「確かに愛されてる」
借りてきた本を、そっとテーブルに置きました。
最近とても気に入っているシリーズ本で、
「僕、モグラ、キツネ、馬」。
そして今回は、
「僕、モグラ、キツネ、馬 アニメーションストーリー」。
同じシリーズの本を借りるのは三冊目です。
自分でも、少し驚きます。
こんなふうに、同じ世界に何度も戻ってくることって、あまりなかったので・・・
でも、戻ってきてしまう。
言葉が、優しくて。
優しいのに
、甘すぎなくて。
そして、、胸の奥にすっと入ってきてしまう。
私はこの本の言葉に、とても魅せられています。
読んでいると、心が落ち着くというより、この本の世界感に
入り込んでしまう。大げさに言うと私も登場人物の一人?と
感じてしまいます。
人生は難しい。
この一行だけで、
胸のあたりが、きゅっとしました。
難しいんです。ほんとうに。
説明できない難しさがいくつも重なって、
息を整えるだけで精一杯の日もあります。
でも、その次に続く言葉が、
あまりにもやさしくて。
「でも、君は確かに愛されているよ。」
“確かに”って言われると、
逃げ場がない感じがします。
いい意味で。
疑ってしまう私のほうに、
そっと手を伸ばしてくれるみたいで。
愛されている、と言われても、
すぐに「うん」と言えない時があります。
迷惑をかけている気がするとき。
動けない自分を見て、情けなくなるとき。
誰かの好意を、ちゃんと受け取れないとき。
でも、そういう時ほど、
このシリーズの言葉は、すぐに答えを出さずに、
ただ、隣に座ってくれる感じがします。
「涙が出るのは、君が弱いからではなく、強いからだ。」
この言葉も、
私はすぐには飲み込めませんでした。
涙って、どうしても、
負けたみたいに見えてしまうから。
でも、考えてみると、
涙って、止めようとしても止まらないことがあって。
我慢がきかなくなった、とか、
気持ちがほどけた、とか、
そういう「もう限界」に近い場所で出てくる。
それを弱さって一言で片づけたくない。
片づけられない。
たぶん、
ここまで頑張ってきた証みたいなものが、
涙の中に混ざっている気がします。
「振り落とされても、私が助けるから大丈夫。」
読むだけで、背中の力が抜けました。
振り落とされる、って表現が、妙にリアルで。
私はときどき、
日常という乗り物から、
ぽんっと外に放り出されるみたいな気持ちになることがあります。
みんなが当たり前にやっていることが、
自分だけ遠い場所にあるみたいで。
そんなときに、
「助けるから大丈夫」って言われたら、
もう、少しだけ、任せてみたくなります。
でも同時に、
その言葉がまぶしすぎて、
怖くなる自分もいます。
頼ったら、迷惑になるんじゃないか。
頼ったら、重くなるんじゃないか。
そうやって、また手を引っ込めたくなる。
…たぶん私は、そういうところがまだあります。
「君は僕のことを、僕よりも信じているみたいだ。」
この一文は、静かに刺さりました。
信じるって、
相手のための言葉のようで、
自分を支える言葉でもある気がします。
誰かを信じることで、
自分の足場が少しだけ固くなる日がある。
そういうことが、ほんとうにあるんだなって、
三冊目のページをめくりながら、思いました。
「馬が言った。いつかきっと君もそうなれる。」
“いつかきっと”って、
すごくいい距離感の言葉だなと思いました。
今すぐじゃない。
でも、ゼロでもない。
いまの私を否定せずに、
未来だけを押しつけてもこない。
ただ、
そっと道を置いてくれる感じがします。
それは難しい。
でも、僕は絶対にあきらめないよ。
この締めくくりを読んだとき、
私はなぜか、
がんばろう、とは思いませんでした。
代わりに、
「そう思えたこと自体が、すごいな」って、
思いました。
あきらめないって、
大きな決意みたいに見えるけれど。
たぶん、
今日を終える、っていうことの積み重ねなのかもしれない。
これから先の歩みは誰にも予測できない、
正直、わからない。
このシリーズの本の言葉に惹かれて、心を動かされ、
三冊目まで借りてきた私がいる。
そのことだけは、
消えていない気がしました。
胸が温まった。
私の大好きな本・・・。
