寄添い人
〈作品の概要〉
約45,000文字の長編小説です。
北アメリカでの実際のビジネスモデルを日本のモノと併せると面白いだろうと考えました。そこにいろんな意味で未熟な青年が、そのビジネスを通して人間的に成長していく姿を加えてみました。
書籍としてだけでなく、ドラマや映画などのメディア媒体でも楽しめる作品だと自負しています。
〈あらすじ〉
大学四年生である佐藤春人は未だに自分が就きたい職種の方向性が定まらずにいた。そんなある日、姉から久し振りに連絡があり、父親が亡くなったと聞かされる。春人の両親は彼が幼い頃、父親の家族に対するモラルハラスメントが原因で離婚している。生前の父親が暮らしていた家に残された家財の一切を処理しなければならず途方に暮れていた春人は、その作業を請負ってくれる業者をネット上で見つける。その業者の代表である田山信一は春人に寄添い、「物」だけでなく春人の「心の濁り」さえも処理してしまう。やがて春人は田山と彼の仕事に興味を持ち始める。
「お父さんが亡くなったのよ。」
スマホから聞こえる姉のその一声で、春人は自分の身体がにわかに重くなるのを感じた。
これまで父親という存在そのものが自分の世界には無いものとして考えてきた、いや、正確には考えようとしてきた春人にとって、死によってその存在が再び色濃くなってしまったことへの嫌悪感があったからだ。
何を今更、どの面下げて戻ってくんだよ!
何ともウザったるい感情にヤケクソで悪態づいてみる。親指と人差し指で仕切りに下唇をいじり回す。ストレスを感じると無意識に出る春人の癖だ。
「ーーーで?」大きな溜息とともに言葉を絞り出す。
そんな春人の反応にはまるで関心がないのだろう、姉の愛子はなんの躊躇いも計らいもなく話し始めた。
「話によるとお父さん、一週間程前に多分心臓発作で倒れてそのまま死んじゃったみたいなの。郵便受けが一杯になってたみたいだし、宅配の人が何度行っても応答なしだったから心配になって、念のために警察に連絡してくれて、それで発見されたそうなの。このところ寒かったでしょ?遺体の状態は良かったんだって。」
八つ年上の愛子は既に結婚し家を出ている。2人目を出産した際に辞めてはいるが、それまでは看護師をしていたからだろう、人の死に対して肝が据わっているというのか、長らく疎遠だったとは言え、自分の親の死の状況をあくまで事務的に淡々と話し続ける。
「それでね、アンタ、お通夜とかお葬式なんだけど、来られる?お父さんの知り合い関係っていまいち分からないから、家族葬にしようって思って。私が喪主になるし、旦那の友達が手頃な葬式屋を紹介してくれるそうだから、それでちゃっちゃと済ませるつもりだし。」
「・・・・・」
「その反応は、出たくないってことと受け取っていいのね?OK、こっちで勝手にやっとくわ。どうせ内輪でのことだし、体裁なんて取り繕う必要もないしね。」
「・・・ごめん。」
未だ学生の身であることに甘んじて、何でも姉に任せっきりな自分に不甲斐なさを感じないでもないが、できれば何にも関わらずにやり過ごしたい。
自分の親の葬式に顔も出さないなんて世間一般ではどうよ?な気もするが、これからの数日間で行われる行事の渦中で乱されるであろう自分の感情を思い、保身が勝ってしまった。
「じゃあ、落ち着いたら報告も兼ねてまた連絡するから。アンタも気が変わったら連絡ちょうだい。」
通話が終わってもしばらくスマホを耳に当てたまま、春人はその場を動けずにいた。その場とは言っても、自分の部屋で明日に面接を受ける会社の募集概要を再度確認していたところだったので、誰に迷惑をかけるでもない。気が付けばいじり過ぎた下唇が痛痒く疼いていた。
春人の両親は彼が幼い頃に離婚している。原因は父による家族に対してのモラルハラスメントだ。
幼かった春人にとっての父親は、何に対しても完璧さを求める厳格で横暴な大人、一言で言えば恐怖の対象だった。
学生の頃から優秀だった父は金融関係会社に数年勤めた後に、独立して自分の会計事務所を作った。母とは互いの知人を通じて知り合い結婚までに至ったようだ。
結婚の際に家を好条件の立地に購入していたし、専業主婦の母と姉と春人を支えるのに十分な経済力はあっただろうし、今思えば、多分、自分たちは世間一般の家庭よりは潤った暮らしをしていたように思える。
ただ、その暮らしは春人を含め父以外の皆にとって息苦しいものだった。父は自分に厳しい人間だったが、自分の家族にもその厳しさを強要する人だった。特に母に対しては完璧な妻であること、完璧な母親であることを求めた。
家の中はいつもピカピカに磨かれていたし、衣服にしたって普通ならアイロン掛けなど要らないもの、例えばTシャツにまで掛けられていた。
着ている服が汚れるようなこと、子供が公園の砂場や川なんかではしゃいで遊ぶことも禁止されていたし、靴に至っては幼稚園のない毎週末に自分で洗うように言い付けられていた。
毎日一冊は本を読み、それについての感想文を三行以上書いて父に見せる決まりがあり、自分の意志とは関係なく週に2日は水泳のレッスンに通わされた。
スイミングスクールまでの決して近くはない道のりを、母の運転する車の窓から眺めながら、こんな事をいつまで続なければならないのかと子供ながらに考えていたのを覚えている。
未だ幼くはっきりとした分別のない春人でさえこんなだから、母や八歳上の姉にとってこの毎日は苦の極みだったことだろう。
そんな日々は春人が小学二年生になった春に突然終った。
教室で給食のカレーを食べていた時に校長先生が教室まで迎えにきたので一緒に校長室まで行くと、そこには母と姉が居て、春人はそのまま母に手を引かれて学校を後にした。これが春人がその学校に通った最後の日となった。
このままの生活を続けていくのは自分にとっても子供たちにとってもマイナスでしかないと意を決した母が、市営の家庭相談所に助けを求めたのだ。
担当者の手腕のおかげで話はトントン拍子に進み、養育費を含めた今後一切の生活費と家の権利を棄てることを条件に、父は母の離婚請求を承諾した。ここから母親と姉、そして春人の三人での生活がスタートした。
新しい街、新しい家、新しい学校での新しい暮らし。
働き始めた母と一緒に過ごす時間は減ったし、経済的には決して楽なものではなくなったが、それでも春人にとっては監視付きの檻からやっと解放されたような、自由に息ができる生活を手に入れた喜びの方が何倍も大きかった。
そんなわけで、春人は父親に対して嫌悪感以外の感情は抱いていなかった。母とともに家を去って以来、父親を訪ねたことも連絡を取り合うことも皆無だった。家族間での父の話題は暗黙のタブーだったし、父親がいたという事実を消し去るよう努めることで、自身の中で折り合いをつけてきた。
父親死亡の知らせを受けた後の数日間は、心ここに在らずの状態が続いた。
その翌日に面接のため訪れた会社の確かな立地でさえ、スマホ無しでは辿り着けない自信があるほどに覚えていないし、どうでもよかった。
自分がバッサリと拒否した父親の葬式やその他諸々が今頃どう進行しているのかが気になって仕方がなかった。
だから姉から再び連絡がきた時、春人には、例えば本命の大学の合格通知を受けるまでのどっち付かずの状態が終ったような、張り詰めていた糸が少し緩んだような感覚があった。
「取り敢えず、お葬式や埋葬までの形式的な事は終わったわ。お墓の場所は後でメールで送っておくから、その気になったら行ったらいいわよ。あとはお父さんの家なんだけど、お母さんはもうお父さんとは離婚してるから、相続権は子供である私とアンタにあんのよ。で、この先使わない不動産を管理してくのも面倒だから売却しようと思うんだけど。」
「いろいろありがとう。うん、その辺の金銭的な事とか手続きとかは俺いまいち分かんないし、あんな家のことなんてどうでもいいから、ねーちゃんの好きにしてくれていいよ。家売った金だって、俺はいらないから、ねーちゃんが全部取ってくれたらいいし。」
またもや厄介事を姉に押し付けることに罪悪感はあるものの、家を売ったお金を姉が全て得ることで相殺されるのでは?と自分を納得させようとしている春人に、だが愛子はギョッとするような事を頼んできた。
「あのさぁ、財産分与とか家の売却とかの細かい手続きは専門家雇って私がするからさ、アンタ、お父さんの家にあるモノ全部何とかして売りに出せる状態まで持ってってよ。」
「は?モノを何とかって、家を空っぽにしろってこと?!」
「うん、そう。実は私、三人目がお腹にいるのよね。だからモノ動かしたり持ち上げたり、とにかく体力消耗する事出来ないのよ。それに子育てでそんな事やってる時間もないわけよ。アンタ、就活してるからって毎日してるわけでもないわよね?てか四回生の冬で未だ内定もないって、もうこれ就職諦めてるってことよね?」
「・・・・・」
姉には全てを見透されているようで言葉が出ない。
確かに周りがしているという理由でタラタラと就活こそ続けてはいるが、実際自分がどんな職種に就けばいいのかのビジョンが全く浮かばない。こんな半端な心持ちでなんとなく就職したとしても、きっと直ぐに辞めてしまうだろうと簡単に想像できる。
大学の方も必要単位は前期までで全て取ってあり、卒業論文も既に提出済みで、後は卒業を待つだけの状態で時間だけはたっぷりある。
「いや、、、でもさぁ、そう言うのって不動産会社の人がやってくれるとかさ、、、。」
「は?アンタ何言ってんの?やってくれるわけないでしょ。あの人たちの仕事は菓子詰のお菓子を捌くんじゃなくって、箱のほうを売ることよ。家売るの自体は今直ぐにってわけじゃないから、ゆっくり時間かけてくれてもいいし。近いうちにこっちにお父さんの家の鍵取りに来て。分かった?あ、もう上の子お迎えの時間だから切るわね。」
自分の要求を一方的に浴びせて会話を切り上げた姉ではあるが、彼女の言い分は全くもって理に適っていて、春人には自分を擁護する言葉も、姉からの無茶振りを引き受ける以外の落とし所も見つけることが出来なかった。
自分が八歳まで暮らしてきた家であり、生前の父が住んでいた家に入った春人が目にしたのは、記憶の中の父からは想像もつかない程に雑然とした有様だった。
とにかく物、物、物が家中の棚や机やカウンターなどの上に積み上げ置かれてある。それらは何かの箱の山であり、食器の山であり、紙や本の山であり、床以外のスペースにほぼ余白がない。
よくよく見てみるとそれらの物は目的別、時間別と、ある一定の規則性を持って積まれてあるようだが、それでもあの潔癖気質の父が、これだけ多くの物で溢れ返った場所で平然と暮らしていけたのだろうか?と驚きを通り越して愉快にも思えてくる。
春人自身はある程度散らかっている場所の方が返って落ち着くが、それでもここまでゴチャゴチャしている環境でやっていくのは精神衛生的に好ましくない。
けれど一方で、家の有様が自分の想像を裏切ってくれたことにホッとしている自分もいる。この家のビシッと整頓されている光景は春人にとっては「恐怖」の代名詞のようなモノだったからだ。
「さてと、、、先ずは何をすんべ。」
この家は一階にLDK(リビング、ダイニング、キッチンが一つになったもの)、トイレ、風呂場、畳の客間、書斎があり、2階に寝室一室と子供部屋が二室ある典型的な間取りのものだ。子供だった自分には大きく見えた場所だが、今こうして見てみると、まぁ家族四人が暮らす家としては平均的なサイズだ。
作業の段取りをイメージするため取り敢えず全部屋を覗いてまわる。とにかく目に入る「物」の多さに眩暈がしそうになるが、救われる点が二つ見つかった。
一つ目は、積み上げられているのがあくまで「物」の山であって、「ゴミ」の山ではない点だ。腐ったモノや汚れたモノがそのまま放置されているゴミ屋敷ではない。
もう一つは、寝室と子供部屋が使用されていた形跡が全くないことだ。どの部屋にも物の山どころか家具以外の物が見当たらず、しかも全ての家具には透明のビニールシートが被されている。天井付近に糸のように連なった埃や多少のカビ臭さはあるものの、一階の有様に比べると幾分作業が簡単そうではある。
再びリビングに戻ってきた春人は、もっと具体的な作業手順のアイデアを得るべくスマホをコートのポケットから出した。
「断捨離」「家の片付け」「家財の処分」などで検索をかけて出てきた動画を観てみる。
二月も半ばで暖房の効いていない屋内で突っ立ったままスマホを覗いていると、当然だが身体が冷えてくる。
だが、それとは別の寒気を春人は感じていた。得た情報によって、今から自分がしようとしている事がとんでもなく大掛かりな事であると実感し始めた。
そもそも整理整頓、断捨離などは、選別ののち自分にとって不必要な物のみを処分することであって、言わば「掃除」の域を超えない。
昨今のSNSで見る行き過ぎたミニマリストならともかく、大抵の人はある程度の物に囲まれて暮らしている。その中で単に要らない物を減らす作業自体は、規模の大きさによって多少の違いはあれど要領さえ掴めばそれ程難しい事ではない。
しかしある空間を、ここでは家を丸ごと空っぽにするとなると、「掃除」とはまるで次元が違ってくる。
先ず、自分にとって要らない物を選べない。当然だ、ここにある物全部要らないのだから。
次に、何がゴミとして出せる物なのかそうでないのかの判断の基準が分からない。例えば、まだまだ使えそうな家具は?食器類は?家電は?車は?仕事関係の書類は?それが判断できたとして、一体どこへ持って行けばいいのか?市のゴミ処理場に丸投げしてもいいものだろうか?これだけを考えるだけでも既にキャパオーバーだ。
そうだ、手順云々以前に、「物を処理する」ということ自体の本質を理解出来てないままでは前に進めないんだ!今わかっていることは、自分一人の力ではとてもゴールまでは到達出来ないってこと。
「誰かの協力無しでは無理ゲーってことが分かったってだけでも、収穫はあったよなぁ〜。」
バスと電車とで片道二時間近くかけて赴いた現場で何も出来ずに帰ってきたその夜、春人はベッドで仰向けになってスマホで検索をかけまくっていた。その無理ゲーを可能にしてくれる協力者を探すために。
「あ、コレはどうだ?『不要なモノを指差して頂ければ、どんなモノでも即座に回収いたします。』いやいや、指差すどころか全部がそうなんだって!」
不用品を単に回収してくれる業者は手っ取り早くて使えそうな気もするが、何かが足りない感が否めない。
例えば車を手放す場合は、名義変更などの手続きが必要になってくるだろうし、まだ使える状態であれば中古車販売店に売りたいところだ。あと、台所用品や洗面用品、掃除道具などの細かいモノはどうなるのだろうか?
