255人めの妹に会いにいこう
彼女が生まれてから、わたしがそのことを知るまでのあいだには15年かかった。
わたしのもとには、毎日10人の配達員がやってくる。ひとりにつき少なくとも12通の手紙を運んでくる。
7つ所有しているメールアカウントにも、毎月図書館をひとつ建てなければ足りないくらいの知らせが入る。
こうしたありさまだから、しょちゅう手紙やメールを見逃してばかりいた。こないだはそのせいで、あやうく自分の家を日本人形にゆずりわたしかけたところだ。
でも、いまやそんな火事場すら通りすぎた愁嘆場。
255人めの妹が生まれたという知らせを、ダイレクトメールとプロモーションメールの山脈の山陰に見落としたまま、15年もほったらかしにしてしまったのだ。
わたしは自分のしでかした失態に正気を失し、だしぬけに笑いだして職場を飛びだした。追いかけてきた上司は回転ドアに閉じこめた。
255人めの妹に会いにいこう。

255人めの妹の出生を知らせるメールは、64人めの妹から送られていた。しかしそそっかしい彼女らしく、どこで生まれたのかがさっぱり書いていなかった。
妹のありかを知るため、63人めの妹に連絡をとることにする。彼女は熵州で金物屋を営んでいた。あなたの家の台所にある包丁も、元をたどれば彼女が販売したものにちがいない。
通話料金が法外に高いから、金物屋の妹にめったに電話をかけることはなかった。しかし、15年分のツケを払うと思えば高くはない。
安くもないが。
「聞こえるかい」
「わ、めずらし。スマホ持ってたの」
「公衆電話からかけてるんだ」
「やっぱりね。急にどした」
「255人めの妹のことで...…」
「えっ。まさか。今ごろ気づいたなんて言わないね?」
「言いたくはないが...…」
「あきれるね。128人めのとき、もうしません、って聖書に手をおいて誓ってたじゃん」
「まあ、わたしはキリスト教徒じゃないからね」
冷や汗をかきつつも、なんとか255人めの妹の所在地を聞き出して終話する。
通話を維持するためには、あやまたず10秒ごと、一回分の食事をまかなえるくらいの硬貨を投入しつづけなくてはならなかった。
わたしは少し身軽になって電話ボックスをあとにした。

先立つものが先立ってしまったので、加工された食事を買う余裕はなかった。目についた店で軽食を入手し、わたしは駅へ向かった。
切符も購入すると、わたしの財布は新品同然になった。つまり、からっぽだ。もしかすると、15年をまたいで初めて出会った妹に、帰りの交通費を無心しなくてはならないかもしれない。
「何しに来たの?」
とでも言われてしまっては、手近なマンホールのふたを開きすばやくなかへ飛びこむほかないだろう。妹の存在を15年すっぽかしつづけた人間にできることは、それくらいだ。
わたしは胸をしめつけられる思いがした。
これはけっして、さっき買ったそまつな食物のせいではないはず。

これまでもかなりとほうにくれていたのだが、この上さらにとほうにくれることになるとは思わなかった。くれすぎていて、かえって夜明けが近いような気さえしてくる。
金物屋の妹に教えられた座標にたどり着いた。が、まったき廃墟だった。叩くためのドアさえ残っていない。人気を感じて振り向いたら、水たまりに自分の影が映っていただけ。
まわりの住民に事情を訊きたかったが、わたしと同じ種に属する生物はおらず、かろうじて話ができそうに思えたカラスはさっさと飛び去ってしまった。
わたしはもう一度とほうにくれた。
どうやら、自宅には歩いて帰るほかなさそうだ。

