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世界いち優しい旦那さんに甘えてばかりいたわたし【note創作大賞応募作品】


こんなはずじゃなかった

幸せを掴んだはずだったのに
何をどう間違えてこうなってしまったのか
分からないくらい
当時の自分は追い詰められていた

目を覚まさない旦那さんを
見つめながら

“明日は仕事に行けないかもしれないな”

そんな事を考えながら
息子と救急車に揺られていた


ーーこの話は
3年前に亡くした旦那さんと
私たち家族の話です
出会いから別れ 現在の自分について
心のままに書きました


【出会い】
初めて会ったのは26歳の時

短大を卒業後
なんとなく
服屋の店員になったわたし


今日はちょっと 緊張の日

お店の先輩に
「紹介したい人がいるの」

と言われて居酒屋に来ていた

まるでお見合いのようだと
わたしは内心ドキドキしていた

「かんぱーい」

みんなが楽しそうにビールを流し込む
飲めないので
お酒が飲める人たちが当時は羨ましかった

「こいつ、めちゃめちゃいい奴なんだけど
ずっと彼女がいなくてね」
先輩の友人が言う

確かに

彼はフツーにカッコ良いというか
かわいいというか
人当たりの良さが前面に出ていて
好印象だった

ずっと笑ってる
ほんとうに、お酒が好きなんだなあ・・・

「おやすみなさい~」
わたしだけ電車なので
改札口までお見送りしてくれた

3人の姿が見えなくなってホームの電車に乗る

また、会いたいなあ・・・



そこからしばらくでスノボへ行くことに

夜中に待ち合わせて雪山へ向かう

2人で

わたしは男友達も居ないので
この展開が信じられなかった

明け方に到着して
少し仮眠を取る

運転席を倒して
こちら側を向いて彼が目を閉じた

“まつげ長いなぁ“

わたしは淡白な顔立ちなので
彼のような二重でぱっちりな目は憧れだった

ずっと見ていられそうだ

もう、好きだったと思う


それからしばらくで付き合い始め
仕事帰りによく
焼き鳥の美味しい居酒屋に行った

一緒にいるだけで 楽しくて幸せだった



【結婚】
3年目に結婚した

旦那さんは17時ピッタリに
仕事を終え
毎日晩ご飯を作って
わたしの帰りを待っていてくれた

家事が苦手な私と違って

料理も掃除も
彼は進んで取り組んでくれる人でした

人づきあいが苦手な私と違って

わたしの友人や家族とも
すぐに仲良くなりました

子供が産まれてからは
育児にも積極的に取り組んでくれました


こんな素敵な旦那さんが居て羨ましい

当時は何度も言われました

嬉しい反面

あまり育児や家事が得意でない自分は
旦那さんに“できない自分”を
さらけだしにくくなりました

気づかないうちに
少しプレッシャーになっていた




【転職】
息子が1歳半の時
旦那さんが転職しました

残業が増え
お酒も少し増えた

お酒を飲んでるときに話したことを
忘れることも増えた

そのことを話すと

「酔ってたんだから仕方ないじゃん」

と、一蹴されてしまう

じゃあ、わたしの気持ちはどこに行っちゃうの?

やり場のない思いが少しずつ溜まっていった

でも変わらずわたしのことは
大事にしてくれるし
子煩悩だし
家のこともしてくれる
なんならわたしよりしていたと思う

だから、まだ、幸せでした 
この時は

だけど、ちいさなものを
少しずつ少しずつ見ないようにしていた




【質問】
あなたがやめられないもの
なんですか?

本当はやめたほうが良いと分かっているのに
やめられないもの、ありますか?

夜更かし
深夜のラーメン
ネットで爆買い
ポテチとビール

それとも

やめられないギャンブル?
やめられないパチンコ?

じゃあお酒は?

