見出し画像

ミルクティー

今日くすりのんだ。
今日くすりのんだ。
今日くすりのんだ。
今日くすりのんだ。

脳が糖分を欲しているのか、母は甘いミルクティーをスプーンでかき混ぜながらとても美味しそうに飲む。
ミルクティーを飲み終えると次はくすりを2錠。
そしてえんぴつを握ると電話の横にあるノートに書き込む。
「今日くすりのんだ。」
これが母が毎朝欠かさないで行う習慣だ。

きっと何のためにくすりを飲むのか、今日が何月何日なのかもわからないかもしれない。
ノートの空白に「今日くすりのんだ。」と書かなければならないという義務感から飲んでいるのかもしれない。

「今日私はどこにいくのかしら?」
朝8時、名前と連絡先が書いてあるカードとカギだけが入ったカバンを袈裟がけにして聞いてくる。
「デイサービスだよ。9時にお迎えに来るよ。」
「あらそう、だったらもう外で待っていたほうがいいわね。行ってしまうと困るから。」
「迎えに来るのたがら行ってしまうことはないよ。寒いからお迎えが来たら外に出ればいいよ。」
「でも、行ってしまったら大変でしょ。」
「……」

これで何度目だろう。
「今日私はどこにいくのかしら?」
外からの声にドア越しに答える。
「デイサービスだよ…」

本人はわからないから聞いてきくる。それはわかっている。だから何度でも教えてあげようと返事をする。今度こそわかってもらえるという期待が毎回打ち砕かれる。
それもわかっているのに。

母の病気はかなり進んでいた。


母はチビという犬を飼っていた。20歳近くなり白内障を患い、オムツを付けたよちよち歩きのマルチーズだ。
母はそんな老いたチビを心の底から可愛がっていた。何よりも大切に思っていた。
目が不自由になったチビの鼻にソフトタイプの餌を近づけることで食事の時間を伝え、ゆっくりと食べさせていた。

日に日に母の病気は進み、日に日にチビの命も薄れていった。

1月1日
冷たく澄んだ新しい年を迎えた朝、チビは最後まで閉じることを拒むように白内障の目を少し開けたまま座布団の上で逝ってしまった。

「チビは寝ているの? 」
チビは死んじゃったんだよ。
母は動かなくなった体抱いていつまでも泣いていた。
1月の寒さがさらに彼を冷たく硬直させた。
家の中の空気も音もとても冷たく静止してしまった。

1月2日
チビはどうしたの?
動かない彼を見て母は涙目て聞いてくる。
「チビは天国に行ったんだよ。」
母は天国に行ってしまった彼を抱いて泣いていた。

1月3日
3度目の死を迎えた彼の鼻先を撫でながら、今日も母は涙を流していた。

4度目の涙の朝、彼は小さな箱に入れられ最後のお別れとなった。
彼は母の前からいなくなり、母の記憶の中からもいなくなった。

甘いものは苦手だけど、明日からは一緒にミルクティーを飲もう。

いいなと思ったら応援しよう!

もとき よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!