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無執着と離欲、射手座の満月

ヨガインストラクター向け講座であるRYT200 TTCをこの4月から受けているのですが、その中ではヨガ哲学についても学びます。

ヨガ哲学は「ヨーガ・スートラ」という経典の教えがベースになっていて、この週末の講座に向けて提出課題がありまして。

それは、ヨーガ・スートラの一節を選び、選んだ理由と共にその節を自分なりの言葉で解釈する、というもの。

提出まであと数日なので、そろそろやらないと〜!思っていたのですが、なかなか決まらず。

なので、もうここで書いてしまって、それを提出しよう!と思い立った、というのが今日の記事のきっかけです。


ヨガとは心の作用を明らめること

ヨーガ・スートラは、端的に言えば「悟りへと至る(本当のわたしに出会い目覚める)ために知り実践すべきあれこれ」が書かれた経典です。

その第1部2節には、こうあります。

心の作用を止滅することが、ヨーガである

ヨーガ・スートラ 1-2

つまり、悟りの境地に至るには、自らの神性に出会いその純粋な光輝く静謐なエネルギーを発揮して生きるには、「心の動きを止める」ことが必要、と言っています。

これは、何も考えない感じない、自分の心を無くす、というような言葉で表現できるほどの単純さを言っているのではありません。

私が解釈するには、「心とはどういう働きをするものかを明らかにした上で、その心からの影響を受けないようになること」を言っているのだと思います。

そう、心の作用を明らめることがヨガである、と言っているわけですね。

なぜなら心は、あなたの真我から溢れ出してくる光にフィルターをかける眼鏡のようなものだから。

心は、小さな私、エゴである私が持つ、様々な「欲」から生まれる幻想のエネルギーなのです。

その幻想により、真実なる自身の姿が色々な形に変化します。歪んだり、色づいたり。そして、それを映し出す世界もまた、歪んで色づいたものになります。

そう、心の作用をそのままにしていると、自らの神性を発揮して世界を創造するという生き方が難しくなるのですね。

だからこそ、心とは何か?を知る必要があります。そして、その心の作用に影響を受けないようにするために何を明らかにして、何を明らめていく必要があるのか?を、ヨガという実践によって学んでいくわけです。


「執着と欲」を明らめていく

今回の課題で私が選びたいのは、第1部15節のこちら。

見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識がヴァイラーギヤ (無執着/離欲)である。

ヨーガ・スートラ 1-15

ちょっとスートラの日本語訳が難しい感じですが、要は「生きている中で得るいかなる体験においても、執着心や欲の気持ちを持たないのだと決める意識が大切で、それを『ヴァイラーギヤ (無執着/離欲)』と呼ぶ」と言っています。

実はこの節、それよりも前に出てくる、以下の節で使われている「ヴァイラーギヤ 」という言葉の説明文になっています。

これらの心の作用は、修習(アビイアーサ)と無執着(ヴァイラーギヤ)[離欲]によって止滅される。

ヨーガ・スートラ 1-12

ヨガとは心の作用を止めること(により悟りを開くこと)で、それは、修習(実践的な努力)という能動的な取り組みと、無執着という受動的・内省的な取り組みによりもたらされる、と言っているのです。

私は、アーサナや呼吸法、瞑想、祈りなど、ヨガの実践を日々行なうことももちろん大切だと思いますが、もう一方の「無執着/離欲」の方もとても大切だな、と感じています。

なぜなら、自分の「心の在り方の根本姿勢」が土台として整っていないと、心の生み出す幻想に囚われてしまい、どんなに修練を積み上げても無駄に終わるのではないか?と思うからです。

それほど、エゴなる心が描き出す、誰かに期待する気持ちや、何かに囚われてしまう幻想、様々な欲から生まれる心の中のさざなみは、簡単には鎮まったり消えて無くなったりはしないな、と感じています。

それは私自身、自分の心が常に誰かに何かを期待していたり、ああしたい、こうしたいという欲があったり、もう囚われてないなと思っていた過去の出来事をふと思い出して、あぁまだ何か囚われてるんだなと感じることが、あるからこそです。

心の作用を完全に止めるのは、生きているうちは普通はできないからこそ、その心に映し出される執着や欲に意識的になり明らかにしていくことが大事だな、と思います。

執着や欲を明らめる、とは?

