第1章:13歳の決断、上海での7年 ——大陸の風に吹かれて
1. 13歳の決断:ルーツへの帰還
2013年。羽田空港の出発ゲート。中学の卒業証書をスーツケースの奥にしまい込み、私は一人、上海行きの飛行機を待っていた。
日本の同級生たちが真新しい高校の制服に袖を通す頃、私は13歳にして「単身留学」という道を選んだ。
なぜ、中国だったのか。
それは私の原点が、母の故郷である内モンゴル自治区の都市・フフホト市(呼和浩特)にあるからだ。幼い頃から食卓に並ぶ羊肉の香り、母が話す中国語の響きが大好きだった。
小学生の時には自ら中国語サークルに通い、いつかあの広大な大陸に行きたいと願っていた。
私にとって上海へ行くことは、未知への挑戦であると同時に、自分自身のルーツを探しに行く旅でもあった。
上海の空港に降り立った瞬間、湿った空気や独特の香辛料の匂いがしたこここで3年間住むと思うと期待と緊張で一睡もできなかった。
私の上海の第一印象としては、最先端の超高層ビル群(浦東エリア)と租界時代のレトロな街並み(外灘)が共存する活気ある国際都市だ。
治安も比較的安定していて、キャッシュレス化がまで進んでいる。
生活のほとんどがWechat pay(微信支付)とAlipay(支付宝)で成り立っているTaobao(淘宝)やショッピングモール、スーパーも充実している。
なので、生活面では何不自由なく日本と同じ生活水準で安心して生活できるとホッとしていた。
2. 上海の洗礼:銀行という名の戦場
しかし、憧れた上海の現実は甘くなかった。
15歳の私を真っ先に待ち受けていたのは、銀行の窓口という名の「戦場」だった。
「聴不懂(聞き取れない)!」
冷徹な顔をした行員が、容赦ないスピードの中国語を浴びせてくる。専門用語が並ぶ複雑な書類、パスポートの確認、送金の手続き。フル中国語でのやり取りに、冷や汗が止まらない。
何度も窓口を追い返され、寮に戻って必死に辞書をめくる日々。
けれど、三度目、四度目の挑戦でようやく手続きが完了したとき、私は震える手で通帳を握りしめ、自分に言い聞かせた。
「ああ、私は今、この巨大な大陸で一人で立っているんだ」
この時、私の中に「大陸の感覚」——どんなカオスの中でも、声を上げ、食らいつき、最後には自分の力で道を切り拓くサバイバル能力が、静かに、しかし力強く根付いた。
3. 日曜20時の約束:画面越しの聖域
強がっていても、夜になれば13歳の少女に戻る。
言葉の壁、寮生活の些細な摩擦、終わらない課題。孤独が胸を締め付ける時、私を救ってくれたのは、毎週日曜日の夜に灯るパソコンの画面だった。 「ありちゃん好きなイッテQ始まるよ。スカイプ繋いで!」
日本にいる母からのメッセージ。私たちが約束したのは、毎週日曜20時、家族で大好きだったバラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』をスカイプ越しに一緒に見ることだった。
画面の向こう側で、実家のリビングの笑い声が聞こえる。テレビの音、お茶を啜る音、何気ない家族の会話。
「あはは!今の見た?」
上海の狭い寮の部屋で、私は画面越しに家族と同じタイミングで笑う。
その1時間だけは、上海の喧騒を忘れ、日本のどこにでもいる普通の女子高生に戻ることができた。
スカイプで話せることで寂しさは和らいだ。
寂しくないようにと母は、2ヶ月に1回私が大好きなお菓子やお茶が詰められたケアパッケージを送ってくれた。
母の無言の優しさが、月曜日の朝、再び上海の街へ飛び出すための最高のガソリンになった。
