私は凡人です。だから学び続けてきました。―AIが私にくれた、もう一度挑戦する勇気―
目次
第1章 私は凡人です
第2章 ホイラーの法則との出会い
第3章 53歳、未来の教育に挑戦する
第4章 人生最大の挫折
第5章 それでも学びをやめなかった
第6章 AIはその架け橋だった
第7章 AIが変えた日常
最終章 人生は何歳からでも再設計できる
あとがき
私の机の周りには、本が積み上がっています。
マーケティング、心理学、コピーライティング、教育、脳科学、そしてAI。
気づけば本棚には何百冊もの本が並んでいました。
77歳を迎えようとしている今も、毎日のように本を読み続けています。
人から時々こう聞かれます。
「なぜそんなに勉強するのですか?」
そのたびに私はこう答えます。
「私は凡人だからです。」
特別な才能があったわけではありません。
学生時代に優秀だったわけでもありません。
商売の天才でもありません。
だから何かを成し遂げようと思ったら、学ぶしかなかったのです。
振り返れば、私の人生は学びの連続でした。
家具売場で途方に暮れた若い日。
53歳で始めた学習塾。
閉校という大きな挫折。
マーケティングとの出会い。
何百冊もの本。
そして——AI。
当時の私は、人生の地図を持っていたわけではありません。
その時々で必要なことを学び、必死に前へ進んでいただけでした。
だから当時は気づきませんでした。
しかし今になって振り返ると、あの家具売場も、塾の閉校も、何百冊もの本も、そしてAIとの出会いも——すべて今の私につながっていたように思えるのです。
私はサクセスストーリーを語れる人間ではありません。
失敗談のほうが、ずっと多いくらいです。
だから私は時々こう言います。
「成功談は話せないけれど、反面教師にはなれるよ」
それでも、もし私の経験が誰かの遠回りを少し減らし、もう一歩踏み出す勇気につながるなら、この人生も無駄ではなかったと思います。
実は今、私は新しい挑戦を始めています。それがAIです。
77歳を迎える年になって、まさか自分がAIと向き合うことになるとは——。
でも今なら断言できます。
AIは私に答えをくれたのではありません。
AIは私に、もう一度挑戦する勇気をくれたのです。
これは、そんな一人の凡人の物語です。
第1章 私は凡人です
大学を卒業した私は、流通業の会社に就職しました。
最初の配属は物流部門でしたが、私は決して優秀な社員ではありませんでした。
仕事の段取りもうまくなかった。
人との関わり方も不器用でした。
ある日、私は店舗への異動を命じられます。
異動先は家具・インテリア・寝具売場でした。
ところが、私には接客経験がほとんどなかった。
家具の知識も十分ではありませんでした。
それなのに、翌日から店頭に立たなければならない。
今でもその時の不安を覚えています。
何を話せばいいのだろう。
どう説明すればいいのだろう。
質問されたら、答えられるだろうか。
当時の私は、商品の説明ばかりしていました。
「このソファはお買い得です」
「今だけ値下げしています」
「期間限定品です」
しかし結果は、思うようについてきませんでした。
今振り返れば当然でした。商品のことばかり話していて、お客様のことを見ていなかったのです。
私は考えました。
もっと早く成長する方法はないのだろうか。
才能がある人と同じようにはできなくても、短期間で学ぶ方法はないのだろうか——。
その時の私は気づいていませんでした。
この問いが、その後の人生を決めることになるとは。
そんな時、一冊の本との出会いがありました。タイトルは——
『ホイラーの法則』。
今振り返れば、あの一冊との出会いが、私の人生の出発点だったように思います。
第2章 ホイラーの法則との出会い
本屋で偶然見つけたのか、誰かに勧められたのか、正直きっかけはもう覚えていません。
しかしその内容は、今でも鮮明に覚えています。

当時の私は家具売場で悪戦苦闘していました。
「自分はこの仕事に向いていないのではないか」——そう思うことも少なくありませんでした。
その本に書かれていた言葉が、私の考え方を大きく変えました。
「シズルを売れ」
当時の私には聞き慣れない言葉でした。
しかしその意味を知った時、私は大きな衝撃を受けたのです。
お客様が欲しいのは商品そのものではない。
その商品によって得られる体験や満足感なのだ——。
例えばドリルを買う人は、ドリルが欲しいのではありません。
穴が欲しいのです。
家具を買う人も同じです。
家具そのものではなく、その家具によって生まれる暮らしを買っているのです。
私は初めて気づきました。
商品の説明ばかりしていても、お客様の心は動かないのだと。
本当に伝えるべきなのは、その商品がもたらす未来だったのです。
