冷笑と空想
寝ていて転んだ例なし、とはよく言ったものである。そういう人間が他人を冷笑したりできるのだ。
そのうえ、平気で死後の名声などと夢想しているのだから、ほとほと呆れる。
朝、目が覚める。部屋に時計などない。
丸一日、決まった予定もないのである。
携帯を開く、通知だってひとつも来ていない。
もし来ていたとしても、暇だと思われたくないからすぐには返さない。
階段を降りてリビングへ向かう。母親が朝飯を作っている。録画したバラエティ番組を見ながらテレビに話しかけ、笑っている。
これのどこが面白いのか、何もかもバラエティ用の台詞じみて聞こえる。
SNSなんか開いてみても、結局この人は何がしたいんだろう。とか、下手くそのくせにチヤホヤされていやがる。天狗になれ、天狗になれ。などと粘っこいものが胸に込み上げてくる。
やはり、こういう人間が名前も顔も晒さず、不用意に人を傷つけたりするんじゃないだろうか。
携帯でアニメを見ながら、飯を食う。
最初に食べ始め、いつも決まって最後に食べ終わる。茶碗を流しに出す。洗い物は人任せで、二階の自室に籠る。
机に座る。窓の外をボーッと眺める。
空想している風で、実際は何にも考えていない。
文字通り空っぽである。
ギターを触る。ギターだけはいい音である。
手癖ばかりで弾いているのであまり上達しない。
窓を開けてみる。通行人がどこかで聴いていやしないかと、得意なフレーズを繰り返し演奏してみる。
ふと時間を忘れていた。
本をぱらぱらと読み散らしてみる。
この言葉とこの言葉を拝借して組み合わせたら歌詞になるかしら。そんな調子である。
読み返す本の中に、どこかで使ったような単語や言い回しが所々出てくる。
これじゃあバラエティ用の芝居と何が違うんだろう。芸術の顔をした虚構。
案外、みんなこんなものであればいいのに。
自分で作った言葉なんてひとつもない。
これだって誰かの受け売りである。
そういえば最後に女の子と寝たのはいつだっけ?
計算したくもない。酷く落ち込む事になりそうだ。まあいい。
窓の外では、小さな子供が自転車に乗る練習をしているらしい。ガラガラという補助輪の音が聞こえてくる。父親が心配そうにその背中を見つめている。
あぁ、誰か僕を諭してはくれないだろうか。
そろそろ立ち上がれ、そして転ぶのだ。と
冷笑と空想の苗が、深く根を張る前に。
