「飽海遺跡と倭姫伝承の地へ」① -豊橋に眠る古代と神話の交差点・愛知県豊橋市-吉田城・豊橋公園・安久美神戸神明社
知奇探究倶楽部
突然ですが、この度、知奇探究倶楽部なるものを発足しました。

4月某日、仲間と共に、私の地元である豊橋を巡りました。
今回は、第1回倶楽部活動を行った記録です。
ちなみに、2回目以降も行うかは未定・・・笑
某ブログで三河について詳しい史実を知っておられる凄い方がいまして、かねてから一読者として楽しんでいました。
読むだけではなく、足を運び、フィールドワークして、自分の目で見て感じることの大切さに気づき、今回、地元にいたタイミングで行ってみることにしました。
歴史素人の倶楽部活動ですので、色々と間違って記述してしまうこともあるかもしれません…。予めお伝えしておきます笑。
(余裕があれば、間違いご指摘など、教えてくだされば幸いです)
出発前の下調べや準備

回るコースや見るものの準備を行いました。
旅の醍醐味は、予測不可能なこと、不測の事態が起きた時に、それを楽しめるかどうか、な気がします。予定不調和を楽しむのは活動宮の特徴(占星術)・・・と最近聞いて、納得です。(活動宮:牡羊座・蟹座・天秤座・山羊座)
スケジュールをガチガチに決めてこなすよりも、それなりに計画も立てつつ、全体的には余裕を持って、街歩きをしながら寄り道すること。
それによって、思いがけない出会いに遭遇するのが好きです。
寄り道や道草ほど贅沢な時間の使い方はないですね〜

歌川貞秀、歌川広重の浮世絵も加えて、ワクワクする気持ちが止まらなくなった

5年前くらいに買った紙が
ちょうどいい具合に黄ばんでいて、良い味が出そうな予感・・・

これで明日、仲間を引率しながら、歩くことに。
紙の黄ばみがいい、、笑
豊橋駅到着。徒歩で豊橋公園→吉田城へ向かう
行き慣れた道なので、方向音痴の私でも迷わずに豊橋公園、吉田城へは歩いて行けます。中学生の頃は弓道の昇段審査や大会でよく来ていた為、思い出の場所でもあります。懐かしいです。

何の説明もなく、突然現れる吉田宿問屋場跡。
市内電車線(市電)の札木駅の付近にあります。
「問屋場」(といやば)とはどういう施設?
問屋場は宿場でもっとも重要な施設です。
問屋場には大きく2つの仕事がありました。
一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというものです。
もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)といいます。
これらの業務を円滑に運営するために、問屋場には宿場の最高責任者である問屋(といや)、問屋の補佐役である年寄(としより)、事務担当の帳付(ちょうづけ)が詰めていました。
またその下に、人馬指(じんばさし)とか馬指(うまさし)といった、人足や馬を指図する役職を置いていた宿場もありました。
この他にも、参勤交代の大名行列などを宿場の出入り口で出迎えるための迎役(むかえやく)といった役職を設けていた宿場もあります。
問屋場は一つの宿場に一カ所だけとは限らず、一つの宿場に複数の問屋場があった宿場もあります。このような宿場では、交替で業務を担当していました。

こんな解説がここにあれば、もう少し人が立ち寄るかもしれないです。
道草①

「竹細工製造」の看板に惹かれて、吉田城へ行く前に立ち寄りました。
中では、女将さんらしき方が、作業中でした。
Google レビューによると、ここ以外で現在、潮干狩り用の竹籠の製造を行っているお店がなく、多分、日本で唯一の製造販売店だそうです。
店内の写真はご遠慮して撮りませんでしたが、豊橋らしく田楽用の竹串も販売していました。(しかしながら、悲しいかな、私は味噌田楽がとても苦手でして、愛知県民なのですが赤味噌があまり得意ではない、、。)
今日はショッピングは目的でないので、また今度、ゆっくり見に来ようと思います。
道草②

畳店があったので、少し覗かせてもらいました。まさに、畳を作っているところで、床には「縁」(へり)が。
このあたりには、前述の竹細工屋さん、お寿司屋さん、麹屋さんなどがありました。おそらく城下町の名残だろう、と仲間と予想しておりました。

東惣門跡を見るため、吉田城を越え、鍛治町の東側まで来ました。
東海道にまたがって南向きに建てられていたそうです。
吉田城の門ではなく、吉田宿の門であり、これはミニチュアで再現されたものです。
吉田宿は、現在の豊橋市中心部と重なる。
吉田の町は古くは今橋と呼ばれていました。
戦国時代の争乱の最中に吉田に改称されました。
江戸時代には、吉田藩の城下町、東海道の宿場町、さらに豊川の舟運や伊勢詣での船旅の湊町としてにぎわった。
明治2年(1869)に吉田は豊橋に改称。

豊橋市指定有形民族文化財。
文化2年(1805)に建立。
写真だと大きさが伝わりづらいですが、総高は5.03mで、かなりの迫力がありました。豊橋市内には70基ほどの秋葉山常夜燈があるそうですが、高さ5mを超えるものはなく、建てられた経緯や時期まで明確なことから、歴史的価値のあるものだそうです。
秋葉山常夜燈とは、江戸時代、盛んだった「秋葉信仰」に伴い、元々は秋葉山(静岡県浜松市天竜区春野町)に参詣するために街道沿いにある燈篭だそうです。
ここにはしっかり説明の板がありました。文化財だからかな?
次回 豊橋公園〜吉田城へ。②に続きます。
🌸♨︎🌹
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは今後の活動のための経験や知識に使わせていただきます!