お酒なんて、みんな飲む
酔っ払いもその辺にたくさんいる
楽しく飲む分にはいいよね

初めて会った時の彼は
本当に楽しそうにお酒を飲んでいて
わたしにはとても眩しく見えた

好きだった

だけど変わっていったんだ

お酒が彼を変えていったんだ



【異変】
息子が小学校へ上がった頃から
旦那さんは足が腫れるようになった

痛風だ

最初はなんなのか全然分からなかった
だって認めないから

最初はわたしにも

「ちょっとぶつけただけ」
とか言って

ご近所さんにも
親や友人に会っても
「捻挫した」
とか言う

これが本当に腹立たしかった

なんで?

なんで嘘ついてるの?

自分がお酒好きでこうなってるんだから
そこは認めてよ


旦那さんの態度に誠実さが
1ミリも感じられなくて
本当に嫌だった

そのくせお酒はやめなくて
腫れが治まるとまた飲む

最悪だ


この頃は飲みに行くと
明け方まで連絡つかないのはしょっちゅうで

わたしはその度に心配したり
イライラしていたが
彼がお酒をやめたり控えることはなかった

”酔ってたんだから”
これもその言葉で片付けられるんだろうか


【すれ違い】
週2日 飲食店でのパートを始めた
土日両日入れることが条件だった

もう一度 社会と繋がって働きたかった

旦那さんは文句1つ言わず
晩ごはんを作ってくれ
相変わらず自分は恵まれていた

平日は向こうが仕事
土日はこっちが仕事

当然夫婦のコミュニケーションは減っていった

それでもお互いを労わったり
平日に夫婦の時間を取る工夫をしたら
良かったんだろうけど

わたしは甘えていた

家族という存在に

いちばん大切にしなきゃいけないものが
この時は見えていなかった


気づけば会話が減っていた

ソファに座っても
真ん中に子供がいなければ
間が空くようになっていった


そして子供が
真ん中に座らなくなるくらい
大きくなると
子供は友達と出かけるようになった

週末のソファは
旦那さんがサブスクで映画を見たり
お昼寝をする場所になっていった



【コロナ】
2020年コロナ禍
旦那さんは在宅ワークに

わたしはイライラしていた

平日のお休みの日に、旦那さんが家に居る

それが嫌だった

お昼ごはん作ってと言われた訳じゃないのに
また勝手にプレッシャーにしていた

でも ひととおり家事を終え
買い物に行ったりして帰ると

旦那さんはもうお昼を食べ終えて
また2階に行っている

避けてるわけじゃないのに
自然とそうなっていることが
わたしの中で 罪悪感になっていった

この頃から
旦那さんは時々お昼間に
お酒を飲むようになっていた





【義父の死】
2021年夏
義父が亡くなりました

自宅での自然死
第一発見者は旦那さんでした

義父は躁病でした

とても穏やかな人でしたが
発症後は目をギラギラさせて
あちこち動き回りました

そんな義父の死

予想外の行動や頻繁な長電話
共に行動しなければいけないことも多く
義父は恐怖を感じる存在でした

一緒に、悲しむことはできなかった


【前兆】
コロナが落ち着いた2022年

息子は中学2年生
バレー部で仲間との絆を深めていた

まだまだかわいいと思っていた息子は
親から少しずつ離れていった

旦那さんは徐々に
会社へ通勤する生活に戻っていた

が、旦那さんの状態は
あきらかに悪くなっていた

顔色が黒くなって老け始め
40代後半なのに
おじいちゃんみたいな顔になっていた

パート後 家に帰るのが憂鬱になった

大体ソファで寝てる
お酒の匂いがする
でも飲んでないって言う

この年はよくケンカした
お酒をやめてと何度も訴えた

でもいつも話はまとまらなくて
わたしが泣いても怒っても
彼にはなにも伝わっていなかった

なんでやめられないの?