この考え方は、私にとって革命的でした。
なぜなら、私は「接客の才能がある人だけが売れる」のだと思っていたからです。
でも違った。
売れる人には考え方があった。伝え方があった。学ぶべき原則があったのです。
私は夢中になって本を読み、売場で試しました。
すると少しずつ、反応が変わり始めました。
そして一つだけ確信したことがあります。
才能がなくても、学ぶことで成長できる——。
この発見が、私に大きな希望を与えてくれました。
問題にぶつかった時、先人の知恵を借りる。できる人から学ぶ。本から学ぶ。
気づけばそれは、私の人生そのものになっていたのです。
第3章 53歳、未来の教育に挑戦する
そして53歳の時、私は大きな決断をします。早期退職です。
安定した会社員生活を離れ、個別指導塾とパソコン教室を開校することにしました。
販売の仕事を通じて気づいていたことがあります。
人によって理解の仕方が違う。
得意なことも、苦手なことも違う。
同じ説明をしても、すぐ理解できる人もいれば、時間のかかる人もいる。
学習も同じではないか——。
当時、個別指導塾はまだ珍しい存在でした。
暗記中心の科目はパソコン教材で、数学は個別指導で——今でいうオンライン学習のような発想で、当時としてはかなり先進的だったと思います。
私の頭の中には、理想の学習システムがありました。
子どもによって学び方を変える。
苦手を分析する。
必要な学びを必要な順番で提供する。
子どもたちが自信を持てる場所を作りたい。
あの頃の私は、未来への期待で胸を膨らませていました。
しかし現実は、私が思っていたほど甘くはなかったのです。
第4章 人生最大の挫折
私が教室を開いた地域は、関西でも有数の学習塾激戦区でした。
競争を避けるため少し離れた場所に教室を開きましたが、それは大きな判断ミスでした。
生徒が集まりにくかったのです。
さらに、システムや教材の初期投資にお金をかけすぎていました。
「理想の教育を実現したい」という思いが強すぎて、生徒募集のための資金が不足してしまったのです。
どれほど良い仕組みがあっても、生徒が来なければ始まらない。
今ならわかりますが、当時の私には見えていませんでした。
私はチラシを自分で作りました。
業者に依頼する余裕はなく、原稿を書き、ワープロでレイアウトし、輪転機で印刷し、新聞販売店へ持ち込みました。

原稿作成からレイアウト、印刷まで自分で行っていました
📷 20年前に実際に作成した生徒募集チラシ
昼は教室。夜は準備。空いた時間は募集活動。
私は塾長であり、営業担当であり、チラシ制作者であり、経理担当でもありました。
それでも経営は次第に厳しくなっていきました。
そしてある年の年末——閉校を決断しました。
しかし問題は、私だけではありませんでした。
教室には30名を超える生徒たちがいました。受験を控えた生徒も。
私は決めました。
翌年3月まで続けよう。最後まで責任を果たそう。
保護者の方々には、一人ひとり頭を下げて事情を説明しました。
厳しい言葉もいただきました。当然だったと思います。
しかし一方で、励ましや感謝の言葉をくださる方もいました。その言葉にどれだけ救われたかわかりません。
自責の念は今でも残っています。
それでも不思議なことに——
教室を開いたこと自体への後悔はありませんでした。
あの挑戦があったからこそ学べたことがある。
見えた景色がある。知ることのできた現実がある。
そして私は、この挫折から思いもよらないものを手に入れることになります。
「集客を学ぶ」という新しい課題でした。
第5章 それでも学びをやめなかった
塾を閉じた後、私はひとつの問いを抱えていました。
なぜ生徒が集まらなかったのだろう。
私が最も強く感じたのは、「集客を知らなかった」ということでした。
どれほど良いサービスがあっても、存在を知ってもらえなければ意味がない——。
この経験が、私に新しい学びのテーマを与えました。マーケティングです。
私はそれまで以上に本を読むようになりました。
ダン・ケネディ、神田昌典、海外マーケティング、コピーライティング、心理学、脳科学——。
興味のあるものは片っ端から学びました。書籍は何百冊になったかわかりません。

私は成功したかったから学んだのではありません。
理解したかったのです。
なぜ人は行動するのか。
なぜ人は買うのか。
なぜ人は挑戦できるのか。
なぜ人はあきらめるのか——。
塾を閉じた後も、さまざまな仕事に携わりました。
手作り味噌の訪問販売。
公共職業安定所での職業紹介。
障害者施設の製品を販売する専門ショップの運営。
観光協会での観光案内。
公民館の管理人。
どれも異なる仕事でしたが、不思議なことに、学んだことはどの仕事でも役に立ちました。