いずれにしても指差すまでにこちら側で準備しておくことが多いように思える。
「なんか惜しいんだよなぁ、、、的は当たれどど真ん中じゃないって言うか、、、。」
平成っ子である春人にしてみれば、ゴミの分別は生活の一部になっているので、ペットボトルをゴミ箱にポイはやっぱり気持ちが悪い。偽善を気取るわけではないが、何でもかんでもゴミとして廃棄してしまうのには抵抗がある。
もっと痒い所に手が届くような、、、在るべき物が在るべき場所に辿り着くような、それでいて、そのプロセスを効率よく進めてくれるような、、、
画面をスワイプし続けていいかげん人差し指が怠くなってきた頃、コレは!と思えるワードが目に飛び込んできた。
『貴方には空っぽにしたい場所がありますか?』
起き上がり即座にこのサイトに飛んでみる。気分が少し高揚しているのが分かる。サイトの内容が自分の期待に沿っているかどうかの答え合わせがしたくて前のめりになってしまう。
『住人を亡くした住居の家財の処理に困っている遺族や管理人の方、事情があってどこかの場所を空にしなければならない方、その他、倉庫の撤去や廃業時の工場やオフィスのなどの後始末etc、、、なんでもご相談ください。』
うんうん、ここまでは完璧だ!
『私たちがそんな貴方に寄り添います。』
ん?んんんん? なんなんだ、この謳い文句は?!
いやいや、こっちは手際よくあの家の物を処理してしまいたいだけであって、俺へのフォローとかは要らないんだけどぉ?こんなのはビジネスライクで距離感保ってもらえる方が有り難んですよ。
ここもダメだったかと脱力感に溜息を漏らしながら、もう今日はこの辺にしておこうとスマホを伏せかけた春人だったが、理由は分からないが、例の謳い文句の書かれたページの背景がなんとも晴れやかな空の写真だったのが気に掛かって、もう一度そのサイトを覗いてみる。
「、、、、取り敢えずメールだけでも送ってみるかな。」
『お問合せはこちら』のアイコンをクリックしてメッセージを送ってみる。
『初めまして。先日亡くなった父親の家を売却するために家財を全部処理する必要があります。一度相談にのっていただけるとありがたいです。佐藤春人』
我ながらシュッとまとまった文章だなと自画自賛していると、ピコンと受信音が鳴った。
「え?もう返信がきたのかよ。」
『お問合せを有難うございます。相談を希望とのこと、早速ですが今月の18日、21日、25日のうちの午前11以降で現場にて落ち合うことは可能でしょうか?お手数ですが、希望日時と現場の住所を記し返信をお願いします。』
迅速な対応もそうだけど、俺のよりもシュッとした文面だ!なにより擦り合わせ日時に適量の選択肢があるのが良い。
さっきまでの萎えた心がまた高揚してくる。春人は最も早い21日午前11時希望の旨と現場の住所、ついでに現場付近のマップに飛べるリンクを加えたものを返信した。
約束の時間ぴったりに聞こえたドアノックに応えてドアを開けた春人は、目の前に立っている人物を思わず凝視してしまった。
「初めまして、こんにちは。君が相談希望の佐藤、、、春人君?」
軽やかな口調で挨拶するその男性の長身でスラリとした身体の上には、華やかだが煩すぎない整った顔がある。全体的な雰囲気は少し軽薄そうな優男、そう、ホスト系だ。イケメンの年齢は不詳な場合が多いが、恐らく四十歳前後だ。
「は、はい、そうです。急な問い合わせにも関わらず、今日はご足労有難うございます。」
相手の空気と言うか、圧のようなものに呑まれて暫くは対応できないでいた春人だが、イカンイカン!と深々と頭を下げた。
(ん?)
顔を上げかけた春人の目に次に飛び込んできたモノは、その男性が着けていた青いエプロンの胸の部分にデカデカと描かれた2匹のネコの顔だった。
「?!ぺ、、、」
口をついて出た言葉を遮るように大きな掌が春人の前に出される。
「ああ、分かるよぉ!君が『ペットショップからの回し者かい!』って僕に突っ込みたい衝動に駆られてるってことはね!言わせてもらうと、コレは僕の制服のようなモノなんだ。人に接触する際の潤滑油と言ってもいい。ネコには人をホッコリさせる作用があるんだよ。ネット広告やテレビのコマーシャルにネコを出すだけで視聴率がグッと上がるという統計も出ているくらいにね。だから僕は自分の上質な容姿で相手を萎縮させないよう、こうして敢えてネコをプラスすることで自分の印象をホッコリに寄せているというわけさ。」
「いえ、批判してるわけでは!」(このヒト、今、自分のことを上質って言ったぁ??)
大袈裟な身振り手振りで言葉を並べ続ける相手の姿に圧倒されながらも、なんとかこの場の収拾を!と慌てる春人を察したのか、その男性はニッコリと口角を上げ、エプロン、いや制服のポケットから取り出した名刺を礼儀正しく春人に差し出した。
「自己紹介が送れて失礼しました。私、こういうモノです。」
「あ、頂戴します。僕はまだ学生なんで名刺の類は持ち合わせてはいませんが。」
早速受け取った名刺に目を通してみる。そこには
寄添い人 田山 信一
とだけ書かれてあった。
「タヤマ シンイチ、、、なんか、『名は体を表す』とはほど遠いですね。」
彼の見た目と名前の余りの不一致さに無意識に呟いていた。
(ハッ!初対面の人に対して何て失礼なことを。)「ス、スミマセン!」
「良いところに気が付いたね〜。僕は自分のこのフリガナの要らない単純かつ明快な名前がとても気に入っているんだよ。欲を言えばこのシンの漢字が例えば『真』だったら、『田山真一』でピタッと縦で折り合わせられる非常に気持ちの良い名前だったのになぁ〜。」
またまたジェスチェーが大きい。
「考えてごらんよ、僕みたいな容姿端麗なヤツが例えば『カンザキ トオル』や『マキシマ リュウト』みたいな尖った名前だったら、それこそイケ好かない野郎という印象が前に出てきてしまう。これは余談だけど僕の祖母はイギリス人だが、それにちなんで下の名前がジャスティンなどの横文字だった日にぁ、胡散臭さに拍車がかかってしまう!まるで詐欺師のようだ。」
(うわぁ〜、このヒト、自分の容姿の良さをひけらかすのに遠慮がない、ってかクセの強さがバグってる!)「そうですね、確かに『ジャスティン田山』は振り切った芸人か詐欺師ですね、ククク。立ち話もなんですから、取り敢えず入ってください。」
中を案内するために背中を向けて廊下を急ぐ春人に続きながら、田山は尚も喋りべり続ける。
「それそれ!だから僕はこのマルッとした名前は自分の武器だと思っているよ。君にも効果があったろ?」
「え?」
振り返った春人の反応を窺っているのか、田山はニィッと半笑いで春人の目を覗き込んできた。
「君は今僕に『お上がりください』ではなく『入って下さい』と言ったよね?丁寧語ではあるけど、もっと砕けた言い方になった。僕の名前を知るまではずっと尊敬語だったのに。これって、僕が少し君に近付けたって証拠だよ。」
「あっ、、、。」
田山に指摘されて、確かに彼に対する警戒心が無くなったことに気付く。
「僕は君の佐藤春人って名前も好きだなぁ。僕のと同じでフリガナ要らずで平凡で。特に春人って響きは心が温かくなって親しみやすい。きっと君の親御さんは、君がそんな人間になればとの願いを込めたんだろうな。」
「いや、そんなことは、、、。」
春人は胸がチクリとしたような気がした。この名前をつけたのは多分父親だろう。
「とにかく物の多い家なんです。俺一人ではもうお手上げって感じで。」
田山に家の状態を一通り見せた春人は肩で一つ息をした。
田山は特に構えた様子もなく、キッチンとダイニング付近をキョロキョロ見回しながら徘徊している。
「これは僕の勝手な印象だけど、君のお父さんてとても頭が良くって効率の良さを重視する人だったんじゃない?」
「え?あ、はい。そうだったと思います。少なくとも昔は。今は見ての通りで、きっとだらしない生活を送ってきたんだと。」
「それはどうかな。君のお父さんの場合は、物が増え過ぎて収拾がつかなくなったのでも片付けが面倒臭くなったのでもなく、敢えて物を収納してなかったんじゃないかな。僕の予測だと、キッチンなんかの殆どの棚の中には何も入ってないと思うけど。」
そう言って田山はキッチンカウンター上の備え付け収納棚の扉を順に開けていった。彼の言うように本当に棚の中には何も入っていなかった。
「、、、なんで?」
その光景と田山がその事実を見事に言い当てたことの両方に驚きを隠せない。
「いつからかは知らないけど、君のお父さんはどうやら脚を悪くされていた。玄関に杖が置いてあったし、下駄箱にあった靴の底の減り方具合で察しがついた。だから二階へ行く階段の上り下りも困難だったんだろう、家具の配置も一階のみで生活できるようなモノになってたよ。畳の部屋にベッドが置かれてあったろ?」
「あっ。」
言われてみるとそうだったような。物の多さに乗り物酔いみたいな感覚になっていたとは言え、そんな事も見逃していたなんて、、、。
「身体が不自由な状態が続くと、動かすことを極力避けたい気持ちが強くなる。出来れば毎日の物の出し入れなどの手間は減らすに越したことはない。加えて、一人暮らしで咎める者が誰もいないのであれば、わざわざ物を片付ける必要性は生じない。フフッ、君のお父さんは自分にとって最も効率の良い生活スタイルを選んだんだろう。」
それが何の山かを確認するように次々と物の山に触れる田山を、春人は上目遣いでまじまじと窺う。
このヒトは一体何モノなんだ?この短時間でこれだけの事を推察出来る洞察力ってどうよ?!
「あ、今、僕のことスゲェ〜!って思ってるでしょ?そうだよ、僕って凄いのよ。凄いついでに当ててみようか? 君って、お父さんのこと嫌いでしょ?嫌いって言うより、、、全然解らないんじゃない?」
チクリ。春人の胸にさっきのよりも大きな痛みが走った。
「、、、そうですね、嫌いだし、父のことは何も解りませんね。と言うか、今更解りたくもないですね。これから助けてもらう事になりそうだし、ここでの作業に必要になってくるかも知れないのでお話しします。」
最もらしい理由をつけてはみたが、たぶん本当のところは、誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。そして田山はその聞き手として適任であるように思えた。
「なるほどねぇ、じゃあ今回の件は君にとっては、単に物理的な作業が面倒だってだけじゃなさそうだね。」
となりで運転する田山が前方を見たまま言った。
話の流れで自宅の場所を田山に教えると、偶然にも彼の家も同じ方角であることが分かり、それならと帰りは田山の車で送ってもらえることになった。
「はい、だから俺にとってはあの家に関わるってだけでも苦なんですよ。正直、誰かが知らないうちに全てをどうにかしてくれると有り難いんです。」
投げやりに言葉を放つ。膝上で拳をギュッと握り締める。
「うーん、知らないうちにってのは、どの業者に頼んでもちょっと難しいかな。なんとなくは分かってるとは思うけど、先ずは家なんかの不動産は勿論、その中にある動産、つまりは家具や家電なんかの家財を全て相続権のある人が相続することになるんだ。今回の場合は君のお姉さんと君がそうだね。だから家財をどうこうする時点で、それらは全て君の所有物になってるんだ。いや、そうなったら委任状さえ貰えればこっちで勝手にやれなくはないんだけど、それでも全くノータッチでってのは稀だし、少なくとも僕はそんな手段は使いたくないな。」
「、、、ですよね。」
「一つだけ聞いてもいいかな?どうしてウチに連絡してきたんだい?」
「え?サイトで見つけたからですが。」
「ハハハ、そういう意味じゃなくって。いやね、極力関わりを持たずにちゃっちゃと片付けてしまいたいのなら、極端なはなし、『何でも屋』の類いを雇って全部ゴミ処理場にでも持ってって貰えばいいわけだよね?でも君はそれを選ばなかった。」
そう言えばそうだ。今回もお得意の丸投げを決め込めば自分は楽になれた。でもそれは良しとしなかったんだ。
春人は自分がスマホで必死に協力者を探している時に、自分が何を思っていたのかをなぞり始めた。
「全部を廃棄物として処分してしまうのって、、、なんか違う気がしたんです。単に目の前から無くなればいいってわけじゃないと言うか、、、物は在るべきところに行き着くべきだなって。」
春人は本来それほどセンチメンタルではない。ましてや物に魂が宿っているなどとは考えたこともない。物はやはり物であって、それ以上でもそれ以下でもない。
もしかして自分はちょっと恥ずかしい事を言ったのでは?と隣に座る田山の様子を窺ってみる。田山の横顔は満足げに微笑んでいるように見えた。
「よく分かったよ。それじゃあ、ここからはビジネスの話をしよう。10分程の時間、いい?」
田山は車を停車させてからエンジンを止めた。辺りはすっかり暗くなっていたので最初はここが何処なのかは分からなかったが、だんだん目が慣れてくるうちに、そこが春人の住む市営団地の敷地内であることが分かった。
「あの家を今日見た状態から完全に空っぽにするまでの作業を、全てウチが請け負うのを前提で話をさせてもらうよ。
先ず料金だけど、あの家の物の多さと種類を考えると、全工程に約一週間は掛かる。なので終了時に40万円支払ってもらうことになる。」
「よ、40万!?」予想を遥かに超える額に声が裏返ってしまった。
ネットで調べた際にこの手の業者の料金設定をいくつか見ていたので、家一軒分の大体の相場は予想してはいたが、提示された額はその予想の倍はある。その対比がなくとも40万は未だ学生の春人にとってはドえらい金額だ。
もしかして、人件費とか何かの手続き代とかその他諸々の必要経費を含めると、それが妥当なんだろうか?それにしてもこの恒久的デフレの日本で、一週間で40万円ってのはデタラメな額では??
