68歳の早逝——Mさんへ
訃報というのは、いつも突然来る。
今朝、メッセンジャーである方の急逝を知らされた。68歳だった。Mさんと呼ぶ。ブラジル時代からの付き合いで、その後セントルイスでも、日本に戻ってからも、節目節目で顔を合わせてきた人だった。
慶應ヨット部出身で、パワフルで、早逝するイメージが微塵もなかった人だ。
K副社長という試練
Mさんとの出会いは、ブラジル駐在時代に遡る。
当時、Mさんが同道していたK副社長という人物がいた。業界では知る人ぞ知る曲者で、途轍もなく酒が強く、極度のショートスリーパーで、せっかちで、予定変更が多く、受け入れ側には地獄のような出張だった。
毎晩深酒が続く。翌日に長距離移動があろうがお構いなしだ。朝4時まで強い酒に付き合わされ、2時間後にはホテルのロビーに集合して出発、という日もあった。40代後半だった僕が、マイクロバスの窓を開けて朝6時から大量に吐いていたこともある。今ならハラスメントと言われるだろうが、当時そんな生易しい救済策はなかった。
その嵐のような副社長の出張に同道するのは、各部門のエース揃いだった。その取りまとめ役がMさんだった。
口の固さも、Mさんらしかった
あるスキャンダルについて、Mさんに聞いたことがある。
横を向きながら「僕はよく知らないんだよね〜」とだけ言って、それ以上は何も語らなかった。知らないはずがない状況だったが、それ以上は一切口を割らなかった。
組織の中で長く生き抜いてきた人間の、静かな矜持だったと思う。
ウマが合った
顔面真っ青になりそうな交渉の局面で、機転を効かせて場を救ったことが何度かあった。Mさんはそれを覚えていてくれて、非常に可愛がってもらった。
その後、僕が転職してセントルイスに赴任した時、MさんはちょうどそこでUS子会社の社長をしていた。一緒に食事をしたり、僕が足を引っ張りながらゴルフをしたり。日本に戻ってからも、顧問先企業とMさんの会社との協業を画して話し合ったこともある。
局面、局面で顔を合わせてきた。そういう巡り合わせを、二人でよく話していた。
コロナ以降
コロナ禍でMさんは感染し、その後肺気腫を患った。元々ヘビースモーカーだったこともあるだろう。入退院を繰り返していると聞いていた。お嬢さんが医師で、娘に支えられながら闘っていた。
今年3月に入ってから危篤状態となり、68歳の誕生日を自覚のないまま迎えて、そのまま逝ってしまったという。
Warriorだった
癖の強い上司の無理難題を黙々とこなし、部下を守り、取引先との関係を丁寧に育てる。そういう仕事の仕方をする人だった。
華やかな目立ち方はしない。でも、いざという局面で必ず踏ん張っている。そういうタイプの人間が、組織の中で本当に大事な役割を果たしているということを、Mさんから学んだ気がする。
現在のK副社長がどうされているかは存じ上げないが、あの出張の日々を共に乗り越えたMさんのことを、きっと覚えているはずだ。
68歳は、早すぎる。どうかゆっくり休んでください。