私は少しずつ気づき始めていました。
学びは無駄にならない。すぐ結果が出なくても、どこかで必ずつながる——と。
しかし一つだけ、長年解決できない課題が残っていました。
学ぶことは好きだった。
構想を考えることも好きだった。
作りたいものの完成イメージも持っていた。
しかし——それを形にする力が足りなかったのです。
何度も挑戦しました。何度も挫折しました。
完成イメージはある。しかし、そこへ行く架け橋がない——。
私はずっと、その架け橋を探していたのです。
第6章 AIはその架け橋だった
そんな時、私はAIと出会いました。
最初の出会いは、アメリカのコピーライティングを学ぶ講座でした。
便利な道具だとは思いました。でも、人生が変わるとは思いませんでした。
本当の意味での転機になったのは、その後参加した平秀信先生の教室と、Eライターでの学びでした。
テーマ設定から始まり、リサーチ、構成作成、原稿作成、改善まで——実践形式で学んだのです。
学ぶだけでなく、実際に手を動かし、形にしていく。
そしてその過程でAIを活用した時、私は大きな衝撃を受けました。
長年頭の中にあった構想が、少しずつ形になっていく——。
その瞬間を初めて体験したのです。
私はそこで気づきました。
AIの価値は、文章を書いてくれることではない。
考えを整理してくれることでもない。
もっと大きな価値があった——。
頭の中にある完成イメージへ向かうための、架け橋になることだったのです。
私は長年、ゴーストライターが欲しいと思ったことはありませんでした。
しかしAIに出会った時、初めてこう思いました。
「これは私専属のゴーストライターかもしれない」
もちろんAIが全部やってくれるわけではありません。
何を作りたいのか。
誰に伝えたいのか。
何を届けたいのか。
それを考えるのは、私自身です。
でも、頭の中にあるものを形にする力は圧倒的でした。
長年探し続けていた架け橋は、AIだったのです。
第7章 AIが変えた日常
AIとの出会いによって、私の生活は少しずつ変わり始めました。
劇的な変化ではありません。でも確実に変わったものがありました。
「できないと思っていたことが、できるようになった」——そのことです。
■ ポスター制作
公民館の管理人をしていた時、地域サークルの方から演奏会のポスターを依頼されました。
私はデザインの専門家ではありません。センスがあるとも思っていませんでした。
しかし今回は違いました。AIという強力な協力者がいたのです。
イメージを伝え、何度か修正を繰り返すと、短時間で自分でも驚くようなポスターが完成しました。


デザインセンスそのものは身につかなくても、良いデザインを見る目は育てられる——そう感じました。
■ 趣味の動画制作
私は月に何度か、季節の風景や花を求めてドライブします。
スマートフォンで撮影し、iMovieで動画にまとめるのが楽しみの一つです。
以前は動画を作って終わりでした。しかしAIと出会ってからは、動画の表紙が作れるようになりました。
寸又峡へ行った時もそうです。AIに表紙を作ってもらうのに、かかった時間はわずか数分。
たった一枚の表紙ですが、動画の印象は大きく変わりました。

AIは特別な人のためだけのものではない。
日常の中にある小さな価値を、より伝わりやすくしてくれる道具なのだ——と。
■ 言葉の壁を越える
そして私が最もAIの力を実感したのは、映画館での出来事でした。
現在、私は早朝の映画館清掃のアルバイトをしています。
ある日、会社から「ネパール人女性を採用したいが、日本語はまだ片言だ」という相談を受けました。
「大丈夫です。私が対応します。」
作業手順を整理し、写真を撮り、説明文を作り、日本語をネパール語に翻訳し、動画教材も作りました。
AIの力を借りながら、新人教育の仕組みを作ったのです。
もちろん最終的に教えるのは人間です。
でもAIがあったからこそ、言葉の壁を越えることができました。
AIは人の仕事を奪うものではない。人の可能性を広げるものなのだ——と改めて思いました。
もしあの頃にAIがあったら——そう思うこともあります。
でも今は違います。
私は77歳になろうとしています。
それでも新しいことを学べる。それでも誰かの役に立てる。それでも挑戦できる。
AIはそんな希望を、私に与えてくれたのです。
最終章 人生は何歳からでも再設計できる

私はサクセスストーリーを語れる人間ではありません。
53歳で会社を辞め、塾を開いた。しかし閉校した。
遠回りもした。失敗もした。親にも家族にも迷惑をかけた。
それでも——もし時間を戻せるとしても、私は挑戦すると思います。
挑戦したからこそ学べたことがある。見えた景色があるからです。