「君、今、『あ、やっぱお断りします。』って選択肢が頭に浮かんだでしょ?まぁ、その選択肢は話を最後まで聞いてからでもいいんじゃない?」
「は、はい。続きをどうぞ。」
「ウチのやり方は『物を処分するのではなく活用させる』なんだ。君が言うところの『物を在るべきところへ辿り着かせる』かな。平たく言うと、あの家に残された家財のほぼ全てを需要のある所へ売り捌くっけわけ。そしてそこから得た利益を差し引いた額を君に請求するシステムさ。例えば物を売って得た利益が20万円だとしたら、最終的に君が僕に支払う額は40万−20万=20万円になる。どう?悪くはないでしょ?」
「悪くは、ない、、、ですね。」
確かにこれだと自分が予想していた相場になる。しかも物が需要のあるところへ行くというのも気持ちが良い。
「それを踏まえて、ウチが君に提供できるプランは二つある。
プランAは、活用できる家財の全てを僕が君から買い取る方法だ。そして僕がその買い取った物を独自のルートで売り捌く。これはその辺にある中古品買取店と同じ仕組みだから君にも理解しやすいよね。
君にとっての利点は、確実に一定額の利益を得られる事と、僕に売った時点でその額が判ることだ。だから最終的に僕へ支払う金額が明確に計算できる。
反対に不利な点は、買取額が低くなってしまうことだ。ほら、よく見るだろ?500円近く払って買った漫画本を中古本屋に売りに行っても、一冊50円ぐらいでしか買い取ってくれないってアレ。で、それが後日に200円で売りに出てるってね。これと同じで、例えば僕が君から1000円で買い取った物が上手くやって誰かに8000円で売れとしても、それが君の利益に反映することはない。頑張り次第で僕の丸儲けってことさ。」
「よく解りました。質問なんですけど、あの家にある活用できる物を田山さんに全部買い取ってもらったとして、幾らくらいになると思います?ザックリでいいんで。」
田山の独自のルートについてや品の査定方法など聞きたい事は多いが、春人にとってやはり一番気になるのはこの点だ。
「そおだなぁ〜、実際に査定するのは僕自身じゃないし、細かい物までは見てないから断言は出来ないけど、一通り見た感じだと最低でも18万円くらいにはなると思うよ。ガレージに未だ年数の新しい車があったし、置いてあった家具なんかも未だ状態が良かったから。」
(18万円か。悪くはないな。)最悪のシナリオでも田山への支払いは22万円に抑えられそうだ。
「で、プランBの方は?」
「おおっ、目つきが変わってきたね!
じゃあプランBだけど、こちらは『買い取り』ではなく『委託』。
君自身があの家の家財を僕の紹介するブローカー(売買仲介人)に委託することになる。
例えば、ブローカーが君のテーブルを5万円で誰かに売ったとして、君にはその売値の半値である2万5000円が入ってくるってわけさ。
この方法の不利な点を一言で言うと、リスクが伴うってことだ。各品が確実に売れるという保証がなく、いつ売れるのかいくらで売れるのかが分からないからね。まぁ、僕の紹介するブローカーはその道のプロだから、その辺はあんまり心配する必要はないんじゃないかな。査定時に幾らくらいで売れそうかの大体の目安もくれるしね。
で、利点だけど、もう分かってるとは思うけど、品が高く売れれば売れるほど、君への配当金が多くなっていく。場合によっては君に入ってくる額が僕への支払額を上回ることだってあり得る。」
「それって、、、俺に儲けがあるってことですよね。」
「まぁ、そういうことだね。」
ゴクリ。(はっ!?今、俺、生唾飲んだ?? やっべぇ〜、欲に目が眩んだように田山さんに見られてたら格好悪ぃ〜。)
慌てて咳払いをした後できるだけ自然を装って窓の外を見る振りをしてみたものの、(田山さんのことだ、多分俺の反応には気付いているだろうなぁ。)との予測はつく。
「僕は、その依頼主が余程の急ぎでない限りはプランBを勧めるようにしてるんだ。理由は明白で、上手くいけば僕への支払額プラマイゼロで事を運べるわけだし、さっき言ったように利益を得るチャンスもあるからね。確か君は大学四年生だと聞いているけど、卒業後の予定は入ってるの?就職先の研修が春休みにあるとか?」
「、、、実はどこにも内定もらってません。」
我ながら情けない回答だ、、、。またドンマイ!的なあるあるの言葉を掛けられるんだろうなぁ。ウンザリなんだけど。
最近はこの件については誰からも腫れ物扱いされていた春人なので、田山もまた同じような反応を示すのだろうと反射的に身構える。
「あ、それなら好都合じゃないか!」
「へ?」
田山は春人の就職先未定という残念な状態に同情を示すどころか、意に介していないようだ。なんなら喜んでいる節さえある。少し気が抜けるが有り難くもある。
「さっきも言ったけど、相続ってさ、完了までは場合にもよるけど、だいたい三、四ヶ月はかかってしまうんだ。
事務的手続きは君のお姉さんがやってくれるとしても、相続税を計算するためには家や家財の相続申告の必要がある。そのためにはそれらの価格を専門家に評価してもらう必要がある。まあ家財の査定のほうは家を空にするのと並行でやっていけばいいんだけど。
この上でプランBを進めるのは長期戦になると思うし、その間にちょこちょこ委託するブローカーたちとのコンタクトを取っていく必要もあるから、君が思ってる以上に忙しくなる。だから君がこの先フリーになるってのは非常に良い状況だと思うよ。まぁ前向きに考えてみてよ。」
田山は軽く手を上げ春人にバイバイをしてドアのアンロックボタンを押した。
「あ、はい。それじゃあ失礼します。送ってもらって助かりました。ありがとうございます。」
車を降りた時点で春人の答えは既に決まっていた。
一日目。
「よろしくお願いしまーす!」
現場前に停められた二台のワゴン車から降りてきた十名のスタッフが、田山を筆頭に玄関前にズラリと並んでいる。もちろん全員例のネコのエプロンを着けている。
「あ、こちらこそよろしくお願いします。」(うわっ、本当にユニフォームなんだ、、、。)
「どうだい、春人君、このお揃いの制服の効果は。これで君の前に並ぶ僕たちはただの烏合の集団ではなく、一つのチーム、いや、家族に見えるだろう?」
田山は満足気に両手を広げてジャジャーン!のポーズをとる。
「そ、そうですね。まぁ中にどうぞ。車のほうはそこの角を曲がって直ぐの空き地に停めてください。話は付けてありますから。」(この人のこういうのに一々反応を示していたらキリがない。)
ここは軽く流すのが得策だと悟る。
四月十日、快晴。
田山に初めて相談した日から実に二ヶ月近くが経っていた。
春人は結局就活をストップし、財産相続や父の残した会計事務所の事業引き渡しなどの手続きを姉に代わってすることにした。それは大正解だった。
先ず、父親の所有する全ての資産を把握する必要があり、そのための書類を入手する必要があった。
あと、父が遺言書を残しているかの確認はかなり重要だった。
遺言書は、証人の立ち合いのもと公証人と一緒に作成する公正証書遺言と、自分で作成する実筆証書遺言書とがあるが、もし父親が作成していたとすれば、前者ならその正書や謄本、後者なら原本がきっとどこかにあるはずだ。
以上を成し遂げるには誰かが父親の家に赴き、それらの重要書類を散乱している大量の物の中から探し出さなくてはならなかった。
それを全て姉、それも妊娠中に加え二人の子育てで超忙しい姉に任せようとしていたとは、、、。春人は自分の甘えや無責任さに海よりも深い自己嫌悪に陥った。
そんなわけで、自分を奮い立たせてその大仕事に挑んだが、幸運にもその大仕事は春人の心配を他所に開始第一日目にして終了した。
そもそも役所や金融関係などの重要書類の置き場所は、昔から書斎デスクの引出し内と相場が決まっている。春人も例に習って書斎デスクの引き出しを片っ端から調べてみると、その一つの中に銀行の貸金庫の鍵があった。
これは!と思い、直ぐさまその銀行に行き貸金庫を開けてみると、そこには遺言書をはじめ家の権利書、生命保険証券、株券等の明らかに重要書類であることが分かるモノが入れてあった。
父の遺言書には、自己の死亡時には会計事務所を現従業員の代表に引き渡す旨と、不動産を含む全ての資産を子供である愛子と春人に相続させることが示されてあり、それぞれの動産(預金、株、保険金等)の種類と関連会社の名称が記してあった。
それを元に法的手続きは滞りなく進んでいったが、今思うと、相続登記に必要な戸籍謄本等の書類を得るのに役所に行ったり、司法書士との面会や金融関連会社に平日を使って通うことも多かったので、もし就職していたとすれば、これらの作業は骨だっただろうし時間も随分掛かっていただろう。
聞くところによれば、相続税は相続時、つまり被相続者である父親死亡の確定日時より十ヶ月以内に支払うことになっているので、出来ればそれまでには家の売却を済ませておきたい。
そのために春人は今こうして田山という協力者と共に『家を空っぽにするぞ作戦』への火蓋を切ろうとしていた。
春人が招き入れと、ネコチームはゾロゾロと玄関先まできて、それぞれ制服のポケットから取り出したビニール製のシャワーキャップまがいなモノを自分たちの靴に被せてから家の中に入って行った。
(なるほどなぁ、これで土足でも家の中を汚さずに済むのか。プロって感じだな。)
さて、この人たちはこれからどう動くんだろう?と春人は純粋な疑問と、それから少しの好奇心とでこのスタッフたちを観察する。
すると、彼ら九名のうち二名がキッチン、四名がリビング・ダイニングエリアに入り、残りの四名は階段を上って二階へと消えて行った。
(この人たち、現場での自分の役割をちゃんと心得てるんだ!) 感心を通り越してワクワクしてくる。
「おーい、春人くーん。ちょっと悪いんだけど、玄関先に置いてある荷物を運び入れるの手伝ってくれない?」
玄関の方から田山の声がしたので、このまま目の前のスタッフの動きを見ていたくはあるが、自分だけ何もしないもの気が引けるので、そそくさと玄関に向かう。
玄関先にはプラスチック製の透明カラーボックスが蓋を取って重ねて積み上げられているモノと、それらと対になる蓋がいくつも置かれてあった。よく見ると、一番上のカラーボックスの中には、梱包用のビニール紐やハサミ、それと大型ゴミ袋が何枚も入っている。
「うちは基本、ダンボール箱は使わないんだ。一度使うとダメになっちゃうから。その点透明カラーボックスは何度も使えて、ネームタグを付けなくても中の物が明確だからね。コスパ最強。あとはゴミ袋がもっとエコになれば良いんだけど。」
二人して荷物をリビングルームに運び込み、まとめて床の空いているスペースに置く。田山がスマホで何かを打ち込むと、ピコン、ピコン、ピコンと屋内の各地で着信音が鳴り響いた。
どうやらそれらは各スタッフへの合図らしく、それまでそれぞれに自分の担当エリアの状態をチェックしていたスタッフたちが、次から次へと今しがた置いた荷物に向かって集まってきた。彼らは手際よく自分に必要だと思われる道具をピックアップして再び自分の持ち場へと戻って行く。
なんたるプロフェッショナル!春人は目の前で繰り広がる鮮やかなフォーメーションに心を奪われた。
「あのぉ、この人たちは熟練の社員の方か何かでしょうか?見たところ僕よりも若い人もいるようですが。」
「ああ、皆んなバイトだよ。ウチに登録している人たちで、仕事の日時や立地条件が合えば短期で助けくれるんだ。この現場には今日と明日の二日間で来てもらってる。単純作業で大量の物を捌くには人海戦術が一番だからね。バイトと言っても皆んな優秀だよ。見てみる?」
「はい、是非とも!」
田山は先ず春人をキッチンに連れて行った。
そこにはスタッフが二人(どちらも未だ学生らしき男子)いて、一人は流し台でひたすら大量の缶を開けている。もう一人は箱や袋に入った食品を選別後、一方はカラーボックスに、もう一方は容器から出してゴミ袋に入れている。どちらも驚くほど手が速い。
「ここに来ているバイトさんたちの仕事は、物を活用できるモノとそうでないモノとに分けて、ゴミのみを処分することなんだよ。
食品で言えば、生モノと封の空いている調味料は全部アウト。瓶モノ、缶モノ、乾燥物なんかの保存食でも期限切れモノは全てゴミになる。
ゴミになるモノは容器から出して生ゴミとして廃棄、容器は資源ゴミ中間回収所にまとめて持って行くことになる。
活用できる食品はカラーボックスに入れて、地元の子ども食堂や児童施設に寄付するんだ。」