「自分だったら好きなものすぐやめられる?」
と、逆ギレされたこともある

わたしは旦那さんを見張るようになって

頭の中は旦那さんとお酒のことで
いっぱいだった

うるさく言うと隠れて飲むようになった

毎日が綱渡りみたい

旦那さんの中で、アルコールは正義だった


【ほころび】
2022年冬、黄疸が出た

相変わらず病院には行かない

お正月の集まりで看護師の姉が
「黄色いよ 大丈夫?」と言ってくれた
誰もが思っても口にしないことを言ってくれて

ありがたかった

翌日、再度病院に行くように言う
「行けばいいんでしょ!」と逆ギレしたが

即、入院だった

だいぶ数値が悪いこと
良くなる治療はできないであろうこと

言われた

旦那さんはベッドに横たわり
「こうなるのが分かっていたから逃げ回っていた」
と、謝ってきた

わたしにはもう届かなかった

今更何を言ってるんだ

わたしは現実感もなく、ただただ
旦那さんに怒りを覚えていた


そこから1週間ほどで退院してきた

憂鬱しかなかったが
彼は、お酒を2度と飲まなかった


しばらくは普通の生活だった

普通の生活の中に
お酒を飲まない旦那さんが居て
ちょっと平和だった

でも病院へ行く

病院へ行くと
本当に病気なんだな、と
再認識させられた

旦那さんはよく買い物をするようになった

今思えばそれは飲めない代わりの
心の支えだったのだろう

何日も悩んで
旦那さんは一生懸命に選んでいた

GWは車で四国に行った

キャンプして、息子の好物のうどんを楽しんだ

でも帰ったら旦那さんの足は
ゾウみたいにむくんでパンパンで

ぞっとした
一気に現実になった

このころから体調が下降していった


【青いシャツ】
ある日
突然クローゼットに現れた
青い花柄のシャツ

青緑のような濃い濃いブルーに
赤や紫のリアルな花柄が
プリントされたシャツ
生地はシルクみたいな
ツルツルした手触りで

ヤクザの服みたい

でも本人は気に入ってるんだしと
何も言わなかった

だけど、この日このシャツを着て
病院に行こうとした

今思えば

旦那さんはただただ
病院というマイナスなイメージの場所へ
自分のお気に入りの服を
着て行きたかったのだろう

でもわたしは

やだ。並んで歩きたくない!

そう思ってしまった

「え、その服着て行くの?」
「うん なんで?」

「え、やなんだけど、その服」

すごく嫌そうにしながらも
結局着替えてくれたのですが

「じゃあ言うけど、みきちゃんも
だぼだぼの服ばかり着てるけど、なんなの
だらしないよね」

彼はぴったり服を着るのが好きだったので
結婚してからゆったりした服を
好むようになったわたしが
気に入らなかったのでしょう

いつもそう

わたしが不満を口にする時だけ言い返してくる

そんな感じでディスられましたが
病院へ行きました

そして病院の階段を少し上がった時
彼の足がピタっと止まった

「疲れた、、」

この時彼がどんな顔をしていたかは
分からない

でも、もう階段を2,3段上がるのも
しんどい状態なんだ

彼はもともと
まったく世話を焼かせない人でした

わたしみたいな人間には
それが丁度良かったのかもしれませんが
わたしなんか居なくても
このひとは生きていけるんだろうな
と思ったりして
寂しく思うこともありました

