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流砂のドクロ ― 殺害と対話の輪廻 ― 11話〜20話

第十一話 牛魔王の「理(ことわり)」

流砂河のほとりを、黒い雲が通り過ぎていく。それは自然の雲ではなく、強大な妖気を孕んだ「地仙」たちの軍勢だった。

風が運んできたのは、牛魔王が打ち立てた新しい法律の話だ。「力ある者が弱き者を統治し、天界の干渉を許さない独自の王国を築く」。それは、かつて私が守っていた天界の秩序とは対極にある、力による支配だった。

「支配か。滑稽だな」

私は水面に鼻先だけを出し、空を流れる黒い影を眺めた。

だが、今度は冷笑が長続きしなかった。

牛魔王は数万の他者と繋がり、数万の他者に名を呼ばれながら生きている。私はどうだ。この河で五人を殺し、五人と語り、五人の骨を抱えている。だが、彼らは皆、私に「捲簾」と呼ばれることを望んだのではなく、私に「悟浄」と呼ばれることを予感していたのではないか。

私には、まだその名がない。

牛魔王が求めているのは「広がり」だ。だが私が求めているのは「深さ」なのか、それとも、ただ一人に名を呼ばれることなのか――自分でも、まだわからなかった。

「……次の男が来るまで、考えるだけ無駄だ」

私は水底へと戻った。だが、泥の冷たさが、いつもより少しだけ身に染みた。

第十二話 影の不在、あるいは鏡の対話

「お前は、私の影なのか?」

「影に形があると思うのか。私は、お前が捨て去った『昨日』の残滓に過ぎない」

「私は何も捨てていない。すべて奪われたのだ」

「奪われた、と考えるのは、まだ何かに執着している証拠だ。お前がその男を殺すのは、空腹のためではなく、彼が持っている『明日への希望』を奪い、自分の空虚を埋めるためではないのか」

「違う。私は、彼が語る『救い』という言葉の嘘を暴きたいだけだ」

「嘘だとしても、それを信じて死んでいく彼は、お前よりも幸福ではないか? お前は殺すたびに、彼の一部を自分の中に取り込んでいる。九つの髑髏が揃う時、お前という存在は消え、お前は九つの『三蔵』の集合体になるだろう」

「私が、あいつになるというのか」

「そうだ。殺す者と殺される者は、最終的には一つの円環になる。お前が彼を待ちわびる時、お前はすでに彼の一部として呼吸しているのだ」

「……私は、私だ。捲簾大将であり、流砂河の化け物だ」

「名前など、水面に書いた文字のようなものだ。波が来れば消える。残るのは、この乾いた砂の音と、お前が誰かを求めているという、その熱い飢えだけだ」


第十三話 六番目の男、言語の限界

六番目の男は、経典を抱えていた。彼は流砂河の岸辺に座り込み、滔々と経典を唱えていた。その声は砂嵐に掻き消されそうになりながらも、不思議な熱量を持って私の耳に届いた。

「無駄だ。文字に書かれた言葉など、この河に沈めばただの墨の汚れに過ぎぬ」

私は水面から声を投げた。男は唱えるのを止め、私を見て穏やかに首を振った。

「言葉は器です。中身が空であっても、器があるからこそ、人はそこに『真理』という名の水を注ごうと試みることができる」

「器など、壊してしまえば終わりだ」

「では、私を壊してみてください。私の肉体という器が壊れた時、溢れ出した中身がどこへ行くのか。それを観測できるのは、殺す側であるあなただけだ」

私は男の喉を裂いた。経典の紙が血に染まり、風に舞って河に消えていく。その瞬間、男の瞳に宿ったのは、恐怖ではなく「好奇心」だった。溢れ出した命は、何一つ語ることなく砂に吸い込まれたが、私の手のひらには言葉を超えた「質感」が残った。

六つ目のドクロ。それは、沈黙こそが最も雄弁な教えであることを語っているようだった。


第十四話 猿の沈黙、私の待機

風が運んでくる噂が、最近は一段と刺々しい。五行山の猿が、ついに声を出すのを止めたという。五百年。岩に挟まれ、ただ東から昇る日を眺め、西に沈む日を見送るだけの時間。かつて天界を震撼させたあの咆哮は、今や山を揺らすこともない。

