対馬の豆酘の美女塚の歴史
対馬の豆酘(つつ)にある美女塚は、**鶴王(つるおう)**という美しい娘が、年老いた母を一人残して都へ采女(うねめ)として召喚されるのを悲しみ、自らの美しさを呪い「豆酘には美人が生まれぬように」といい残して自害しあという悲しい伝説が残る場所です。この伝説は、親孝行で美しい鶴王御前の評判が都に伝わったことから始まり、美しさが故の悲劇として語り継がれ、塚にはその悲しい伝承を伝える石碑が建てられています。

1.美しい孝行娘、鶴王:豆酘に鶴王という、美しく賢い娘がおり、年老いた母を大切にする孝行者として「鶴王御前」と評判でした。
2.都への召喚: その評判は都にまで届き、天皇の側近として仕える采女として召し出されることになりました。
3.悲しい決断: しかし、愛する母を一人残して都へ行くことを決断できず、都へ向かう途中の村境の丘で役人に「小用」と偽り茂みに入り、舌を噛み切って自害しました。
4.呪いの言葉: 息絶える間際に、彼女は「美人に生まれたが故に、こんな悲しい思いをして死なねばならない。どうか、これから豆酘には美人が生まれないように」と言い残したとされます。
5.塚の由来: 村人たちはその悲劇を悼み、この地に手厚く葬り、石を積んで塚(美女塚)を築いたと伝えられています。
伝説の背景と現代
豆酘美人: この伝説は、対馬、特に豆酘(つつ)には美人が多いという言い伝え(「豆酘美人」)の根拠の一つとされています。初代ミス日本が対馬出身だったという話も、この伝説と関連付けられることがあります。
伝承の今: 塚自体は小規模ですが、今でも地元の人々によって花が手向けられるなど、伝説が大切に受け継がれていることがうかがえます。
この伝説は、対馬の豊かな自然と、大陸との交流の歴史が育んだ地域文化の一部として、多くの人々に語り継がれています。



石碑に何やら書かれているので簡単に説明すると、
『昔、豆酘に鶴王という美しい娘が住んでいて、あるとき采女として都へ召し出されることになったそうです。
ですが、年老いた母を残す悲しみに耐えられず、「美しく生まれた故に、このような結果になるのなら、今後は里に美女が生まれませんように」と言葉を残し、都へ行く日に自らの命を絶ったとか・・・・
・・・美女に惹かれてきたのに、
何ともいえない気分になったじゃないか。
ま、そりゃそうだよな。
塚なんだから、美女がいるわけでもないんだから。