では、執着や欲を明らめるとは、どういうことでしょう?

自分の中にある、わだかまり。過去の辛い悲しみ。苦しい思い。今はもう無い、楽しかった思い出。

未来が見えない、不安。行動する怖さ。どこから手をつけていいかわからない、モヤモヤ。自分は何が問題なんだと感じているのかもわからない、やりきれなさ。

もしくは、あの人にはこう思って欲しい、こうなって欲しい、という期待。あるいは自分がこう思われたい、こうなりたい、あれをしたい、これが欲しい、まだ足りない、もっと欲しい、愛されたい、満たされたい、認められたい、などの欲求。

これらは全て、「いま、ここ」に自分がおらず、自分の外側にある幻想に心が囚われている状態です。執着や欲が、明らかになっていません。

執着や欲を明らめるためには、まず、自分が「いま、ここ」にいる状態かどうか、はっきりと意識的に気づくことが大切。

呼吸はいま、どうなっているか?見える光、聴こえる音、嗅げる匂い、触れられる感覚、味わえる味覚は何を訴えているか?私の心は、いまどこにいるのか?そのことにフォーカスする。

そして次に、色々と沸いている想いや欲望のエネルギーを、客観的に高い視点から俯瞰してみる。

今、私は何にこだわっているの?
今、私は何が問題なの?
今、私はどんな気持ちでいるの?

そんなこだわりや想い、問題と感じていることに気づいたら、あぁ、そうだったんだねと、受け止める。

私にはそんなこだわりが、問題やそれを感じる気持ちがあるんだね。そんな風に私は、自分の外側の世界を見ようとしているんだね。私はその存在に、自分の存在をあけ渡そうとしていたんだね。

そう、気づく。

そしてそれに気づいたら。

もうその想いを
握りしめている必要はないと
ふっと緩める。

頑張ってしまっていた自分を
そっと抱きしめる。

色んな想いを抱えながらも
よくやってきたね
大丈夫だよと認める。

こんな自分であっても
良かったんだ、と許す。

そしたら、もうその想いを
手放していける。

「こだわっている自分」という我を手放す。

衝動的にわいてくるような
「こうしたい、ああしたい」
という欲望から解放される。

もう、こんな小さな自分のエゴは
真我なる大いなる存在の前では
ちっぽけなんだ、と、明らめる。

神さま、どうか
私をお使いください
と降伏する。

大いなる流れに、身を任せる。

私と世界の境界線を、溶かしていく。

そうして、私を「本当のわたし」へと還していくと、執着していたことや、自分の欲から生まれていた想いが、すーっと溶けてなくなっていく。

こだわりを明らかにし、手放し、私を明らめる。

そんなプロセスが、無執着や離欲への道のりとしてあるのかもしれないな、と感じました。


射手座満月に寄せて

スートラ解釈をしてみた今夜、射手座の満月です。

執着を無くし、欲を手放していくことで辿り着きたいのは、「本当のわたし」から発せられる内なる光で、この世界を照らしていくという高み。

射手座は、そんな崇高な願いにまっすぐに、照準を合わせて射抜くパワーを持っています。

それは、自分のためではなく、世界へ愛を届けるため。私をわたしに使ってもらうことで、現実創造の流れを引き起こすため。

その射手座のパワーに乗せて解き放つ、鋭く強い、満月の成就の祈り。

私はこの在り方で生きます
私は本当のわたしへ還る旅を続けます
私はもう既に、持っています

私は内なる光を世界へと届けます
曇りなき、まっさらな心の水面と共に

全てが流れのままに、あるべきところへ向かう。この宇宙はそのままで完全であり、そしてカオスです。

だからこそ、本当のわたしが願う意図を、現実の世界へとリアルに織り成していくための祈り。

射手座満月に、その意図と願いを寄せて。


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私は何に囚われていて
何が問題だと
感じているのだろう?
私が手放したい想い
苦しいと感じている
ことは何なのだろう?

その内なる想いに
優しく触れ、気づく。

執着している心や
欲に身動き取れない心を
明らかにして
わたしの本当の願いを
ピュアに解き放っていく
そんな風に人生を
創造していきませんか?

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