「猿よ。お前は何を待っている。如来の許しか、それとも世界が滅びる瞬間か」

私は独りごちる。五行山の猿と、流砂河の私。境遇は似ている。だが、決定的な違いがある。

猿を縛っているのは如来の法力だが、私をこの河に繋ぎ止めているのは、あの「男」との約束だ。

「彼は来る。何度殺しても、何度砂に埋めても。彼は私を見捨てない」

猿には待つべき相手がいない。だが、私にはいる。この「待つ」という行為そのものが、私にとっての救いになりつつあることに、私はまだ気づかないふりをしていた。


第十五話 七番目の男、殺意の愛撫

七番目に現れた男を見た時、私は初めて「焦燥」を感じた。彼が来るのが待ち遠しくて、数日前から岸辺の砂を指で何度も掻き回していたのだ。

男は私を見るなり、懐かしい友に会ったかのように微笑んだ。

「また会えましたね。今回の私は、少しだけあなたを理解できそうな気がします」

「黙れ。貴様を殺すのは、私の腹を満たすためだ。理解などという甘っちょろい遊びのためではない」

「いいえ。あなたは私の命を奪う時、誰よりも深く私に触れている。これは、天界のどの神も成し得なかった、魂の交わりだ」

私は男を組み伏せ、その細い首に手をかけた。力を込めれば、容易に骨が砕ける。だが、私の手は微かに震えていた。殺したくないのではない。この「殺す直前」の、甘美で濃密な時間を、少しでも長く引き延ばしたいと願ってしまったのだ。

「……早く、終わらせてくれ。次の私に、あなたのこの震えを伝えたい」

男は恍惚とした表情で促した。私は目を閉じ、一気に力を込めた。弾けるような命の鼓動が、指を伝って胸の奥へと流れ込む。

七つ目のドクロを首にかける。それはもう、重荷ではなかった。恋人から贈られた首飾りのように、私の胸を温かく、そして残酷に締め付けた。


第十六話 八番目の男、鏡像の記憶

八番目の男は、私にそっくりだった。いや、顔が似ているのではない。その立ち姿、砂を見つめる虚無的な眼差し、そして何より、自分という存在を「呪い」として受け入れているその気配が、私と酷似していたのだ。

「お前も、何かに追われてここに来たのか」

私はいつものように問いかけた。だが、男は答えず、ただ私の首に掛かった七つの髑髏を指差した。

「それは、私だ。そして、お前だ」

「戯言を。これは私が食らい、奪った戦利品だ」

「奪うことでしか、自分を維持できない。……捲簾、お前は鏡を求めている。自分を裁いてくれる誰かを、自分を終わらせてくれる誰かを。私はお前の鏡として、今日ここに沈みに来た」

対話は短かった。殺す際、私は初めて「自分を殺している」ような錯覚に陥った。男の肉体が崩れ、魂が抜けていく瞬間、私の内側にあった「天界への未練」が、一つ欠け落ちた音がした。

八つ目の髑髏。それは私の首元で、まるで心臓のようにドクドクと鼓動を刻んでいるように感じられた。


第十七話 牛王の野心と、消えない渇き

世界は、騒がしく形を変えようとしている。

風が運ぶ噂によれば、牛魔王の築いた地上の帝国は、もはや天界の軍勢ですら容易には手出しできない規模に達したという。彼は「力」による理を完成させ、神々にさえ、地上の領土を割譲せよと迫っているらしい。

「力か。あるいは統治か」

私は砂を噛む。

かつては冷笑した。次には羨んだ。だが今は、ただ静かに、牛魔王という存在が私とは別の生き物だと理解している。

牛魔王が求めているのは「広がり」だ。より多くの土地、より多くの民、より多くの権力。彼は誰かに渇望されることで自分を定義する。

私は違う。私が求めているのは、ただ一人の男が、もう一度この岸辺に立つことだけだ。

それに気づいた時、初めて私は自分の「待機」が恥ずかしいものではないとわかった。数万の兵を持つ王よりも、この砂の上でひとり膝を抱える化け物の方が、何かを深く、正直に欲しがっているのだ。

「王になど、ならなくていい。私はただ、この砂が尽き、時が止まるまで、彼を待っていればいい」

私は、牛魔王という名の巨大な影が通り過ぎるのを見送った。今度は冷笑ではなく、静かな確信を持って。

第十八話 九番目の男、あるいは「約束」の完成

九番目の男は、これまでで最も静かだった。

彼は岸辺に立つと、深く、深く一礼した。まるで、これから自分を殺す者に捧げる、最高礼のようだった。

「……ようやく、ここまできましたね。悟浄」

彼は初めて、私の今の名――あるいはこれから与えられるであろう名――を呼んだ。私の胸が、奇妙な方法で痛んだ。

「九つ目だ。これで私の首飾りは完成する。お前が最後か?」

「いいえ。これは『完成』ではなく、ただの『準備』です。次に私が来る時、私は私のすべてを持って現れます。その時、あなたは私を殺すのではなく、私に従うことになるでしょう」