そして今、77歳を迎えようとしています。
若い頃に思い描いていた人生とは、
ずいぶん違う場所に立っています。
しかし不思議なことに、
今が一番未来に期待している自分がいます。
長年読み続けてきた本の一部です。
失敗の理由を知りたくて読み続けた、私の学びの歴史です。
その理由はAIです。
AIは私に答えをくれたわけではありません。魔法の道具でもありません。
でも、長年探していた架け橋になってくれました。
頭の中にある構想を形にする。
学んできたことを伝える。
経験をコンテンツにする。
人の役に立つ形へ変える。
AIはそれを可能にしてくれたのです。
だから私は今、もう一度挑戦してみようと思っています。
実はこの記事も、その挑戦の一つです。
もしこの文章を読んでいるあなたが「もう遅い」と思っているなら——
人生は何歳からでも再設計できる。
私はそれを、自分自身で証明しようとしています。
これから取り組みたいことがあります。
販売、教育、職業紹介、地域活動の経験と、AIという道具を結びつけることです。
世の中には——
優れた技術を持つ職人さんがいます。
素晴らしい商品を持つ小さなお店があります。
地域を盛り上げようと頑張る人たちがいます。
趣味やサークル活動を続けているシニアの方々もいます。
しかし、その魅力や価値を伝えることに悩んでいる人は少なくありません。
私も同じでした。
伝えたいことはある、経験もある、思いもある——でも形にすることが難しかった。
だからこそ、AIを活用してそうした方々の経験や知識や思いを形にするお手伝いをしたいと思っています。
難しい技術を教えるのではありません。
最新の流行を追いかけるのでもありません。
その人が積み重ねてきた経験、知識、技術、人生そのもの——それを次の世代へ伝えるお手伝いをしたいのです。
もし私の経験が、誰かの無駄な回り道を一つ減らし、新しい一歩を踏み出すきっかけになるなら、これほど嬉しいことはありません。
私は凡人です。だから学び続けてきました。
そしてこれからは、学びながら、人とAIをつなぐ橋渡し役として歩いていこうと思います。
あとがき
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この記事を書きながら、私は何度も過去を振り返りました。
家具売場で途方に暮れていた若い頃。
53歳で始めた塾。
閉校を決断した年末。
何百冊もの本を読み続けた日々。
そしてAIとの出会い。
その時々では必死でした。将来につながると思ってやっていたわけではありません。
ただ目の前の課題を解決したい——その一心だったように思います。
だから当時は気づきませんでした。しかし今になって振り返ると、どの経験も今の私につながっていました。
私は野球をあまり見ません。それでも大谷翔平選手の活躍には目を奪われます。
なぜあれほど成長し続けられるのだろう——私なりに考えると、根本には「野球が好き」という気持ちがあるように思います。
好きだから考える。好きだから工夫する。好きだから続けられる。
その上に才能や努力が積み重なっているのではないでしょうか。
私は特別な才能を持っているわけではありません。
でも振り返ると、学ぶことは好きでした。人の役に立つことも好きでした。
そして今、AIに夢中になっています。
なぜならAIは、私が長年やりたかったことを形にしてくれるからです。
これまでは、知識があっても形にできませんでした。
構想があっても実現できませんでした。
でも今は違います。
AIという強力な協力者がいます。文章を書く、画像を作る、教材を作る——そんなことが以前よりずっと身近になりました。
私はこう思っています。
AIは単なる効率化ツールではない。
仕事と趣味の垣根を低くしてくれる存在なのではないか——と。
好きなこと、経験してきたこと、学んできたこと——それらを誰かの役に立つ形に変えることができる。これは私にとって大きな希望です。
もちろんAIがすべてを解決してくれるわけではありません。
考えるのは人です。挑戦するのも、行動するのも人です。
でもAIは、その挑戦を助け、その可能性を大きく広げてくれる。
77歳を迎える今、まさかこんなに未来にワクワクするとは思っていませんでした。
これからどこまでできるかはわかりません。失敗することも、遠回りすることもあるでしょう。
それでも私は学び続けたいと思います。
もしこの記事が、誰かの背中を少しでも押すことができたなら。
もし誰かが「もう一度やってみようかな」と思ってくれたなら——これほど嬉しいことはありません。
人生は何歳からでも再設計できる。
私はこれからも、その証明に挑戦していきます。
福川 英彰
77歳を迎える夏に