「凄いですね。やっぱゴミがちゃんと分別されて出されるのって、依頼者の僕としてはホッとします。」
ここまで徹底したやり方は感心を飛び越えて感動モノだ。その他の物がどうなっていくのかをもっと知りたい気持ちがムクムクと湧き上がってくる。
「じゃあ、あそこに積まれてある鍋や調理器具なんかはどうなるんですか?」
早る気持ちを抑えるのが大変だ。
「ああ、破損が激しい物とよっぽど使い古したカテリーはゴミ扱いだけど、それ以外は全部売り捌けるよ。細かいことは後日に専門のブローカーが来た時に説明するよ。じゃあ、次行ってみよう。」
田山が次に春人を連れて行ったのはダイニング・リビングエリアだった。そこには四人の主婦らしき女性が作業していて、そのうちの一人は至る所に積まれてある書籍類を部屋の一箇所にジャンル別にまとめて置いている。
「承知だと思うけど、書籍類はもちろん売り捌くか、図書館やその他の施設に寄付する。」
春人が質問するより前に田山の簡単な説明が入る。
一方で別の女性が一人でタオルや衣料などの布製の物を一つずつ選別して、これもまた一方をゴミ袋へ、もう一方をカラーボックスに入れている。言うまでもないが彼女の手もべらぼうに速い。春人は説明を促すため田山に顔を向ける。
「フフっ、興味津々だねぇ。タオル類は箱に入った新品はブローカーを通して売りに出す。で、中古品は全て寄付。衣料品はねぇ、先ず下着類とクタクタに着古したモノは全てゴミ。その他はブローカーに査定させる。これも細かいことは後ほどね。で、残りの二人がしてるのは、、、。」
その二人に目を向けると、彼女らはメモ用紙、封筒と手紙、何かの広告、現像済みの写真などのいわゆる紙類を分類しパイル(一塊のグループ)にして、各パイルを更に選別している。しつこいようだが彼女らの手の速さも超人並みだ。
「おっかなビックリな光景だろ?彼女らが何をしてるか分かるかい?」
「、、、何かを選りすぐっているように見えます。ゴミにするもの以外をピックアップしてるっていうか。」
「ビンゴ!凄いね、春人君!」
田山の顔がパァッと明るくなった。ゲッツ!をされた春人は、ここでずっと気になっていることを指摘してみる。
「あの、、、俺たちって何時、アナタが俺のことを下の名前で呼ぶほど親しくなりましたっけ?」
「あ、それね。君の名前がありがち過ぎてさぁ、オォォーーイ!サトウくぅぅーーん!」いきなり田山の声がデカくなる。すると、
「はい?」「なんっスかぁ?」
本を運んでいる女性が振り返り、それから二階から男性の声が聞こえた。
「もう既にこっちにサトウが二人もいてさぁ。ややこしいから春人君で。やっぱ名前の力って凄いよねぇ、一気に距離がグッと縮まるんだもん。」
田山に悪びれる様子は微塵もない。そうそう続きね、と説明を再開する。
「紙類はね、データ化して残しておきたいモノ、例えば写真や郵便物の送り主の情報なんかがそうだけど、それらを彼女たちにピックアップしてもらってるんだよ。写真のスキャニングはまとめて業者に頼めるしね。重複してたり景色の写真は要らないから切り捨ててもらってる。
こんな感じで、重要書類以外の紙類はデータ化した後のモノも含めて可燃か資源ゴミとして全部処分できる。」
「はぁぁぁ〜、なんか凄いですね〜。」
春人は目に入る範囲をグルリと見渡してみた。各地にある物の山は着実にその数を減らしている。ソファの座席部分や背もたれに積まれていたブランケットや衣類はその姿を消し去り、やっと座れる状態になっている。キッチンに至っては、まだまだ対処する物は多そうだが、まぁこれなら簡単な料理はできそうだなと思える状態にまでには落ち着いてきたように見える。
「この様子だと、何か問題でも起こらない限りは、明日の作業終了時間までには目標達成できるかな。二階でもこれと同じような作業をしてもらっているけど、見に行く?とは言っても、二階にある部屋はどれもクローゼットや勉強机なんかの中にある物からゴミを選んで処分するだけだから、速攻で終わっちゃうよ。それが終わったら一階の畳の部屋と書斎に移動してもらうんだ。」
「あ、そうですね、なら二階はいいです。えぇっと、、、田山さんはこの後どうするんですか?と言うより、俺はこの後何をしたらいいかなぁ〜、なんて。」
せっかく二時間近くもかけて現場まで来たんだ、このまま何もせずに帰るのはなんだか勿体無いような気もする。スタッフに混じって作業の手伝いもいいが、彼らには彼らの段取りがあるだろう。自分が無闇に手を出して彼らのペースを乱してしまうのは憚られる。
「ああ、そうだねぇ、今日は午後から君のお父さんの会計事務所の人たちが来ることになってるんだよ。書斎にある仕事関係の書類を全部引き取ってもらうつもりだ。書類内容のバックアップはデータ化されてあるらしいけど、紙の方をどう処理するかは彼らに任せるのがベストだからね。だからできれば君に立ち会ってもらえると有難い。その前にお昼に行こうと思ってるんだけど、君も一緒にどう?」
「あ、はい!実は朝からバタバタだったんで何も食べてないんですよ。」
「ハハハ、じゃあ何かガッツリ食べれる所に行こうか。車まわしてくるよ。」
この二ヶ月の間、果たしてちゃんとコトが上手く運ぶのだろうか?と人生初の大プロジェクトに対する漠然とした不安を抱えてきた春人は、それが形として動き始めたを目の当たりにしたことで、やっと地に足がついたような、自分はするべき事をちゃんと軌道に乗せているのだという自信を得ることができたのだった。
二日目。
「あれ?春人君、今日も来たの?」
昼過ぎに現場に顔を見せた春人に田山は目を丸くしている。
「あ、はい。やっぱ現場の状況がどんな感じに進んでるのかちょっと気になって。あ、わざわざではないんですよ。今日は午前中にこっち方面に用事があったから、そのついでと言うか、、、。」
自分たちの家(相続により)に来るのに何を言い訳がましくなってんだ俺は?な気もするが、「用もないのにヒマジン?」と思われても嫌なので口数が多くなる。
事実、午前中は春人の自宅と現場のほぼ中間地点にある姉の愛子の家に、母親からの預かり物を届けに行っていたので、丸っ切りの嘘ではない。愛子のお腹は妊婦だと分かるくらいには大きくなっていて、ますます自分が率先して動かねば!との喝を春人に与えた。
「僕も今ここに着いたところだよ。言ってくれれば途中で拾ったのに。ほら、見ての通り作業は順調に進んでるよ。」
確かに田山の言う通り、物の山は見事に影も形もなくなっている。その代わりに、種類ごとに分けられた物が詰めてあるカラーボックスが行儀良く積み重ねられ並んでおり、たくさんのゴミ袋が一箇所に固められて置かれてある。
「今日はこれからこのゴミをワゴン車でゴミ処理場と資源ゴミ中間回収所に持って行くのと、寄付できる食品を各施設に配達する予定になってるんだ。スタッフがグループに分かれてやってくれるから、僕が行く必要はないんだけどね。」
「え?じゃぁ田山さんは何しにここに来たんですか?」
「おっとぉぉぉ!春人君、君は僕がここにスタッフたちを冷やかすだけの為に来たとでも思ってるのかい?僕はそれほどヒマジンではありませんよぉ!」
今日も田山のジェスチャーはキレッキレだ。
(ンなこたぁ誰も言ってねぇよ!)「いや、単純に田山さんがこれから何をするのかが知りたいだけですよ。好奇心ってヤツで。」
「あ、良かったら君も来る?僕は写真をスキャニングしてくれる業者に行く予定だから。でもそうだな、春人君がここにいるなら、折角だからその前にやっておきたい事があるんだよね〜。」
「?俺がここにいるからやっておきたい事??」
「まぁいいからいいから。」田山は意味深に親指で春人に書斎へ向かうよう促した。
書斎からもすっかりと物の山がなくなっていて、床にいくつかのクリアケースが並べて置かれてあるだけだった。驚いたことに、書斎デスクの上に置かれていたパソコンとその周辺機器が全てなくなっていた。
「あの、そこにあったパソコンとかその他の物はどうなったんですか?アレってここの家財だと思うんですけど。他の部屋へ移動させたとか?」
「ああ、アレね。昨日君が帰った後になって分かったんだけど、パソコンとその周辺機器は会計事務所の名義になってるんだよ。だから事務所の所有物として回収されたんだ。
事務所の人が教えてくれたんだけど、君のお父さん、ここ数年は在宅で仕事をされていたそうだよ。亡くなった時には確か、、、六十四歳だったよね?ダイニングにあった処方薬の数から考えて、健康も崩されてたようだ。それで足も不自由だったのなら通勤は簡単ではなかっただろうしね。」
グゥッ。突然喉の奥が詰まったような感覚に襲われた。
それは一瞬で消えたので何だったのかは分からないけれど、春人には自分の胸が少しだけザワついているとの自覚はあった。
自分の記憶の中での父親は、いつでも凛としていて隙のない大人の男性で、身体が弱く年老いていく男性像とはほど遠い。家族という枠組みの中で「父親」のパートを担っているだけの、もっと無機質で抽象的な存在だった。
だから自分や家族を苦しめてきた父には嫌悪感しかなかったし、それ以外の感情を持つ必要はないと思って、、、いる?
「取り敢えずこれで拭こうか。」
「?!」
目の前が急に明るくなった。見ると目の前にグレーの四角い何かがあって、それが田山が自分に差し出してくれたハンカチだと分かるのに時間がかかってしまった。また下唇をいじりまくっていたようで、親指と人差し指に薄らと血が付いている。唇を舐めると鉄のような味がする。
「、、、スミマセン。ちょっと手と顔を洗ってきます。直ぐに戻ってくるんで。」
素早く洗面所で手と顔を洗って書斎へと戻ってくると、田山は床にしゃがみ込んで、床に置いてあるカラーボックスの中から写真を何枚か取り出して眺めていた。
「最近じゃあ写真なんて皆んなデジカメかスマホだから、ネガの写真を残す人は少なくなってきたけど、君のお父さんの世代だったら昔に撮ったモノがどっさりあるよねぇ。始末するほうは大変だけどさ、本人にしてみれば自分が生きてきた証拠みたいなモノだから、やっぱ処分はし辛いよね。ほら、君も見てみる?」
田山から手渡された何枚かの写真を見てみると、そこには若い学生風の男性が写っている。確かに顔は父だが、おかしな言い方だが、父ではない。その学生は友人と肩を組んで満面の笑みを浮かべている。
また胸がザワついて、手の中にある写真を乱暴に繰りながら見ていく。それらにはカメラを抱えておどけたポーズを決めている若い頃の父や、サーフボード片手にピースサインをしている父の姿があった。
「君のお父さんはカメラを抱えた姿の写真が多いよね。」
田山に渡された一枚の写真の裏には父の字で『目指せ、世界を飛び回る写真家!』とマジックで書かれてあった。
「あるあるなんだけど、駅員さんは駅員さんで、交番のお巡りさんはお巡りさんで、その人たちにプライベートな時間があるって考え難いよね?制服を着ている人たちって、一人の人間としてカウントされ難いそうだよ。これと同じで、自分の親だって一人の人間じゃなくって『親は親』って考えてしまいがちだから、親が誰かとチューしてるとことか想像するとオェェ!ってなっちゃうんだよねぇ。」
写真を手に固まっている春人の横で田山はその他の写真を眺めながら、春人を変に気遣うでもなく、言い聞かせるわけでもなく、世間話をするかのように淡々と言葉を続けた。
その後春人は、予定通り写真の入ったカラーボックスを業者に届ける田山に同行し、そのまま車で家まで送ってもらったが、その間もずっと胸のザワつきが続いていた。
それが何なのかが不可解だったが、夕飯を食べ風呂に入って部屋でベッドに落ち着く頃には頭も冷えてきて、ようやくその答えに行き着いた。
そうか、俺は戸惑っているんだ。
田山が言うように、写真には父が一人の人間として生きていたという事実が残されてあった。
父にも若い頃があって、当然だけど今の自分と同じ年齢の時もあった。他の誰とも変わらない写真家を夢見る一人の学生だったんだ。今の自分と同じように感情の起伏に疲れることだってあっただろうし、好みのタイプの女の子が隣の席に座っているとソワソワしてしまったこともあるかも知れない。
でもそれが分かったからといって何が変わるというんだ。父が自分や母や姉にした事が帳消しになるわけではないし、千歩譲ってそうなったとしても、父はもう亡くなっている。だったら自分は何をしたいんだろうか?いや、何をしたかったんだろうか?父に謝ってほしかったんだろうか?それとも父に謝りたかったんだろうか?
