44歳フリーターが22歳からの約20年を経て
44歳フリーターの男なんて社会から見たら溜息をつく存在。なんでこんな風になったんだろう。周囲は何でこんな上手に変わっているのだろう。兎に角人と会うのが苦痛だった20代前半そして何かをするのも苦痛だった。しかし時間という暴力のせいか私は平均寿命の約半分を過ぎてようやく自分は死ぬんだという事が肌で感じてきた。遅まきながら40を過ぎて昔大人が言ってたように何かをやろうとする焦りとやろうとする気力が少し出てくる。多分だけどそうしないともうすぐ死んでしまうよという現実に背中を押されているのだと思う。この感情はこの年齢にならないと分からなかった。22歳から社会人になった私だけど兎に角世の中を舐めていた。そして恐れていた。フリーター長くやり、契約社員を少しやり、正社員は微々たるものしかやってない。どうしようと思いながら毎日焦って逃げて落ち込んで穴の中に逃げ込んでみたいな生き方をしてきた。だから私はなんの技術も身につかずなんの経験もせず無駄に年だけ取った。そして周囲が何か変化を起こすとどうせ上手くいかないだろうと願いを込めたような思いで見つめていた。しかし私の周囲は多分もがきながら生きてきたはず。というのも最近人に会いたくなって会うようになると結婚してたり家を買っていたり出世してたり起業してたり子育てに奮闘してたりしてその姿が恍惚に見えた。大きくも小さくも皆なにか変えないとと思って動いたのだと思う。そしてそれを何事もなかったことのように当たり前に語る。すごい事をしているのを本当に思ってないように。私に残っているのは老けた顔と弱ったからだと大した職歴もない経歴。独身の実家暮らし。書いていて虚しくなる。しかし少しだけ言い訳を書く。一日一日は必死で生きてきた。しかし方向が違った。やり方も違った。気が付いた心療内科に通ってたし今も通っている。自己責任という言葉は昨今酷い言葉だと言われているが私の場合は自己責任だ。時間という遊び道具を葬り去ったような過ごし方をしてきたからだ。更に横目で周囲を見て皆がやってるから自分もやらないと不安だなって感じで生きてきたから今さら不安になる。色んな生き方がある。そんな慰めを受けたけど多分色んな生き方を選んだ人にそんな言葉は言わない。私みたいに気が付いたらドツボみたいな人に仕方なくかけてあげる言葉だろう。さてここからどうやって生きるのが正解なのだろう自分にとって。すべてを諦める事。そう思うと残りの時間生きていく意味はなくなる。欲しいけど結婚、子供、マイホームなんて絵空事。最近不安で起きる。20年何してきたと後悔で朝起きる。もしかしたらこんな人は私以外にいるのか。無駄に老いていく自分と付き合う必要があるのかと本気で思う。そして今は高齢だけど親がいる。兄弟がいる。一応人はいる。そんな中、看取られていくのも悪くないとすら思ってしまう。平日の昼間に部屋にいるとこんなことばかり考える。