「殺されないとでも思っているのか」

「殺されることが、私の勝利です。九つの死を経て、私の魂はあなたの首で磨き上げられた。私たちはもう、他人ではない。……さあ、愛してくれているのでしょう? 終わらせてください」

男は幸せそうに笑い、私の腕の中に飛び込んできた。

私は彼の背中を抱き、その温かさが消えるまで、強く、強く抱きしめた。それは殺害という名の抱擁だった。

九つ目の髑髏。それは、他の八つを束ねるかのように、私の首の真ん中で静かに輝いた。


第十九話 恋情としての沈黙

九番目の男を殺してから、流砂河に「本当の静寂」が訪れた。

私はもう、空腹を感じなかった。ただ、首に掛かった九つのドクロが触れ合うカチカチという音を、音楽のように聴きながら過ごした。それは、彼がこれまでの人生で語ってきた「言葉」の断片が、骨の中で反響しているかのようだった。

「次は、いつ来るのだ」

私は水面に映る自分に問いかける。かつての醜い怪物の顔は、九つの死に触れるうちに、どこか聖性を帯びた悲しげな表情に変わっていた。

風が吹く。五行山の猿が、ついに観音菩薩の導きを得たという。天界が、ついに本腰を入れて「西天取経」の旅路を整え始めたという。そんな俗世の動きなど、今の私にはどうでもよかった。

私はただ、恋人を待つように、砂の城を造っては壊し、水底で彼の気配を探し続けた。

「早く来い。私の首が、お前の不在を叫んでいる」

流砂河の赤茶けた水面が、夕日に染まる。それは、血の色か、それとも燃え上がる恋の情念か。私は静かに、十人目の「彼」がやってくる、その運命の足音を待ちわびていた。


第二十話 砂の沈黙、あるいは黄金の「無」

九つの髑髏が私の鎖の上で静止した時、流砂河はかつてないほどの静寂に包まれた。

私は水底に座り、ただ一つの空白を見つめていた。最後の一人、十人目を待つこの空白だけが、どうしても埋まらない。

「お前は、そこにいるのか」

私は自分自身に問いかけた。返ってくるのは、砂が擦れ合う微かな音だけだ――と思っていた。

「私はここにいる。お前の飢えの中に。お前の絶望の中に。そして、お前がこれから犯すであろう、最後の罪の中に」

声が聞こえた。それは今までの九人の男たちの誰とも違った。私の内側から響くと同時に、この河の全粒の砂から、頭上の虚空から同時に降り注ぐような、圧倒的な「厚み」を持った響きだった。

「お前は誰だ」

「私は『彼』であり、お前であり、そして誰でもない。捲簾よ、お前は九度私を殺し、九度その骨を繋ぎ止めた。それは数珠だ。お前は無意識のうちに、血で濡れた数珠を紡いできたのだ」

水底の砂が、音もなく動き始めた。赤茶けた泥水が、一点から黄金色の光を放ち、渦を巻く。その光の中心に、一人の姿が見えた。かつて私を地獄へ叩き落とした完璧な秩序の体現者でもなく、泥にまみれた巡礼者でもなかった。幾千万の慈悲と、幾千万の冷徹さを同時に湛えた、巨大な「意識」。

「釈迦如来……」

私は初めて、その名を震える唇で呟いた。黄金の光の中に浮かぶ影は、微笑みさえ浮かべず、ただ私という「存在」を静かに肯定していた。

「悟浄、お前は彼を待ちわびていると言った。だが、待っているのはお前だけではない。彼もまた、お前のその執着が極まるのを、悠久の時から見守っていたのだ。九つの死は、お前の心を磨き上げるための砥石。今、お前の首にある九つの髑髏は、もはや死者の骨ではない。それは、十人目の『彼』が歩むための、沈まぬ道標だ」

光が強まり、私の視界を真っ白に塗りつぶす。その眩しさの中で、私は悟った。私がこれまで彼を殺し続けてきたのは、彼を繋ぎ止めるためではなく、私自身を「彼」へと成形するための儀式だったのだ。

「……次は、いつ来る」

「今、足音が聞こえるはずだ。五百年の眠りを覚ました猿の咆哮と共に。お前の孤独を完成させるために、十番目の『空』がやってくる」

光が消えた。目を開けると、そこには再び暗い水底が広がっていた。だが、私の首に掛かった九つの髑髏は、もはや重くはなかった。それらはカチリ、カチリと鳴り、遠くから近づいてくる「法力」の気配に呼応して、静かに、そして歓喜に満ちて震え始めていた。

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