石碑が語る二条城 二条城は3つあった?
これまで藤原一族についてまとめてきたが、ちょっと趣向を変えて藤原一族以外の事も。
二条城。
少し前から二条城へ訪れる外国人の数が非常に多い印象。前を通るたびに長蛇の列ができている印象だ。
アクセス
場所は堀川通り沿いにある。地下鉄東西線の二条城駅前すぐだ。二条城のHPでは「徒歩すぐ」となっている。これは、私の感覚では本当にすぐだ。
全国でこんなに城と駅が近いところって他にあるか?と調べてみた。
チャッピーで調べると二条城に匹敵するアクセスの良さは広島の福山城くらい。あとは名古屋城、大阪城、熊本城などが比較的近いが徒歩5分。小田原城、岡山城、松本城などは徒歩10~15分となっていた。これは京都の観光地でも珍しいのではないだろうか。

二条城とは
そもそも二条城は1603年に徳川家康が築いた城。京都御所の警備と将軍が上洛した際の宿所を兼ねることだった。江戸幕府にとって京都支配の拠点であり、政治的・軍事的な意味を持つ重要な城であった。家光の時代には大規模な改修が行われ、本丸や天守、豪華な二の丸御殿が整備された。二の丸御殿には狩野派による障壁画が残る。
二条城で関係する歴史上で有名な出来事は、1867年の大政奉還ではないだろうか?教科書にでもよく出てくる出来事だ。遡るが1611年には家康と豊臣秀頼が会見している。
二条城は江戸幕府のはじまりと終わりの場面に出てくる重要な城だ。現在は「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されている。
1603年に家康によって建てられた二条城。
私は信長の野望が好きでプレイするのだが、京都の城として「二条御所」というものが出てくる。信長の野望の時代設定は戦国時代、当然1603年より前の時代だ。ということは家康の建てた「二条城」はまだ存在しない。ではこの「二条御所」とは何だろうか?信長の野望内の単なるフィクションの建物なのだろうか?
二条御所
結論から言うと、「二条御所」は信長の野望内のフィクションではなく、ちゃんと存在したものである。しかし、現在の堀川通沿いに存在したのではなく、室町下立売あたりに存在した。現在、この場所には平安女学院が建っている。



もともとは室町幕府の管領である斯波氏の邸宅であった。それが室町幕府13代将軍である足利義輝の御所(居住地であり、政治を行った場所)となった。そのあと1569年、15代将軍義昭の時代に織田信長によって改築、拡張が行われた。
よって、「二条城」と「二条御所」は違うものである。位置関係も次のような関係。1.4㎞離れており、全然違う場所になっている。

ちなみに二条御所と京都御所の位置関係は次の通り。700mとあるが、下舘内通りから東側を見るともう御所は見えている(建物は見えない。御所の木々ははっきり見えるくらいの位置関係)。

もう一つの二条御所
Wikipediaで二条城を検索すると、もう一つ二条御所があるらしい。
その二条御所は、信長が、京都滞在中に宿所として二条晴良からその邸宅・二条邸を譲り受けて整備したものがあるらしい。場所は、烏丸御池付近になる。現在は「京都国際マンガミュージアム」が建っている。
信長の建てた二条御所と、宿泊地にしていた二条御所の位置関係は次の通り。約1.2㎞。地下鉄の駅でいうと1駅区間くらいの距離だ(地下鉄烏丸線の丸太町駅~烏丸御池駅)。

小さく石碑が残っている。位置的にはマンガミュージアムの裏門?にちょこんとある。


ちなみに二条城。堀川通りから撮影なので城は写っていない。


しかし京都市内を歩くと特に碁盤の目の中は石碑が多い。ちょっとこれらの石碑にも目を向けていきたい。
と、締めたかったが、早速マンガミュージアム近くの石碑を撮影していると別の石碑が。すぐに次のネタができたのだった。