自問自答をしてみたものの、その着地点が全く見つからず気持ちが悪かった。
気持ち悪いといえば、、、
「田山さんの『やっておきたい事』ってなんだったんだろう?」
三日目。
「いやぁぁぁ〜、あっついねぇ〜。暑い暑い!ついこの間までは朝夕にフリースが要ったのにもう既に夏日だ。春はどこに行ったんだろうねぇ〜?」
ノックも挨拶もなしでいきなり春人に迫ってきた大柄の中年男を相手に、春人はどう返せばいいのか分からない。
その人物は真っ赤なアロハシャツに半パンの出立ちで、こめかみや鼻の下に大量に汗をかいていて見ていて暑苦しい。がっしりと太い腕や脚は毛深くまるで、、、
「おークマさん、相変わらず暑苦しいねぇ。」
「お前も相変わらずチャラチャラしてんなぁ。そのエプロンがなきゃホストかヒモにしか見えんわぁ。」
「ありがと!その遠回しなエプロンの褒め方!」
奥の部屋から現れた田山と二人戯れ合う姿に、もう対応する気にさえならない。
「あ、紹介するよ、こちらが依頼主の佐藤春人君。で、こちらは家具専門ブローカーのクマさん。」
(イヤイヤイヤイヤ)「クマさんって、、、ちょっと田山さん、俺はいいとして、この人もちゃんと名前で紹介してあげてくださいよ!いくら似てるか、あ、いえ、そうじゃなくって。」
「うん、だからクマさん。」
「へ?」
「この人の名前、熊幸男っていうの。めちゃめちゃ律儀だよねぇ、名前に見てくれを寄せてくるなんてさぁ。」
「おうよ!お前の小賢しいエプロンとは違ってこちとらプロだからな!」
また二人して戯れ合う。
(それにしてもクマさんも田山さんに負ける劣らずクセが強い。類は友を呼ぶとは正にこの事だな。)「あの、そろそろ本題に入りませんか?」
昨夜田山からメールが入り『明日合わせたい人が数人いるので、午前11時までには現場入りして下さい。春人君にとっては重要な案件ですので、必ず参加するようお願いします。』とあったので、気合を入れてやって来た。
春人が家財の処理方法として選んだのはプランB、つまり委託方式だ。
姉に代わって遺産相続から家の売却までの工程を自分が率先してやり遂げると決めたのだ。そのために就活も中断した。
こうなったら家財のほうもプランAで田山に任せてしまうより、プランBでとことんやってやろうじゃないか!と鼻息を荒げたのもあるが、田山と会ったことによって、春人の中で何かが変わったのが大きな理由だった。
田山に教えてもらうまでは、春人は家財に相続税が掛かることも含めて、遺産相続の仕組みついて何も知らなかったし、そんなのは自分とは別世界のモノだと思っていた。成人しているとは言え春人は未だ学生なので、社会の仕組みについては知識不足経験不足ではあるが、それをいいことに自分はそのルールに沿って行う厄介な事面倒な事から逃れられる心持ちでいたのだ。
要するに自分は甘ったれた子供だったんだ。
それを強く自覚すると恥ずかしくなった。変わりたいと思った。
「ほうほうほう、なかなか良いモノが揃っているじゃないか。査定するのが楽しみになってくるよ。」
各部屋を巡って家具を一通り見終わったクマは満足気な声をあげた。春人もクマについて家具を見てみたが、春人からすればどれも特に何の特徴もない平凡なモノで、一体これらのどこにクマを楽しませる要素があるのだ?状態だ。
「佐藤君と言ったね。先ずは相続申告のための家財の価格評価がいるんだったよね?この家にある家具と家電その他の雑貨全部まとめて、そうだねぇ、12万円ってところだね。」
「え?12万?!」
「ん?それは評価が低過ぎてのビックリ?高過ぎてのビックリ?」
「もちろん低過ぎてのビックリですよ!ちゃんと数えてないけど、ここには家具が二十台はありますし、家電だって大小合わせてたくさんありますよ。ここにあるフラットスクリーンのテレビだけでも店でだったら4〜5万は掛かりますよ。しかも『全部まとめて』って、そんなザックリでいいんですか?」
この人本当にその道のプロなん?とクマのあまりの適当さに面食らっている春人に、クマは暑苦しいが涼しげな顔(あくまで比喩的表現)で答えた。
「うん、これで良いんだよ。テレビのその4〜5万ってのは新品時の売値でだよね?資産の申告の際、減価償却、あ、分かる?時間の経過によって資産の価値が下がることを言うんだけど、例えば家電で言えば、どんなに高い金払って買ったモノでも6年以上経つと価値が0円って計算ができるんだ。家具も似たようなモノだな。だからここでの場合は、車とか宝石類、美術品、ブランド品なんかの減価償却後の単品での価値が5万円以上のモノは個別で計算しなきゃならないけど、それ以外は『家財一式: 〜円』ってどんぶり勘定で申告できるんだ。一般家庭の家財一式の平均は大体10〜15万円ってところだから、ここの評価もそれくらいってことで。」
「あ〜、なるほど。そうなんですね、知りませんでした。」
確かに、車でも買って一日乗っただけで価値が新車の半額になるってケースもあるくらいだ。クマによると、相続した家財の申告は『申告漏れがない』という事実が重要なことであって、その細かい内訳はそれ程重要視されていないとのことだ。
「俺は家具専門だから、その他の装飾品とかブランド品とかの評価は後から来る奴らにやってもらって。あ、表にあった車は車種と年式さえ分かれば、同条件のモノがいくらで売られているかをネットで調べられるから、自分でやったらいいよ。さて、じゃあお楽しみの家具の市場価格の査定と行きましょうか!」
市場価格とは、買い手が実際にその商品に払う価格のことで、その商品が新品であるか中古であるかには関係なく、買い手側がその商品自体にどれだけの価値を見出せるか(付加価値)で決まる。例えばアンティーク家具や美術品なのどに付けられる価格がそうだ。
「いいかい?これはあくまでそれぞれの家具がどれくらいの値段で売れそうかの見積もりだから、必ずしもその価格通りに売れるって保証はないからね。」
クマはズボンの後ろポケットからスマホを取り出し、各家具の写真を撮りながら、それぞれの家具の査定価格とその理由を春人に教えてくれた。
「でもね、大いに期待してくれてもいいからね。ここにある家具の多くはデンマーク製の60年代チーク材のモノで、日本を問わず海外でもファンが多いんだ。例えばこの食器棚なんて、そうだな、20万円以上で売れるよ。」
えぇぇぇぇ!!こんな特殊機能も付いてないただの木製家具が新人社員の月収と同じかよ!?食器棚ってただ食器を収納する棚だよな?マジかよ??
春人の素直な反応が面白いのか、クマはなぜかドヤ顔だ。
「売り方次第では今教えた価格よりもグッと上がるよ。君のお父さんは随分と趣味が良かったのか先見の明があったんだねぇ。何にしても君が委託方式を選んだのは大正解だったね。もしもプランAを選んでたら田山の一人勝ちだったと思うよ。まぁ、プランBでもヤツには金が入ってくるから、どちらとも言えないんだけどね。」
「え?田山さんにも金が入るって、それどういう意味ですか?」
「ヤツから聞いてないの?これはヤツと俺たちのようなブローカーとの契約での話だけど、売値の五割が依頼者、四割がブローカー、そして一割がヤツに配当さるんだ。例えばここの家具全ての売上が200万円だとしたら、君には100万円、俺には80万円、そしてヤツには20万円が入ってくるってことさ。俺らに比べると20万円は少ない響きもしなくはないけど、何もせずに何の元手もなしで20万が入ってくるんだから美味しい話だよなぁ。」
「ザッツ ビューティー オブ ビジネス!」
部屋中に響くハイテンションな声とともに田山が姿を見せた。
「春人君、君は今、僕のことを何もせずして漁夫の利を得るズル賢いヤツだと思っているでしょう?でもね、これがビジネスの美しいところなんだよ。
僕のおかげで君は二束三文だと思っていた家財を驚きの高値で売って利益を得ることができる。クマさんも然り。ついでに僕もほんのちょっとのお裾分けを得ることができる。ウィンウィンじゃあないか!」
そう言われてみると、ここにいる全員が得をすることになるのだから、田山さんの言い分は間違えではない気がする。この人抜きでは俺がクマさんのようなプロには出会うことはなかっただろうし、それこそ家財一つ一つの市場価格?ってのも知らないまま中古買取業者に安値で売る羽目になっていたかも知れない。
それでもやっぱり、この田山さんって食えない人っていうか、やり手だよなぁ。などと思っていると、
「こんちわ〜っす。誰かいるぅ〜?あ、いたいた。ひょっとして俺が最後?」
と、やはりこちらもノックなしでハイテンションなオッサンの声が玄関から近づいてくる。声の方に目をやると、ド派手なピンクのジャケットを羽織ったひょろっとした中年男がリビングに入ってきた。
「ここ数日でグッと暑くなったよね〜。もう日本には春と秋はないんかい!って突っ込み入れたくなっちゃうよ。」
「ホリさん、その通気性悪そうなベロアのピンクのジャケット脱げば、大分涼しくなると思うけど?」
「いや、お洒落って我慢の犠牲の上で成り立つモノだからさぁ。クマさんもオッツー。相変わらず暑苦しいねぇ。」
「お前には言われたかぁねェなぁ。」
(デジャブ??)「あの〜、お取り込み中スイマセンが、こちらはどちら様で?」
今度は三人でちょっと前に見たような絡みを始めた中年男たちを止めるべく、春人は挙手をした。
「ああ、ゴメンゴメン。こちらは依頼者の佐藤春人君で、この難波の商人風味の人はコレクション雑貨専門の堀川さん。」
田山に紹介された堀川は、ジャケットの内ポケットから名刺を取り出し春人に差し出す。印象を裏切らない金色の派手な名刺だ。そこには
コレクト屋 堀川 優
と書いてある。
「??コレクト屋?」
「そ。ブローカー間での俺の俗名。 ちなみにこの暑苦しいオッサンは家具専門だからカグ屋、他にも衣類と装飾品を扱うフク屋ってものいるよ。」
「へぇ〜、面白いですね。でもそれだと俺みたいな一般人には何をしている人たちなのかが分かり難いから、仕事が入ってこないのでは?」
田山もそうだったが、彼らの欲のない肩書きには首を傾げてしまう。
本当に首が傾いていたんだろう、田山が親切にもその謎を解いてくれる。
「これで良いんだよ。僕も含めて、この人たちは皆んな自分のネットワーク内で仕事を取ってるから。需要があるからそれで成り立ってるし、ピンポイントで仕事が入ってくるから効率も良いんだよ。それに、、、」
ここで田山はニッコリと微笑んで春人の肩を叩く。
「君のように、興味を持って連絡してくれる人もいることだし。」
確かに近年では、自分のようにネットから得る情報だけで物を買ったり人を雇ったりすることはよくある。
それでも『貴方に寄り添います。』などというおかしな謳い文句を見たうえで、田山にコンタクトを取ろうとする人は少ないだろう。
もしかしたら田山は敢えてその謳い文句を掲げているのかも知れない。それを本当に必要としている誰かが接触してくるだろうと見越して。
こんなことを考えると、自分が見事にその網に掛かった獲物みたいに思えてきて恥ずかしくなり、慌てて話題を変えてみる。
「そ、そのフク屋、、、さんでしたっけ?その人は今日ここへは?」
「ああ、彼女は明日の午前中になるってさ。どんな人か知りたい〜?」
「はい、そうですね。」
「グフフ、『ベラ』みたいな人だよ。」
カグ屋のクマと同じく、コレクト屋のホリもまた自分の専門分野であるコレクション雑貨についての知識が高かった。そして彼も一つ一つの物に市場価格の査定額とその理由を教えてくれた。例えばコレクション雑貨はコレクター側が見出す付加価値が全てだということ。
「極端に言えば、実際にあることなんだけど、アイドルの息を詰めたただのビニール袋が10万円以上で売れるとかだね。普通はただの「息」に大金を積む人はいないじゃない?でも買った人にとってはその「息」は10万円払う価値があるってことだよ。
ぶっちゃけ、付加価値さえ付けばそのモノ自体の実際のパフォーマンスやクオリティーなんてのは関係なく値段は跳ね上がる。ゴッホの絵画だって、彼が生きている時に売れたのは、彼の友人が友達のよしみで買ったたった一枚だけだった。それが彼が亡くなった何世紀も後になって認められて、作品の値段は史上最高額を叩き出すほどまでに上昇したんだよ。」
「なるほど〜、奥が深いですね。で、ここにある雑貨の中でホリさんが一番興味があるのはどれでしょうか?」
「それって、値段には関係なく俺が唆られるモノってことだよね?そうだなぁ、いくつかあるし、甲乙つけ難いんだけど、先ずはコレかな。」
そう言ってホリが指差したのは、春人が未だこの家にいた頃父の書斎に置かれていたレコードプレーヤーと、棚にビッシリと並べられてあったたくさんのレコードだった。
「このプレーヤーは愛好家なら誰れも知っている『マイクロ』の製品なんだ。しかも状態がとても良い。このモデルだと15万円はいくと思うよ。
で、レコードも希少価値のあるモノがいくつかある。例えばレゲイの神と呼ばれるボブマーレイやジャズの王様なんて崇められるマイルスデイビスのモノもあるし、国内で言えば80、90年代に人気絶頂だったのに直ぐに引退してしまったアイドルのモノまであるよ。まとめてレコード喫茶に捌くのもいいけど、単品でも良い値がくつモノも多いから、オークションってのも有効かな。」
そう語るホリの目が爛々としている。きっと彼自身もレコード愛好家なんだろう。
「お次はこれかな。」
ホリの指差すその先にあったのは、きちんとそれぞれのケースに入れられてカラーボックスの蓋の上に置かれてある5つの時計だった。
(ああ、高級時計ってわけね、、、。)
ブランド品に疎い春人にも分かりやすい例だ。
「これは見ての通り高級時計だけど、注目すべきはちゃんとケースに入っていて、しかもそのケースを入れるためのメーカのロゴ入りの紙箱まで取ってあるってことだよ。コレクターがより注目するのは『希少価値』の有無だからね。同じ状態の同じ品でも、箱ががあるのとないのとではその価格に大きな差が生まれる。限定記念品とか著名人の直筆サイン入りなんてコレクターにしたらヨダレものだ。値段だけで言うならこれらの時計がトップだね。でもさぁ、、、。」
ここでホリは苦虫を噛み潰したような面持ちになる。
「高級時計ってグレーゾーンなんだよねぇ。俺的にはコレクター雑貨に入れるんだけど、フク屋とカチ合っちゃうんだよねぇ〜。」
クフ屋とは衣類や装飾品を専門とするブローカーのことだ。
そうか、確かに高級時計を集めるコレクターもいるけど、本当の目的は身につける為のモノだから、衣類、装飾品のカテゴリーにもなれる。
目から鱗で、春人は気分が上がる。
目の前のホリは逆に気分が下がっているようだ。
「あのフク屋とやり合うのは骨なんだよねぇ〜。あのベラは譲ってはくんねェだろうなぁ〜。怖ェなぁ〜。」
ここでもベラって呼んでる。しかも「怖い」って何だ??