けんじくんは
倒れる前日まで車を運転していました

最後に自分で行ったのはメガネ屋さん
お気に入りの
こだわりのメガネを作っていた

会社へ行き、自分で寝起きして
トイレに行きお風呂にも入って
わたしたちのご飯も時々作っていました

弱音を吐くことは一度もなかった

病気であることは
上手く受け入れていなかったけど
最期まで普通に生活することを
彼は望んでいました

わたしにはいつも「心配しないでほしい」
と言って、病人の扱いを拒みました

わたしはいつもそれが理解できなくて
彼への接し方に最後まで悩んでいました


【2023年7月9日】
息子、中学3年の部活の大会の日

息子はだんだんとわたし達とは
必要以上に話さなくなりました

親子仲が悪いわけじゃないけど
子は親に関心がない
親は子に上手く関われなくなっている

そんな状態だった

この日はわたしが大会を見に行こうと
お弁当の支度をしていた

旦那さんが、前日の夜からソファで寝ていた

どうして声をかけたんだったかな

もう覚えてないんだけど

「けんくーん」
と、声をかけた

一瞬はっ、と旦那さんの目が開く

ちょっとびっくりしたみたいな開け方

でもまたすぐ寝ちゃう

「けんくーん」

もう一度呼ぶ

また同じ反応

なにこれ

なんか、おかしくない?

なんか、起きないんじゃなくて
起きたくても起きれないみたいじゃないか?

「けんくん?」
体をゆすって起こしてみる

変わらない

、、どうしよう

頭の中でぐるぐる考えた

どうしよう これ
やばい状態なんじゃ、、

2階で寝ている息子に
なんて言えばいいんだろう・・

とりあえず寝てることにして
大会に行かせる、、?