長期戦に備えて、満足に使われたことのないアキレス腱を伸ばす体操をしていると、電話のベルの幻聴が聞こえた。
おなじみの幻聴だったので無視を決めこむ。しかし、あまりにも長い。辟易したわたしは、廃墟に突撃し受話器を取った。
「幻聴のくせに、しつこいぞ」
「へーえ、それが妹に対する態度?」
半ば風化した受話器から聞こえてくるのは、32人めの妹の声だった。彼女の声は、幻聴ではない。
「妹に冷たい人なんだから、きっとここに来ると思っていたよ」
「妹に冷たい人間は、みんなここに来るのか?」
無視。
「63人めの妹に話を聞いたんでしょう」
「電話が通じる場所に住んでいるのは、あいつだけだからな」
「それを覚えているなら、あの子のくせもいっしょに思いだせたらよかったのに」
「あっ」
わたしはすっかり失念していた。
63人めの妹は、妹の中でいちばんの嘘つきだったのだ。
「包丁をもってたずねにいったら、正直に教えてくれたよ。でたらめの住所を言っちゃったって」
「金物屋なんだから、包丁は現地調達できたんじゃないか?」
「あんまりくだらないことばっかり言っていると」
わたしはとっさに受話器から耳を離した。32人めの妹の腕が受話器からにゅっと飛びだす。その手にはりっぱな包丁がにぎられていた。わたしがむかし、プレゼントしたものだ。
「これ、ほかの妹にはやっていないだろうね」
「やらない。あんまり」
16人めの妹と2人めの妹ほどではないが、彼女にもそこそこ、手を焼いたものだ。...…いや、焼かれたというべきか。
「ほんとの居場所を教えてあげる。でも、たまにはわたしのところにも来てね。待ってるから」
「うーむ」
待ってるから、待ってるから、待ってるから、待ってるから、待ってるから、という言葉を512回聞かされたあと、そろそろいいだろうと思い受話器を置いた。
外はすっかり、暗くなっていた。

さいわい、今いる地点からそう離れた場所ではなかった。
教えてもらった道順をたよりに、夜の端から端までを歩きつづけた。
夜露で喉をうるおし、あまねくしみわたった暗闇を靴底で粛々とけずりとる。底なしに見えた暗さにも底はあるもので、一歩進むたびに深夜がうすらいでいった。
夜道は人を内省的にさせる。わたしはもっぱら自分自身のことに専心してきたことを悔やんでみた。
255人めの妹は言わずもがな、ほかの254人の妹のことも、最後によく考えたのがいつだったか、思いだせない。
カップラーメンをつくるのが得意なのは3人めの妹だったか、冥王星に歩いて向かおうとしたのは12人めの妹だったか、空飛ぶじゅうたんを織ろうと骨を折ったのは55人めの妹だったか、救世の巫女としてVtuberをしているのは75人めの妹だったか、まだ病院の中にいるのは121人めの妹だったか...…
ひとりひとりの名前と顔、特徴を思いだそうとすると、とたんにわたしの頭は破裂しそうになる。
妹たちに言われたこと、自分が妹たちに言ったこと、自分と妹の関係性、妹どうしの関係性、そのすべてが悪意あるポップコーンのように、100のフィルムをいっぺんに映写したかのように、中毒者が見る悪夢のように爆発し、わたしの認知資源などおかまいなしにめくるめく展開。
記憶の奔流に目をまわしていると、いつの間にか夜が明けていた。
夜はいつだって、唐突に終わるものだといわれている。

さて、そろそろこの旅情にけりをつけるとしよう。
たどりついた平原は、一面に小石がしきつめられていた。人びとが世界じゅうで蹴り飛ばしたすべての小石は、やがてこの場所へ行きつくのだろう。
「...…ちゃん!」
わたしを呼ぶ声が聞こえる。しかし、声の主は見えなかった。
また幻聴が始まったのかと思い、増やさなければならない薬の量を計算するとげっそりした。計算は苦手なのだ。
「こっち、こっち」
声はすぐそば。足元を見ると、朝日にていねいに引きのばされた影が2つあった。さえないわたしの影と、なんとなくみずみずしく見える影。
わたしはようやく気付いた。
255人めの妹は、影だったのだ。
「8人めのお姉ちゃんが教えてくれたんだ。ここで待ってればいいって」
「あいかわらず、何もかもお見通しなんだな。カジノで生計を立てりゃいいのに」
「ここまで来るの、大変だったんじゃない?」
「ほどほどに。でも、楽しいばかりじゃ楽しくないしね」
ひとしきり話をして、記念に写真を一枚撮らせてもらった。アルバムにもうひとつ、空きをつくらなくてはならないだろう。
「そろそろ帰るよ」
「もっといてくれたらいいのに」
「あいにく、奴隷船が出港する時間だ。わたしみたいになるんじゃないぞ」
「みんな、そう言うよ」
「きわめて賢明な助言と言うべきだな...…では、さらば」
妹の影に背を向けて歩きだす。しかし、声に引き止められた。
「わたしは何を目指したらいいの?」
間。
「ひとつ、言えるとしたら」
わたしは向き直って言った。
「初めて会った妹に、交通費を無心する人間にはなるべきじゃない」
255人めの妹は快く、お金を貸してくれた。
さいわい、この平原にマンホールはなかったので、わたしは穴に飛びこまずに済んだ。
再会の理由をひとつ置いて、わたしは来た道を戻った。
