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現代の「男女平等」は何故途中から「女性優遇」へと舵を切ってしまったのか。

昨今、叫ばれる「男女平等」の施策を眺めていると、ある違和感を禁じ得ません。本来であれば、「性別」という属性に関わらず、すべての人が等しく扱われるはずです。しかし、現実には平然と「女性優遇」の風潮がまかり通っています。
憲法が保障する「平等権」はどこへ消えたのか
「男性入店お断り」「レディースデー」「女性専用〇〇」——こうした光景を、もし「男性=黒人」「女性=白人」と置き換えて想像してみてください。
そこにあるのは、人種差別以外の何ものでもない明白な人権侵害の姿です。
本来、日本国憲法が保障する平等権が揺るがされているにもかかわらず、私たちはこの現状を目の当たりにしながら、沈黙を続けています。

なぜ、誰もこの異常を指摘しないのか。
この歪な光景を前にしても、多くの人が声を上げません。そこには「当たり前」という名の大衆的な圧力が存在し、不平等であることを知りながら黙認せざるを得ない空気が漂っています。
基本的人権を重んじるはずの現代社会で、なぜ本来あり得ないはずの「女性優遇」がこれほどまでに浸透してしまったのでしょうか。私たちは今、その根底にある歪みに正面から向き合い、真剣に考えなければならない局面を迎えています。

「恋愛の作法」という勘違いが、社会を歪めている。
なぜ、こうした「女性優遇」の風潮が、本来あるべきでない公共の領域にまで浸透してしまったのでしょうか。その背景には、私たちの社会に深く根付いた「ある文化の勘違い」があると考えられます。
恋愛とビジネスに共通する「営業」の力学です。
飲み会や学校のコミュニティなど、私たちが日常的に目にする「男性が女性をチヤホヤする」という光景。これは決して「女性が上位の存在だから」発生しているわけではありません。
その本質は、男性の性欲や「女性を口説いて良い思いをしたい」という下心に裏打ちされた、一種の営業行為です。
ビジネスの世界で、営業担当者が顧客に頭を下げ、神様のように丁重にもてなす姿を想像してみてください。
これは相手が偉いからではなく、そこから何らかの利益を得ようとする「関係性」があるからこそ成立する現象です。男女間のチヤホヤ文化もこれと同様に、男性の欲望を動機とした「利害関係」の上に成り立っているに過ぎないのです。

公と私の境界線を曖昧にするな。
もちろん、学校や飲み会といったプライベートな場において、こうした文化が存在することは個人の自由かもしれません。しかし、問題なのはこの恋愛的な力学を、本来は公平であるべき政治や教育の現場にまで持ち込んでしまったことです。
本来、公共の施策において性別という属性で優劣をつけることは、憲法が定める基本的人権の侵害であり、断じて許されるものではありません。
にもかかわらず、社会の意思決定層が、この恋愛的な「チヤホヤの空気」を公的な場でも適用すれば物事が円滑に進むと勘違いし、それを施策として固定化させてしまった。
これが、今の社会で起きている「逆差別の正体」ではないでしょうか。

恋愛と社会制度。この二つの境界線を混同したままでは、真の平等など到底実現し得ません。
私たちは今、恋愛の摂理を社会全体に投影する異常な習慣から脱却し、本来あるべき公平なルールの下で社会を再構築する必要があります。

「恋愛の延長」という錯覚を脱し、憲法が求める「真の平等」へ。
恋愛の場において、男性の性欲を背景に女性が「営業」を受けるのは、ある種の自然の摂理かもしれません。しかし、その甘美な力学を公共の場に持ち込むことは、明らかに間違っています。
憲法違反の「優遇」を是正せよ。
受験における「女子枠」の設置や、国や東京都が推進する「女性限定の有利な条件での支援」これらは個人の努力や能力とは無関係に、性別という属性だけで結果を左右する施策であり、日本国憲法が保障する「法の下の平等」に真っ向から違反しています。

私たちは、恋愛的な報酬関係と、社会的な公正さを混同してはなりません。
本来、男性差別への違和感を抱くべき場面で、過度な「女性優遇」に慣れきってしまい、その歪さを「当たり前」だと錯覚させられている現状こそが、今もっとも克服すべき病理なのです。

私たちが今、直面すべき現実とは。
現在、一部の過激な層がさらなる女性優遇を求め、政治に圧力をかけ続けています。この動きに対し、私たち一人ひとりが果たすべき責任は重いと言わざるをえません。
①日和見主義の男性:おかしいと気づきながらも、沈黙し続けることで結果的に差別に加担している自覚を持つべきです。
②黙認する女性:不当な優遇によって「得をしている」からという理由で声を上げないことは、憲法が守るべき基本的人権を自ら踏みにじる行為にほかなりません。

「女性優遇」がもたらすのは、真の社会進出ではなく、歪められた評価と不公平な社会です。私たちは、恋愛と公共の境界線を明確に引き直さなければなりません。
この「慣らされた錯覚」から覚醒し、性別に関わらず実力と努力が正当に報われる社会へと軌道修正すること。それこそが、今、憲法の理念を信じるすべての人々に求められている責務ではないでしょうか。

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