逃げ癖のあるわたしの
嫌な考えを打ち消した

そんなのはだめだ

その場を離れて2階へ

「こた」
「こた起きて パパが変なの 起きない」

「うそ」

息子はすぐに起きてくれた

「パパ」
呼びかける
さっきと同じ反応

「起きるじゃん」

「や、反応はあるけど
またすぐ寝ちゃうから、、
起きたくても起きれないんじゃないか、、」

昏睡、てやつなんだろうか

「救急車、呼んだほうがいいのかな、、」
判断が鈍る

少し考えて、呼ぶことにする

「あんた、大会はどうする?」
この期に及んで
一緒に来てと言えない自分はずるい

「、、、終わったら行く」

休日の朝の静かな時間
サイレンなんて鳴らしてほしくなかった
でもそんなことも言ってられない

救急隊の方が来て
旦那さんの様子を観察したり
わたしにいくつか質問したり
その中で、ひとりの救急隊の方が

「羽ばたきが出てるね」と、言った

ああ、もう、脳症が始まっていたんだ、、

そして救急車へ乗り込み
現実感のあまりない
夢のような世界が始まった、、、、


病院に着く
旦那さんはすぐに処置室へ

静かな廊下で待つことになった

しばらくすると、落ち着かないのか
「終わったら教えて」
と、息子は行ってしまった

息子には旦那さんの体が
あまり良くないことは伝えていた

それでも、中学3年生の男の子が
親の死を想像することなんて
まずないだろう

そのうち終わるだろう
自分は大会に参加したい
きっと、行きたい所に行けなくて
イライラしているんだろう

義弟が来てくれた
事を騒ぎ立てないで
自然に傍にいてくれるのがありがたかった

父親も来た

「こた、ひとりで泣いてねえかな」
と、父は息子を心配していた

わたしは父親の言葉に少々イライラしながら
泣いてなんかいない
と、心の中で思っていた

こんな時に取り乱さないなんて
わたしもどうかしてるわ・・・



どれだけ時間が経っただろう

「処置が終わりました」

と言われ、入室して良いことになった

息子を呼んで、みんなで処置室に入る

そこには、よく見るドラマみたいに
たくさんの管につながれた
けんじくんが居た

みんなで呼びかける

目が開いている
今朝とは違い
ちゃんと意識のある顔をしていた

医師から説明があって
みんなで聞いた

その中で

「次に急変したらもうだめだと思います」

と言われた

瞬間、息子が泣き出した

まさか 死ぬとは思っていなかった

実をいうと
余命宣告はされていなかった

だけど薄々わたしは考えていた

急に倒れることも
血を吐いて搬送されることも
あり得る病気だと考えていた

だからこそ
自分の生活が脅かされる恐怖とも戦っていた

だけど息子は違う

大好きな 大好きなパパ

一緒に笑って
楽しいことたくさんした
映画を見たり
お風呂に入ったり
美味しいもの食べて
時には絵の上手さを競い合ったり

友達のようなパパだった

そんな大好きなパパが
死ぬかもしれない、ということを
今知ったのだ

わたしは反対側に行って
息子の後ろに立って
旦那さんの傍へ連れて行った

今、話さないと

なんでこんなことを言ったのだろうと
今でも思うけど

「今日、バレーの試合だったんだよ
でも、行かないでこっち来てくれたんだよ」

息子から思い切り肘鉄が飛んできた

本気のやつ

いってー、となったけど
わたしはわたしなりに
けんじくんに生きる希望を持たせたかった

「あー、そりゃ、悪いことしたね、、、」

「試合、見に行きたいでしょ?」

「…行きたいね」

「じゃあ、頑張ろう」

旦那さんはHICUで過ごすこととなったが
コロナ以降 
付き添いは入れなくなったらしく
わたしたちは一旦自宅に帰ることになった

HICUまでベッドで移動して
1人だけ入口に入っていいと言われたので
ついていく

入ってすぐのとこで

わたしはおでこを旦那さんのおでこにつけて

「明日来るからね 頑張るんだよ」
と言ったら
「うん 頑張る」
と言った


旦那さんが連れて行かれた
その瞬間

「みきちゃん」

振り向くと
姉の友人の看護師さんが居た

「さとみちゃん?」
驚いていると

「みきちゃん、大変だったね 大丈夫かな?」

偶然この日に勤務していた
彼女がこの病院にいることは知っていたけど
もう何年も会っていない姉の友達
頭の片隅にもなかった

それなのに、私に気づいて声をかけてくれた

彼女はテキパキと今後のことを説明すると
「みきちゃんもこたくんも
大変だけど、帰ってちゃんとごはん食べて
ちゃんと寝るんだよ」
そう言ってくれた
とても心強かった

病院を出ると外は晴天で
さっきまでの出来事が嘘みたいだった

その日は帰ってからも
何をしたかよく覚えていない

でもたぶんさとみちゃんの言葉をお守りにして
ご飯を食べて眠りについたんだと思う





【2023年7月10日】

病院に行くまで時間があったので
洗濯物を干していた

こんな時に
普通のことをしているのは違和感があった
でも指定された時間にしか行けないし
他にすることもなかった

スマホの着信音 病院から

「明け方までは意識があったんですが…」

急変の知らせだった

今でも覚えてる
7月らしい、暑い暑い夏の日だった

世間は平日の朝
会社へ行く人たちの車で混み合っていた

病院へ行くには
大きい国道を横切らないといけないけど
なかなか渡れない

家族が死ぬかもしれない時に
なにやってるんだろうと
本気で嫌になる

それでもなんとか進みながら

伝えなくちゃ

と、息子を見る

泣いている

わたしは、左手で息子の右手を握って

「ごめんね パパ、死んじゃうかもしれない」
と伝えた

ボロボロ泣いている

ごめんね
ごめんね

それ以上は、何も言えなかった


病室へ着くと

モニターはまだ動いてるけど
もう
わたしたちが来るのを待っているだけだった

お部屋にひとり看護師さんが居て
「明け方までは、良かったんですよ
穏やかにお話もされていて…
息子さんに申し訳ないことしたって
仰っていました」
看護師さんは泣いていた

