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Walking Alive

強い風が吹いていた。
猛烈な風が髪を根こそぎ巻き上げるから、私は少し苛立った。
だけど突き抜けるような青空と、いつのまにか桜の時期を終え、新緑をみなぎらせていた木の生命力に、私は目を細めただけだった。
これが雨の日だったら、髪をむしり取ってる勢いだったかもしれない。
風の強い日に煽られて暴れるビニル傘と飛び散る水滴がこの世でいちばん嫌いだ。

神社の参道でざーざーと葉が鳴っていた。
国道沿いでは向かい風がわたしの耳元を轟音で揺らした。
太陽が真上に出ている。
20分も歩くと背中が汗ばんできて、服が張り付いた。

今、私には何の意味もない。
一人で歩いている時、私には何の意味もないし、何の解釈もいらない。

だけど、ひととおりいつもの道を歩き回って、駅前の商業施設に入るとき、自動ドアのガラスにうつる自分を発見して、私は意味を知る。
半透明の私は説明文。

ラベルが、擦っても擦っても落ちないと思って生きてきた。
いつのまにか身体と一体化してないか、これ。
ってことは、落ちない汚れを落とすには身体から出なければならないのでは?

だってもう、この身体はことばでできている。
この瞬間にも私の目が、形容することばを読んでいる。
何の意味も持たない身体たちが歩き回っている大地というものがあるとして、そこへ行けるのなら、私は秒も惜しまずタイムマシンに乗り込みたい。

ここから出るためには、なんらかの行動に移すことがまず一つの逃げ道だと私は知っている。
身体がおしえてくれたことだった。
つまり情動的にわかることだ。

だが、それが唯一の道であるのなら、私はこんなにたくさん毎日食べ物を食べていない。
カロリーを摂取していない。

風に吹かれ、巻き上げられるように一人歩き続けるという道を知っているから、私は今日も食べ物を食べている。

どうして知っているのだろう。
誰が教えてくれたのだったか。

考えるまでもないだろう。
タイムマシンなんて存在しないのだから。
存在しないと知っているのは、どうしてなのかを思い出してみればいい。

タイムマシンなんてなくても世界は広いということを、私はどうして信じているのだろう。

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