一抹の不安を覚える春人だった。
こんな感じでブローカーたちについて回って家財の市場価格とその説明を聞くだけて丸一日が過ぎてしまった。
ブローカーたちから学ぶことは多く、どれも非常に興味深いものだった。特におもしろかったのは、付加価値が期待できない家具や家電、雑貨にもちゃんと良い値でまとめて買い取ってくれる業者があることだった。
「撮影用舞台装飾って呼ばれる、ドラマや映画なんかで出てくる家とかオフィスのセットを制作する業者があってね、そこに売り捌くんだよ。大正初期が時代設定の映画でまさかイ○ヤの家具は置けないだろ?その時代設定にあった雑貨や家具、例えば80年代までは当たり前だった黒電話も貴重だよ。」
ブローカーたちは明日か明後日のうちに自分が受け持つ家財を引き取りに来ることと、それぞれの品の名前と画像、そして査定価格をリストにしたモノをデータで送ってくれることを約束してくれた。
春人の年齢で親と学校の先生以外で関わりを持つ大人はそれほど多くはない。せいぜいが親戚かバイト先の目上の人くらいだ。そしてその大人たちは皆んな「自分を世話してくれる立場の人」だった。
だけど今目の前で戯れ合うこのクセの強い大人たちは、春人がこれまでの日常生活の範囲を超えたところで関わり合う、田山の言うところの『ビジネス』をする相手だ。
春人は今、数ヶ月前の自分では想像も出来なかった事をしていて、関わらなかっただろう人たちとこんな形で一緒の空間にいる。
この機会を与えてくれた田山さんには感謝しているし、この人に出会えて本当に良かった。
そんなことをしみじみ思う春人だった。
四日目。
ベラが立っている。俺の目の前で仁王立ちになって俺を見下ろしている。
『家を空っぽにするぞ作戦』もいよいよ折り返し地点を過ぎ、随分とこざっぱりしたリビングルームでフク屋こと紅花蘭子と対面した春人は、彼女の圧倒的なオーラに負けて立ち竦んでいた。
「初めまして。私、衣類・装飾品専門のブローカーの紅花というモノです。貴方が今回の依頼人とお見受けしますが。」
(一見礼儀正しいけど、このセリフは決して顎を上げまま相手を見下げて発せられるモノじゃないよな?!)
昨日のブローカーたちとは打って変わって春人にきちんと(?)挨拶をしたこの女性は、とんでもないインパクトの持ち主だった。
とにかく目力が強い。そのマツ毛びっしりの大きくつり上がった目で見られると心臓がギュッと萎縮してしまう。そして口がデカい。真っ赤な口紅を塗った唇は顔の総面積の半分は占めそうな勢だ。極め付けは背が反則なほどに高い。推定180センチぷらすハイヒールはまるで、
(そうだ、ダチョウだ!ダチョウと形容するのが一番だ。)ピッタリの言葉が見つかって自己満足に浸っている春人に向けて、ダチョウは人差し指と中指とで挟んだ名刺をスッと差し出す。
「ちょ、頂戴します。あ、田山さんが来たみたいなので呼んできます。」
一人でこのダチョウと対峙するには自分はあまりに未熟すぎると、頼りの田山のもとへ向かう。
「あ、ベラさん、もう来てたんだ。どうもどうも。」
「ちょっと、田山さん!親しいとは言え女性に対してそれはどうかと!」
邪気のない顔で彼女に手を振る田山に春人は慌てふためく。
「だってベラだもん。[ベ]ニバナ [ラ]ンコで、ベラさん。」
「あ、、、あ〜ねぇ〜。」(確かに納得。)
「早速ですが、先ずは宝石及び貴金属のほうを拝見できますでしょうか?」
ベラの催促に応じて、田山が彼女を衣類、装飾品をまとめて置いてある畳の部屋まで連れて行く。春人ももちろん同行する。
部屋に入るとベラは迷うことなく装飾品が並べられてあるベッドにツカツカと向い、小さな虫眼鏡のようなモノを片手にいくつもある宝石と貴金属を一つずつ順番に時間をかけて見た後、鞄から取り出した小型のノートパソコンに何かを打ち込み始めた。
彼女の背中越しに画面を覗いてみると、それは各宝石と貴金属の種類と査定価格、そして市場価格とのメモ書きだった。
「後ほどこれらの正式なリストに委託依頼書を加えて送らせていただきますので、お目通しの上、署名と捺印のほうお願い致します。これ以外のお品についても同上ですので。」
タイピングをしながら春人に目もくれず、事務的な口調で続ける。
「はい、ありがとうございます。」
「お礼はこれらの品が売れた後にでもどうぞ。さて、次は靴、鞄類を拝見致します。」
彼女の段取りを承知しているのだろう、田山が既に部屋の隅に置いてあるいくつかのカラーボックスの蓋を開けて待っている。
ベラは素早くノートパソコンを閉じると、タイピングのために脱いでいた白の手袋を再度着けて田山とカラーボックスの元へササッと移動した。
彼女は鞄を布っぽい袋から丁寧に取り出して、外側と内側の両方をあらゆる方向から念入りに見る作業を何度も繰り返した後、ボックスに入っていた計八つの鞄を四つずつ左右に分けて床に置いた。恐らくこれで全部なのだろう。
春人は鞄にもブランド品にも興味はないのでよくは分からないが、これらの色も大きさもバラバラな鞄は全て女性用のモノだということくらいは分かる。つまりは母が昔使用していたモノということになる。
「どれも世界的に有名なブランドのモノで申し分ないお品です。特にこちらの右手に置いた四つに関しては、限定販売されたなどの希少価値がありますので、ザッと見積もっても中古としての買い取り価格、つまりは資産申告の額は八つ全部まとめておよそ150万、市場価格ですと軽くその3倍以上にはなります。」
(ということは、、、これだけで450万以上!?)
これには驚きに加えて恐怖すら感じる。
動揺を隠せないでいる春人を置き去りに、ベラはさらに言葉を続ける。
「どれも非常に状態が良いものばかりで感服いたしました。ほとんど使用されておらず、保存状態が良かったことと存じます。」
そりゃそうだ、俺たちがこの家を去って以来ずっとクローゼットの中で眠ってたんだから。
ベラの言葉が春人にこの家を去った当時のことを思い出させた。
父から去っ後に春人たち三人が暮らし始めたのは、春人が現在も母と暮らしている市営住宅だった。
そこにあったのは食卓セットといくつかの収納棚だけの最低限度の家具と布団が三組だけで、ベッドや勉強机などの他のモノは生活して行く中で徐々に足していった。
もと居た家から持ってきたのは、姉と春人の当面必要な衣服と筆記用具くらいのもので、生きるため以外の余分な物、例えば装飾品や本や自転車などの「趣味的雑貨」は全て残してきた。
母は親戚知人から少しずつ援助を受け、パートで働きながら介護士の学校に通い、職を手に入れた。春人の見えないところで色んな苦労があったと思う。
今から思えば、もしも母が目の前に並んでいるこれらのブランド品や装飾品を持ち出せていれたなら、それを売ったお金で金銭的な苦労は軽減できたかも知れない。
「家の権利だけじゃなく、こんなモノまで母さんから取り上げるなんて!」
怒りが沸点に達して、気がつくよりも先に声を荒げていた。
ハッと我にかえったが時すでに遅して、田山もベラも黙って春人を見つめている。小さな子供みたいに感情を露わにしたことに決まりが悪くなって、伏せたまま顔を上げることが出来ない。
「お言葉ですが、、、」
ベラの低めで凛とした声が響いた。
「例えばこれらの女性用の鞄は皆、お母様に贈与されたものとお見受けします。贈与された以上は全てお母様の所有物となりますので、本当に必要であれば、法的処置を取ってでも手元に置いておかれるかと。そうされなかったからには、何か別のところに理由があるものと存じますが。」
「あ、、、。」
確かに父にとって、住むための家は確保したいところだが、女性用の鞄は持っていても用途がなく、母が持ち出したとしても何の痛手もない。事実こうやってずっとクローゼットの中に仕舞い込まれていたのだから。
そうだったのなら、これらの鞄をここに置き去りにしたのは母自身の意志であり、そこには何らかの意味があったのだろう。それは母の父に対する意地だったのかも知れないし、新たな生活への意思表明のようなものだったのかも知れない。
春人がたった今したことは、物事を端的に捉えて一方的に決め付けただけの、子供じみたモノだ。もしかしたら今のように、これまでも母や姉の気持ちを勝手に決め付けるだけでなく、父のことでさえも、自分で見たことのみから勝手なイメージを作り上げていたのかも知れない。
田山に打ち明けるまでは、春人は父についての話を自分の家族だけでなく、誰にも話したことがないし、それについての愚痴や鬱憤を吐き出したこともない。だから自分のそんな考え方に対しての意見を誰からも受けたことがなかった。
だけど、他人からの言葉や行動が新たな気づきや、物事を別の角度からみる機会を与えてくれることだってある。
そう、一昨日に田山さんから渡された父の若い頃の写真を見ることによって、父も一人の人間だったと気付いたように。ん?田山さんが言ってた「やっておきたい事」って、もしかしたら?
「あの、田山さんのやっておき、、、」
「あーーーー!やっぱりなぁ、相談も無しで勝手に持っていこうとしてるしぃぃ!」
背後からいきなりどデカいオッサンの声が足音と共にドドドドとやって来る。
声の主はもちろんコレクト屋のホリだ。彼は今日も袖なしTシャツに黒のエナメルのダウンベストという季節観念ゼロの出立で、現在ベラが査定進行中の高級時計を指差す。
「いつも言ってっしょ、目当てのものが被る時は交渉するのがルールだって!」
「は?寝ぼけるのはその他人まで不快にさせるコスプレを何とかしてからになさっては?時計は腕に着けて使用するもの、つまりは衣類の一部です。」
ベラはホリのように声を張り上ずあくまで冷静に対応しているが、何故かホリの何倍も迫力がある。
「買い手がコレクターか愛用者か、などということはこちらにとってはどうでもいいことです。時計が衣類である以上は、それを取り扱う権利はこちら側にあるということを、いいかげん学ばれては?ああ、どうしてもと仰るのなら、そちらのロゴ入りの紙箱くらいはお譲りしても良くってよ。コレクター方の好物ですものね。」
「グ、、、グヌヌヌヌヌ。」
ベラにぐうの音ぐらいしか出せない程に言い負かされたホリが、全身で悔しがる姿は哀れだった。
五日目。
「春人君さぁ、表に置いてある車、せっかくだから君が使ったら?」
今日は朝からカグ屋のクマが何人かの助っ人を連れて、ここにある家具の回収に来ていた。
春人もそれを手伝っていて、ちょっと一息ついているところに田山が寄ってきて、そう提案した。
「え、俺がですか?」
「うん、そう。君、免許は持ってるよね?」
「あ、はい、一応は。」
春人が運転免許を取ったのは彼が大学一年の夏休み中だったが、春人の家には生憎車が無く、必要なところへは学生定期で行けたので、車を持つこと自体にさして必要性も感じなかった。
「ここへも毎回電車とバスで時間かけて来てるでしょ?車だったらその半分以下の時間だし、この先都心に住む予定ならアレだけど、社会人になったら、ほら、例えば通勤なんかで必要になってくるかも知れないよ。」
「ああ、そうですよね、、、。今まで考えたこともなかったですけど。」
父親の車を引き継ぐというアイデア以前に、未だ正式に働いとこともない自分が車を所有するなんて身分不相応な気がしていた。
「もう分かってるとは思うけど、今あの車を売ったとして、後から必要になって同じ程度のモノを販売店で求めたら、消費税や手続料なんかを併せて売値の倍ほど取られました、ではあまりにバカバカしい。君に車種への特別な拘りがないのなら、キープするっても一つの選択肢になるんじゃないかな?」
「なるほど、言われてみればめちゃめちゃ納得です。この数日間でモノの価値や損得については十分に学びましたから、今ならそれが一番スッキリするって分かります。二ヶ月前に田山さんが、プランAでのここの家財の買取価格を18万くらいって言ったのが、とんでもないボッタクリだったてことも。」
「え?いやっ、アレはねぇ、ほら、アレだよ。ギブ・アンド・テイクってやつだよ。それに僕はあの時、『最低でも』ってつけたよね?だからボッタクリってのは語弊があると思うんだけどなぁ〜。」
後半部分は冗談のつもりでの発言だったのを、慌てて自分を弁護する田山の姿に吹き出しそうになりながら、春人はここ二ヶ月間で自分が随分と成長したように思え、それがちょっとだけ誇らしいと感じていた。以前の春人だったなら、損得の前に、嫌いだった父親の車を引き継ぐなんて冗談じゃない!の姿勢だっただろう。
「じゃあ、早速これから車の名義変更の手続きに行こうじゃないか。」
「え、これからですか?そんなことが直ぐにできるんですか?それに、そんなことまで田山さんに助けてもらってもいいんでしょうか?」
「何言ってるの、当たり前じゃないか。車もここの家財なんだよ。それを何とかするのが僕の仕事なんだから。幸い相続により君は既にあの車の所有者になってるし、君の印鑑登録証明なんかの必要書類は手元にある。あとは君の名前で任意保険が掛けられるようにするための名義変更だけだから、それほど手間はかからないよ。さあ、準備して。」
田山のおかげで車の名義変更と任意保険購入はその日のうちに無事終わり、春人は初めての自分の車で帰宅することになった。これまで何度か田山の車で送ってもらっていたし、スマホのカーナビがあるので、家までの道は何でもない。
これから市営住宅の管理者に団地内のどこかの駐車場を使用できるよう申請する必要が出てくるが、今の春人にとって、その類の手続きは手間でも面倒でもなくなっていた。
六日目。
いよいよ、終盤だな。
ブローカーたちによってほぼ全ての家財が運び出された後の現場は閑散としている。残されているのは何かが入っている幾つかのカラーボックスとゴミ袋くらいなものだ。
何もない家ってのは、こんなにもだだっ広く感じるものなんだな。
ここを出て以来十年以上も訪れたことがなく、何の思い入れもないと思っていた家ではあるが、こんな光景を見ると何だかもの寂しい気がしないでもない。
「ああーー、あああーーー、ラララララーーー!いやぁ、何もない場所ってエコーが効いて声が良く響くなぁ。自分が歌が上手くなったような錯覚に陥るよ。春人君も一緒にどうだい?」
田山の相変わらずのハイテンションに、この人が落ち込む時ってあるんだろうか?と春人は本気で思ってしまう。
「遠慮します。それより田山さん、昼過ぎにはここに来るよう俺を呼びつけて、今日は何の用でしょうか?」
「ああ、そうだったそうだった。これを君に渡したくってね。こっちが君のお姉さんの分で、こっちのが君の分。」
そう言って田山は床に置かれてあるカラーボックスの中から計二つを春人の前に持ってきて置いた。まぁ座ってよ、と促されて床にしゃがみ込んだ春人の前に、さらに田山は小さな子供用自転車を横たえて置いた。
春人は田山が一体今何をしているのかの理解が追いついかず、自分の目の前にある自転車を軽く傾けたり持ち上げたりした。その水色の自転車にはペダルはなく、プッシュバイクと呼ばれる自分の両足で地面を蹴って前に進むタイプのものだ。
あ!