そんなつもりじゃなかったのに
ただ、頑張って欲しかった

それだけだったのに

わたしは覚悟を決めて
「パパにありがとうしよう」

「よく頑張ったね」

「今まで、たくさん、たくさんありがとう」

息子はイスに座って泣き崩れた

わたしは、旦那さんの顔を見ていた

しばらくすると、担当の医師が入ってきた

「8時47分 死亡を確認しました」

死因は、敗血症性ショックでした



人が死ぬのは本当にあっけない

確かにさっきまで息をしていたはずなのに
目を閉じて、とても安らかな顔をして
寝ているだけみたいなのに
もう死んでいると言われる

意味が分からない

わたしは現実感のない世界に居た



亡くなった後、さとみちゃんと
エンジェルケアをしました

けんじくんの髪を洗って
一緒にお着替えをしました

こんなにゆっくりけんじくんに
触れたのはとても久しぶりで
まだぬくもりが残る体に触れていると
もう死んでしまったことが
嘘みたいだと思いました

でも、なんだかとても
優しい気持ちになれたのを覚えている


ありがとう

ありがとう



その日はけんじくんを家に連れて帰って
夜は、リビングで一緒に寝ました

まだ涙はでませんでした

正直、ほっとしていた

「もう、お酒の心配をしなくてもいいんだ…」


お葬式はたくさんの人が来てくれました
たくさんの人が彼のために涙を
流してくれました

あんなふうに泣けたらいいのになあ

自分は不思議なくらい冷静で、
夜も寝れたし朝も起きた

なのに喪主の恰好をして葬儀の場に立って、
たくさんの方からのお悔みを頂戴している

近所の人
旦那さんの結婚前からの友人
結婚式で乾杯の挨拶をしてくれた方
転職前の職場の上司
今の職場の人たち
県外に住むいとこたち

このひとは、本当に周りの人に
好かれていたんだなあ

なのにわたしはこの期に及んで
涙1つ流せやしない
なんでみんなこんなに悲しそうなの
と、思えるくらい、なんだかぼんやりしていた

わたしはこの日
旦那さんの棺に青いシャツを入れました
亡くなる数日前にケンカした、あの青いシャツ

わたしはやっぱり嫌いだけど
気に入っていたから、天国で着ればいい

もう、文句言わないよ




夏休みでよかった

息子はしばらくで部活へ行くようになり
現実へと帰っていった

わたしは旦那さんの後片付けに追われていた

旦那さんが亡くなったことを再確認するようで
とても嫌だったが
当時のわたしには
毎日を生きるモチベーションになっていた

そして陽が落ちて暗くなったころに
ワンコの散歩に行く

そんな毎日だった

暗い中歩いていると
まるで別の世界に来たみたいだ

空を見上げる

旦那さんが居なくてみんな悲しんでいる

わたしは悲しくないんだろうか

目を閉じると
涙が流れるようにはなったけど
まだ心からの感情じゃない


どうしてあんなに体が悪くなるまで
病院に行こうとしなかったんだろう

逃げ回っていたと本人は言っていたけど
しっくりこない

どうして、病院に行ったら
あんなにすんなりお酒をやめれたんだろう

だったらもっと早くやめれば良かったのに

わたしが何回怒っても
何回泣いてもやめなかったのに

結局やめたって
もう良くなる治療はできないって言われて・・・

どうして、病気なのに心配するなとか
普通に扱ってほしいとか、言ってたんだろう

分からないことだらけ

どうして・・



【9月】
わたしの誕生日

人を喜ばすことが好きな旦那さんは
毎年わたしの誕生日を祝ってくれた

付き合い始めの頃は
わたしが欲しいものをリサーチして
サプライズで買ってきたり

そうやって
大切な人の喜ぶ顔を見るのが好きな人だった


もう、祝ってもらえない

タルトが美味しいケーキ屋さんに行くこともない


そう思ったら急に悲しみなのか
怒りなのか分からない気持ちがこみ上げてきて


「なんで居ないんだ ばかやろー!」

大声で叫んで、泣いた



夜になると
ただいま、って作業着姿のけんじくんが
帰ってくる気がする

散歩道で旦那さんのことを思い出す

