は『藪の中』のように、容易に自分を正当化してしまう脆い存在だからです。
ここに、私が研究している「フィランソロピーの生態系」の意義があると考えます。ツェトラー教授が「悪を防ぐには、プロセスの透明性と、良い行動が報われる社会が必要だ」と語るように、個人の不確かな善意に頼るのではなく、お互いの顔が見え、支え合いが循環する「関係性の網の目」を社会の仕組みとして編み込むことが不可欠です。
自分の中にも「悪」の種があることを自覚しつつ、それでも孤立を排し、他者と繋がり、利他的であろうとする。その葛藤と「関係性の構築」の先に、本当の意味での豊かな共生社会があるのだと思います。
写真は、Der Spiegel 2026/9 p88より この絵は何を暗喩しているのでしょうか?