この自転車は俺が小学校に上がるまで乗っていたもんだ。でも、田山さんはなんでこんなモノを俺に?
その答えを求めるべく田山の顔をジィィと見つめる春人に、田山は優しく微笑んだ。
「僕のこの仕事をするうえでの信条は『在るべき物が在るべきところへ』だよ。その自転車とボックスの中にある物に君と君のお姉さんが何を思うのか、そしてどうするかのは別として、僕には、それらの物は他のどこでもなく、君や君のお姉さんの元に行くのが一番だと思えたんだよ。」
「別にそんなことに気を回してもらわなくてもよかったのに。以前にも言いましたけど、この家やここにあった物に俺自身が大した思い入れもないんですから。」
田山が自分に意地悪をしたり説教めいたことを言うつもりでこんな事をしているのでないことは分かってはいるが、触れて欲しくはない事に触れられていようで、いくぶん投げやりな言い方になってっしまう。
「これはホリさんが教えてくれたんだけど、その自転車ってアメリカのメーカのもので、子供の成長に合わせてパーツを取り変えることで、三輪車から親がハンドルを持って後ろから推せる自転車、今のようなペダルなしのプッシュバイクになるんだってさ。」
「・・・・・」
「でもね、そのモデルは何らかの理由で今から二十二年前に販売が中止になってるらしいんだ。それも君が生まれた月の翌月にね。いや、安全性がどうとかの製品自体に欠陥はなかったみたいだけど。」
「え?それって、、、。」
「そうだね、君のお父さんは君が生まれて直ぐにこの自転車を購入したことになるね。生まれたての乳幼児に自転車ってちょっと気が早いよね。、、、よっぽど君に会えて嬉しかったのかな?」
俺に会えて、、、嬉しかったって?! あの父親が?
そんなことあるもんか、この自転車だってたまたま知り合いに勧められて買ったとか、セール品になってたとか、なんか他の理由があったからだ。この自転車に慣れた頃には、駒なしで普通の自転車に乗る練習を無理矢理させられて、ヘマするたびに何度も怒られて、怒られるのが怖くって頑張って練習して練習して、それでやっと乗れるようになって、、、そうしたら父さんは、、、
笑って、、、た?
あまりにその辺の記憶が曖昧で、それが現実だったかは自信がない。
もし仮にそうだったとしても、それでもって父が自分にとっての恐怖の対象だったて事実を払拭することはない。
さっきの田山の言葉と自分の曖昧な記憶を全力で否定するために春人は考えを巡らせた。
そうだよ、よく考えてみたら、赤ん坊って誰からみてもカワイイ存在だし、どんなに非情な人間だって絆されて何か買い与えてやろうって気になるかもだし、ほら、そっちのボックスの中に入ってるようなベビー服とか、、、ベビー服?!
春人は田山が姉のために用意したカラーボックスの中にベビー服らしきものが何着も入れられていることに気が付いた。
急いでボックスの蓋を取って中を確認する。中に入ってあったのはやっぱりたくさんのベビー服だった。主に白と黄色が基調のモノばかりで、生まれるまでは性別が分からないので、無難に黄色っぽい色を選ぶのがベストだということは、甥と姪のいる春人はよく知っている。手にとってよく見てみると、ここ最近で人気になったキャラクターのワッペンがついてあるモノもある。
ということは、生前の父は姉が今妊娠していることを知っていたってことになる。そして、生まれてくる孫のためにベビー服を用意していたんだ!
どういうことかが把握できないまま中にあるベビー服を乱暴に取り出していくと、恐らく姉が小さい頃に工作したであろう古ぼけた紙粘土の貯金箱や黄ばんだ書道作品などに混ざって、ビニール袋にたくさんの写真がまとめて入れられてあるのを見つけて、春人はギクリとした。
「これって、、、。」
その写真はどれも、姉の愛子の子供たちを写したモノばかりだった。甥の生まれたての写真や、その甥を抱っこして病院のベッドの上で微笑む姉の姿、二番目に生まれてきた姪がベビーベッドの柵を掴んで立っている姿や、甥と姪が並んでこちらを指差している姿。
これが父によって取られた写真であったとしたら、、、。
「君や君のお姉さんの写真もたくさん残っていたんだけど、全部残してたんじゃキリがないから、スキャンしてデータ取りした後で処分させてもらったよ。それが僕の仕事だから。
だけど、これらの写真だけは君のお姉さんの元に届けるべきだと思ったんだ。君のお父さん、身体が不自由だったからだろうか、ここ最近では写真にはデジカメやスマホを使っていたみたいで、ネガのモノがほとんど無かったんだよ。でも、お孫さんの写真だけはちゃんとカメラを使って撮ってたんだね。
これは僕の勝手な想像だけど、人がわざわざカメラで撮影して現像までするのって、その人にとってとても大切なモノを形として手元に残しておきたい時だと思うんだ。」
そんな田山の話を聞いてるうちに居ても立っても居られなくなって、姉宛のボックスの中から取り出したモノを全てまた中に仕舞い込んで蓋をする。そのボックスを両手で抱えて立ち上がる。
「俺、今日はこれで失礼します!」
そう田山に告げると、春人はそのまま玄関を出て、車庫に停めてある自分の車のトランクにカラーボックスを入れてから、自分も車に飛び込んだ。
スマホのカーナビで姉の家までの道のりを確認しつつ運転を続ける。
その間春人は出来るだけ何も考えないでいようと試みたが、色んな思いが次から次へと溢れて出して渦を巻いていた。
姉は自分の知らないところで父と接触していた。それも何年も前から。しかもその事を自分にはずっと黙っていた。なぜ内緒にしてたんだ?何か後ろめたいことでもあったのか?姉は父に対して自分と同じ気持ちでいると思っていたのに、そうではなっかんだ。もしかして、母も父と接触していたのか?俺だけが蚊帳の外にいたんだろうか?訳が分からない。
それは混乱であり、疑問であり、苛立ちであり、嫉妬だった。
「うわ〜、これは有難いわ〜。子供が赤ん坊の時の写真って貴重だから、出来ればネガのものを残したいとは思うんだけど、ほら、その頃って旦那も私もその赤ん坊の世話に追われて、心身共にそんな余裕がなくなっちゃうのよ。だからついつい楽なスマホに頼っちゃって。あ、お父さん、上の子のお下がりがあるから要らないって言ってるのに、毎回こうやってベビー服大量に持ってくんのよ。それなら大量のオムツのほうが助かるのに〜。」
などと言いながら、姉は迷惑そうな嬉しそうな様子で、さっき春人から受け取ったカラーボックスの中に入っているモノを取り出して一つずつ見ている。
そんな姉の姿を春人は最初は黙って見ていたが、だんだんとイライラしてきた。
は?なにこの反応は?なに普通に喜んでんだよ?
で、なにこのシチュエーション?なにこの仲良し家族っぽい感じは?
「ねーちゃん、なに何でもないように喜んでんだよ?」
「え?」
春人の怒りを露わにした声音に、さすがの姉も手を止めて春人に向き直る。
「ねーちゃん、いつから父さんと会ってたんだよ?で、なんでそれを俺に内緒にしてたんだよ?てか、よくあんな人と会おうって気になったよね、あんなに嫌な思いさせられてきたのに!」
一度口を開くとそこから堰を切ったように言葉が出てきて止められない。
「もしかして母さんも父さんに会ってたの?俺だけがなにも知らずにいたのかよ?!どうなんだよ!?」
一気に姉を捲し立てて肩で息をする。
畜生、なんでこんなに腹立つんだ?
ねーちゃんや母さんが俺に内緒で父さんと会ってたってことが分かって、裏切られたって感じたから?自分だけ蚊帳の外ってことが理不尽だって思ったから?ちがう、確かにそれも腹立つけど、、、裏切られたっていうより、、、抜け駆けされたって思ったんだ。
、、、自分がずっとしたかった事を先にされて、悔しかったんだ。
自分の父親なんて存在しないと思うことで、なんでもないことだと割り切ることが出来ると信じてきたし、そう努めてきた。
だけど、ふとした拍子にこんな考えが浮かんでしまった。
もしも今会いに行ったら、父は自分が思っていたような人ではなかったことが分かるかも知れない。恐怖の対象なんかじゃなく、ちゃんと話が出来る普通の父親だってことが分かるかも知れない。自分に笑いかけてくれるかも知れない。自分は父にちょっとでも愛されていたってことが分かるかも知れない。
だけどその淡い期待の一方で、もしも父がやっぱり自分の思っていた通りの人だったら?今も恐怖の対象でしかない存在だと思ってしまったら?自分が全く愛されていないって再確認することになったら?という絶望的な思いがあって、怖くて実行できなかった。
だから、ずっと苦しかった。
「ごめんねぇ、春人。」
今まで聞いたことのない春人を気遣うような優しい姉の声に、春人はハッと我にかえる。心臓がドクドクととうるさい。また例の癖がでたんだろう、下唇がジンジンする。
気が抜けて床にしゃがみ込んだ春人に愛子は言葉を続けた。
「もっとよくアンタとお父さんのことについて話をすればよかった。家を出た後でも、お母さんとはしてたから。
でも、お父さんのことに触れるのは、アンタのためには良くないことだってお母さんも私も思ってたから、できなかったの。だって、私たちがあの家を出たのはアンタのためだったから。」
え、俺のため?
姉の言葉に春人は驚いた。心臓の音がさらに大きくなる。
「お父さんは、まぁ、几帳面で真面目すぎる人だったから、融通は効かないし面倒臭さい人だったし、一緒に暮らしていてウンザリする時もあったわよ。でも、あそこまで徹底して私たちのことを管理するようになったのは、アンタが生まれてからよ。
お父さんって早くに両親を亡くして、自分の叔母さんに育てられたんだって。だから育ての親に遠慮もあったし、色んなこと諦めてきたみたいなの。だから男の子、アンタが生まれて、アンタと自分を重ねちゃったんだろうね、『この子が自分の望むことを可能に出来る子になるよう、ちゃんと育てないと。』ってね。でもねぇ、意気込みすぎて、お父さん、やり方を間違えちゃったのよ。」
え、なに?そんなこと聞いたこともないし、全く知らなかった。というか、俺、父さんのこと何も知らない。知ろうとしなかった、、、。
「で、アンタも覚えてる感じになっちゃったのよ。まぁ、あの生活はお母さんも私も息苦しかったし、嫌気は刺してたわよ。でも、私はもう小さな子供じゃなかったし、要領良くやってけたから、アンタほどには苦ではなかったし、お父さんの目を見計らって、お母さんとよくガス抜きもしてたしね。
、、、でも、アンタは違った。いつも怯えていて、やれと言われたことに従順に従うような子だった。やれば出来たから、お父さんも期待値を上げていったわ。だけどね、そんなある日、アンタ、何も飲み込めなくなっちゃったの。ストレスが原因だったみたいで、家から離れると何でも食べれるのに、家では水さえ飲み込めなくなって、お母さんも私も本気で心配になったわ。で、これじゃあアンタがダメになるってお母さん、アンタをあの家から、お父さんから逃すことを決めたのよ。
だから、アンタが原因であの家を出たってことを知ったら、アンタが責任感じることになるだろうし、お父さんの存在がアンタのトラウマなってるなら、お父さんの話は極力しないようにってお母さんと決めてたの。」
「俺は家を出れてよかったって思ってるよ。やっとこれで自由になれたんだって心底嬉しかったし。でも、、、母さんやねーちゃんは違ったんだな。」
母と姉が自分のための犠牲になったんだと思うと申し訳ない気はする。だけど、あの家を出たのは誰にとっても間違いなく正解だったと断言できる。
「でしょうね。家を出てからのアンタは見違える程に元気になったわ。だからお母さんも私も家を出たのは正しかったって、それは今でも思ってる。お父さんも最初はお母さんのした事に激怒してたけど、当時のアンタの状態の詳細と対応策が記された診断書があったから、認めざるを得なっかたの。でも、お父さんにもお父さんなりの意地があったんでしょうね、家の権利と養育費を受ける権利をお母さんから取り上げたのよ。私はそれには納得いかなかったから、アンタのように、お父さんにはずっと会いに行かなかったわ。でもね、四年前初めて子供を生んで親になったんだと思ったら、なんか急に、お父さんにもこの事を知らせないと!って気持ちになったのよ。
で、未だ入院中に旦那に電話してもらったら、お父さん、速攻でお見舞いに来たのよ。急いで駆け付けたんだろうね、ハアハア息切らして入ってきて、、、で、私と孫を見るなりお父さん、、、破顔したのよ。」
春人は姉を見て息を呑んだ。
愛子の目から涙がボロボロと流れて頬をつたって落ちている。それを拭もせずに愛子は言葉を続ける。
「そんなの見たら、なんか、自分はお父さんに酷いことしてたんじゃないかなってさ。お父さんから子供といる喜びやその他の色んなことを取り上げたんじゃないかって思っちゃって。そりゃね、お父さんがアンタや私たちにした事は間違ってたし、褒められたモノじゃなかったわよ。でも、バッサリ切り捨てて、一度も会いにいくどころか連絡さえしなかったのは、ちょっとやり過ぎてたんじゃないかって反省したのよ。
だからあの後も私や孫に会いに来るお父さんをちゃんと迎えてあげようって決めたのよ。アンタも見た通り、お父さん、自分の家もまともに片付けられない状態だったのに、ウチには週に一回はお土産持って遊びに来てさ、嬉しそうに子供たちの相手してくれてさ。で、帰り際にはいつも『ありがとう、ありがとう。』って何度も言うの。」