ウォーキングに連れ出した途中で
お酒の話になって
座り込んで話したあの場所

そこを通る度
まだけんじくんがそこで
悩んでいるような気がして辛くなった

だけど通り過ぎればその気持ちは消える


もう、居ないんだ




【その後】
亡くなって1年半も経つと、
生活は落ち着いていた

旦那さんへの怒りはだいぶ和らいでいた

わたしは彼をなんでもしてくれる
“世界いち優しい旦那さん“に
仕立て上げていたけれど

本当はそうじゃなかった

ただのひとりの弱い人間だったことを
受け入れ始めていた

お酒は彼にとって必要不可欠なものだった

弱い部分や、父の死を発見した時の思いなど
たくさんの気持ちをお酒で流したのだろう

でも 人生にけじめをつける為にやめたんだ


最期まで頑張って生きた彼を

かっこいいと 思いたい

旦那さんへのわだかまりが少し優しくなっていた


同じ頃
ある手帳スクールの説明会を見た

「終わるころには悩みがなくなるよ」

その言葉が忘れられずに申し込んだ

怒りはわたしのエネルギーでした

旦那さんへの想いを燃やして
わたしは生きていた

だからこそ、怒りが和らいだ今
未来が見えずに苦しんでいた


スクールではいろんな人達と出逢った

皆それぞれ自分の人生に
悩みや課題を抱えていて
自分と戦いにきていた

だからわたしも戦った

生活リズムを整えて
朝活やヨガ
手帳で未来を描く生活が始まった

そして最後は
このスクールでの生活で
手帳を使って自分がどのように
変化できたかを発表した

わたしは旦那さんに怒っていた

だけど、わたしは自分自身にも
腹を立てていたんだ

思うだけで、いつも行動しないわたし

スクールで学んだのは
小さくてもいいから、未来の自分のために
少しずつ行動することの大切さ

いつかじゃなくて、いつかのために
今できることは何?と考える大切さ

自分自身を大切にするということ

わたしは自分が好きじゃなかった

だから、自分に自信が持てなくて
言えない気持ちが溜まっていって

けんじくんの変化を受け入れられなかった

けんじくんは絶対的なわたしを愛してくれる
幸せにしてくれる存在じゃなきゃ嫌だった

”素敵なけんじくんに愛されてる私”
が好きだった

だから

お酒飲んで
酔っ払って
太って
髪の毛ぺたんこになって

痛風なのに捻挫だって嘘ついて
健康診断の結果が悪くても病院に行かなくて

許せなかった

けんじくんのことを嫌いになる度に
自分のこともどんどん嫌いになった

誰にも話せなくて
先の見えないトンネルの中を
泣きながら走ってるみたいだった

どこか遠くへ行ってしまいたかった


変わりたい
自分自身を愛せる自分に

自分のことが好きで
生きててよかったと思う自分に

変わりたい



【現在】
そして今これを書いているのは
スクールを卒業して半年後のわたしです

人生が変わったか?


残念ながら、そうでもないです(笑)

人生はそんなに簡単に
変わるものではありません

相変わらず部屋は汚いし
晩ご飯作れない日もあるし
やらなきゃいけないことも溜めてしまう
相変わらずのポンコツです


でもね、心は大きく変わりましたよ

できない自分も
ちゃんと認めてあげられるようになりました

自分に向き合うことで
未来への漠然とした不安はほとんど
なくなりました

他人と比べて落ち込むことも
ほとんどなくなりました


変わったのは、傍から見る目ではなくて
自分自身を見る目


こんなふうに文章を書くことも
スクールへ行かなかったらしなかった


息子が朝起きて学校へ行く
ひとり時間にコーヒーを淹れる
ワンコとお昼寝をする
毎日穏やかに眠りにつく

今は、こんな当たり前のようなことが幸せ


いつか

わたしがおばあちゃんになって
人生の幕を閉じるときが来たら
迎えに来てほしい

「頑張って、生きたね」

そう言ってもらうこと

それが今のわたしの、生きる目標です







#創作大賞2026

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