春人の頭に、物が散乱している家の中で老いた父親が背中を丸めて一人きりで食事を摂る姿や、孫のために衣服や玩具を嬉しそうに選ぶ姿、そして、あの水色の自転車を生まれたての我が子、つまり自分のためにイソイソと選ぶ姿が浮かんだ。
「、、、俺に、、、俺にどうしろって言うんだよ?一度も会いに行かなかったことを反省して後悔すればいいのかよ?いくらそうしたって、父さんはもうここには居ないんだ!したくたっても、もう遅いんだよ!」
自分でも自身の感情をどうすることも出来ずに、春人は喚き散らすしかなかった。これが姉への八つ当たりだということは百も承知だ。
この二ヶ月間で成長したと思っていた自分は、結局は駄々をこねることしか出来ないお子様のままだった。
「あのさぁ、お父さんがアンタにした事とか、過去のことは事実なんだし、それを帳消しにすることも出来ないわけよ。だし、昔のお父さんを美化する必要も全くないと思うよ。自己満足のために、過去の事実をねじ曲げて張りぼての思い出を作るのって間違ってると思うから。
でもね、今のお父さんを認めてあげて。未だ安全期も過ぎていないお腹の中にいる孫のためにベビー服まで買っちゃうような、せっかちで空回りなお父さんを。」
七日目。最終日。
「お、来たね。君なら投げ出さずにきっと来ると思ってたよ。」
よく晴れた昼下がり。家の中には雑巾を片手に自分を迎え入れた田山と、簡単な掃除道具以外は何も見当たらず、文字通りスッカラカンになっている。面白いもので、あの物で溢れかえっていた家の光景は春人の記憶の中で既に薄れている。
「そりゃそうです、自分が責任を持って最後までやり遂げるって決めたんです。作業完了の瞬間を見届けないと。それに、昨日田山さんが俺のために取っておいてくれた物も未だ見てませんから。」
「昨日はちゃんとお姉さんに会えた?」
「ええ、まあ。」
昨日は姉と話した後、直ぐに自宅に帰った。母からも父についての話を聞きたかったからだ。
思った通り、母は父に会いにこそ行かなかったらしが、電話やメールで父と繋がっていた。母がその事を自分に秘密にしていた理由はだいたい姉の愛子と同じだった。母には何度も謝られたが、今さら母を責める気は起こらなかった。
だた、「小さかった自分を父から逃してくれて有難う。」とだけ伝えておいた。
田山から渡されたカラーボックスを開けて中を見てみると、一冊のノートと一枚の封筒が入れられてあった。
なんだ、ねーちゃんのと違ってたったコレだけかよ、と憎まれ口を叩きつつ、見覚えのあるノートを手に取ってゆっくりとめくってみた。それは父親に言われて春人が嫌々続けていた読書感想文だった。三行程度の短い感想文には誤字脱字の添削が赤鉛筆で入っていて、その下にはその感想文に対する感想が書かれてあった。
それらに目を通すのは後にしようと最後のページまで飛んでみると、そこには父の書いた文章があった。
『春人は、とてもシンプルだが的を得た文を書く才能がある。文章とは長いだけが良いモノとは限らない。自分の伝えるべき事を的確に伝えられているかが肝だ。もっとその才能を伸ばしてやれるよう努めていく。』
「プッ、なんだよこれ、自分への喝入れかよ!」
でも、文章については俺も全く同意見だよ。ああ、こういうところってやっぱ似てくんのかなぁ。
次に封筒を取り中を覗いてみる。そこには何回か折られた一枚の和紙のようなモノが入っていた。
取り敢えず取り出して広げてみると、その和紙の中央に墨書きで大きく
『佐藤春人』
と書かれてあった。
そして左端に小さく
『誰からも好かれる心の温かい人間に育ちますように。』
と添えられてあった。
春人は黙って暫くこの文字を眺めていた。鼻の奥がツンとする。
その紙をまた折り畳んで封筒に入れてボックスに戻し、蓋を閉める。それから、そのボックス、それとボックスの横に置いてある小さな自転車を順番に車のトランクに入れに行った。
ノートと封筒に入った紙は自分が大事に持っておこう。自転車は、
四歳になるねーちゃんの息子にでもあげよう。で、その時は「これは俺が俺のとーちゃんから貰った大切な自転車だ。」とでも教えてやろう。
「春人君、終わった?じゃあ、そっちに絞った雑巾があるから、一緒に床をキレイにしよう。」
頃合いを見計らって田山が声を掛けてきた。作業着だから、と自分にもお揃いのエプロンを着用するよう勧めてきたが、丁重にお断りをする。
「もう一階も二階も掃除機はかけ終わってるから、後は床を雑巾掛けして全て完了かな。」
「へぇ〜、掃除もするんですね。」
「そうだよ、埃も含めて空っぽにするのが僕の仕事だからね!」
この大袈裟なガッツポーズもこれで見納めになる。そう考えたらちょっと寂しいような気もするが、それを本人に伝えてしまうと面倒臭いことになりそうなので止めておく。
二人で一緒に各部屋の床を丁寧に拭いていく。遮る物が何もない場所の床を一気に拭いていくのは想像以上に爽快だった。
この床のように自分の心も清められていくようで、心が次第に落ち着いてくる。
最後に残った部分を拭き終えてから、バケツで雑巾をよく洗ってしっかりと絞る。外にある洗場に水を捨てて、バケツを濯いでから田山に渡すと、彼は掃除道具を全部まとめて自分の車のトランクに放り込んだ。
掃除を終えてほどほどに疲れた二人は、何もないリビングの床に並んで大の字に仰向けになった。
「はぁ〜、床拭きも家中となると、さすがに疲れたねぇ。」
「ですね。あの雑巾は田山さん持参ですか?随分と使い込んであるみたいでしたが。」
「そう、丈夫で長持ちな奈良の蚊張布巾さ。何回使っても洗っても破れないコスパ最強のアイテム。ボロボロの糸屑になるまで使い続けるよっ!」
ドヤ顔ならぬドヤ口調だ。
「、、、ただのケチですね。」
「失礼だね君は。あの雑巾は僕に使われるために生まれてきたんだよ。いつも言ってるけど僕の信条は、」
「『在るべき物は在るべきところへ』ですよね?
、、、一つ聞いてもいいですか?田山さんは、俺が父親のことで拗らせてるから色々と気を回してくれたんですか?その、、、『寄り添う』ってやつ?」
これを本人に聞くのはちょっと気恥ずかしい気もするが、最後だからもういいか、と開き直るのもいいだろう。
「ハハッ。まっさかぁ〜。僕はそれほどお節介でもお人好しでもないよ。それに、他人の事情に首を突っ込んで、何とかしてやろうなんてのは何様?!って感じだし、僕の美学に反する。
ただね、この仕事を長く続けていると、今回みたいに既に亡くなった人の家財を処理する機会が多くなるんだ。物って、その人が生きてきた証で、その人の生き様を映し出すんだ。だから、その生き様を見ることで救われる人がいるのなら、それをその人の元へ届けるのも僕の仕事だと思ってる。ただそれだけさ。」
「田山さん、、、。」
「ん?」
「それを人は『お人好しのお節介』って言うんです。」
「あーーーっ、もうそれはいいから!あああああ、ララララララ〜。あ〜、やっぱよく響く!春人君も一緒にぃ、せぇーのっ!」
「ラララララ〜ラ、タリタリラ〜」
「テレテレテレレ〜ララララララ〜」
二人でバカみたいに大声でハミングを続ける。
「アイキャン ショーユ ザ ワールド〜」
田山が手振りをつけてミュージカル風に歌い出す。それを見て春人がゲラゲラ大笑いする。
笑って笑って笑って、、、生まれて初めて、大泣きに泣いた。
両手で顔を覆って大声で泣き続ける春人の横で、それでも田山は大声で歌い続けた。
十ヶ月後。快晴。
「父さん、来るのが随分と遅くなってゴメンな。」
父親のお墓の前で春人は深々とお辞儀をする。それから持っていたコンビニの袋からお供え用のお菓子を出して定位置に置く。春人の好物の果肉入りの桃のゼリーだ。父親の好物だったものを母や姉に聞くのは気恥ずかしいので、代わりに自分の好きな物を選んだ。
「親子なんだから、きっと好物も似てるだろ?」
今日で父親が亡くなった知らせを受けた日から丸一年だ。
本来ならもっと早くに会いに来るべきだったが、父の前に立っても恥ずかしくない自分になってから会いにいこう、という春人なりのケジメがあった。
「今日はね、報告したいことがいっぱいあるんだ。
先ずは、ねーちゃんにもう一人息子ができたよ。多分ねーちゃん超忙しくて未だ報告には来れてないだろうから、これがその写真ね。」
ジャケットのポケットからスマホを取り出して、写真の画面を前に向ける。父はあの世でさぞ喜んでいるだろう。
「それと、父さんの車だけど、俺が有難く使ってるよ。あと、父さんが住んでた家はね、キレイに片付けて去年売却した。これがなかなか大変だったんだよ、誰かさんのお陰でさ。フフッ。」
去年の春に見事に家を空っぽにした後、春人は新たなプロジェクトに取り組むことを決心した。より高値で売るために家をリノベーションするというモノだ。
この案を田山に電話で相談すると
「良いねぇ!春人君、それがビジネスの根幹だよ!」と聞き覚えのあるハイテンションボイスで背中を押してくれ、さらには良い改装業者を紹介してくれた。
リノベーションと言ってもそれほど大袈裟なものではなく、型の古くなったキッチンと風呂場の改装、それと家中の壁紙を張り替えるくらいにした。
費用を抑えるために、システムバスやシステムキッチンはいくつかのショールームに自ら赴いて、シンプルで値段にしては機能性の高いモデルのモノを注文した。こういった事を全て業者に任せてしまうとその手数料が加算されてしまい、これが意外とバカにならない。
あとは家の中の改装は素直に業者に任せて、春人はせっせと庭仕事に精を出した。
家のリノベーションが全て終わる頃には、季節は夏真っ盛りとなっていた。同時期に姉が出産し、子育てに奮闘する姉夫婦を春人も母親とともに手伝ってのバタバタ状態が暫く続いた。
それが落ち着いた頃、不動産屋から連絡が入り、家が無事売れたとの嬉しい報告を受けた。
リノベーションが功をなし、家はなんと当初の査定額よりも一千万円近く高い売値で売れた。全てのリノベーションに300万円ほど掛かったので、春人の新プロジェクトによる利益は約700万円ということになる。
「それから、俺、一応大学までは行ったんだけど、就活を途中で辞めちゃってさ。でも後悔はしてないから安心して。」
プランBに基づいて委託した家財は、例のクセの強いブローカーたちの手腕でいい具合に売却されていき、最終的には春人の配当金は計660万円、田山への支払いを差し引いても620万円の儲けとなった。話に聞くところでは、フク屋ことベラが驚異的な売上を叩き出してくれたようだ。
春人がその儲けを姉と折半する旨を伝えると、姉の愛子は
「それはアンタが頑張って儲けたお金だから、アンタが独り占めすればいいわ。自分への報酬だと思って。」
とアッサリと受取りを辞退し、さらにはかなりナイスなその報酬の使い道を提案してくれた。
その提案に従って、春人は先ず大学に行くために借りていた奨学金約200万円を全額返済し、それから200万円を残りの学費を払ってくれた母親に返済した。残りの220万円は家のリノベーション費用の足しに充てることにした。
「そうそう、小さい所だけど、家を買ったんだ。今はその家で母さんと二人で仲良くやってるよ。」
父親の家を売却したお金、それと相続した動産( 預金、株券、生命保険金等)から相続税を差し引いた残りは姉と仲良く二等分した。
春人はそのお金で母親と暮らすためのマンションを買った。小さいが陽当たりも良く、母の職場、それから自分の職場からもほど近い立地にある物件だ。
「最後になったけど、俺、今の仕事が好きなんだ。自分に合ってると思ってるし。無茶苦茶な上司なんだけどね、とっても頼りになる良い人なんだ。今度紹介するよ。」
全てが片付いた去年の暮れ、春人は思い切って田山に彼の下で働きたいと申し出た。田山はこれを二つ返事で快く承諾してくれた。
「いやぁ〜、嬉しいよ。春人君は僕と同じ匂いを持ってるからね、きっと一緒に上手くやっていけると思うんだ。」
同じ匂いを持ってるのかはさておき、田山が喜んでくれたのは嬉しかった。入社(とは言っても社員は田山と春人の二人だけだが)してから、自分を採用した決め手は何だったのかを田山に質問してみた。
「君の名前は僕のと同じで単純明快、人に安心感を与える。それに君は他人に物事をシンプルにかつ的確に説明する能力が高い。それだけでもこの職種にとっては良い人材と言える。そして何より、、、」
「君は僕と同じ心情を自然にもっている。」
在るべき物を在るべきところへ。
この一年は色んな事があった。しんどい事もあったし逆に楽しい事もたくさんあった。
それらがあって結果的に春人は、一つの事をやり遂げたという自信、家族への新たな信頼感、車、自分たちの家、そして仕事を手に入れた。
「もうそろそろ行くよ。今度はねーちゃんたちも連れてくる。」
そう言い残して、春人は供えた桃のゼリーを回収してから軽くお辞儀をして、そして向きを変えて歩き出した。
停めてある車に向かって歩いているとスマホの着信音が鳴った。見てみると一枚の画像と田山からの短いメッセージだった。
『会社のホームページに新たにこの写真を加えてみたよ。どうだい、良い顔してるだろ?』
その画像を拡大してみる。
「フフ、ほんとだ、良い顔してる。」
その写真には、お揃いのエプロンを着けて田山の横で笑っている春人がいた。
その笑顔は、今日の澄んだ青空にも、例の『私たちがそんな貴方に寄り添います。』という謳い文句の書いてあるページの背景の青空にも負けない、晴れやかな笑顔だった。
ー完ー
↓ 続編です。この作品も『創作大賞』のお仕事小説部門に応募しています。
