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おっぱいがいっぱい


#創作大賞2026 #エッセイ部門

私はおっぱいが大きかった。
だが今は跡形もない…

いや、もっとポップな言い方に変えると私は若い頃、ボインでウエストはキュッと細く、プリケツだった。いわゆるボン・キュッ・ボーンだった。

言い回しを変えたので、表現は古いが臨場感は伝わったのではないだろうか?

しかし今となっては過去の栄光でしかなく…だからせめて昔の自慢くらいはさせて欲しい…


昔からの友人には、若い頃モテたよね〜!と良く言われるが、それはおっぱいに需要があっただけの事で、特に顔が美人なわけでもなく、まあ見られないほどのブサイクでもなく…ちょうどいい感もあって、かなりの需要はあったのだが、それが「モテ」と言うのならば間違いなくモテたと言える。


どうだ!羨ましか!と言いたい所だが、当時の私はイヤでたまらなかった。 

おっぱいのせいで、ピタっとした服を着ればムダにエロくなり、それを隠そうとしてオーバーサイズの服を着ればただのデブに見えるし、かわいい服はおっぱいのせいで入らず…そしておっぱいが目立たないようにするため、猫背になってしまった始末だ。

また一歩街に出ればグラビアやAVにスカウトされるし、電車に乗ればほぼ毎日のようにチカンに遭遇し、海外では誘拐されそうになるし、人種問わずおっぱい目的でナンパもよくされたし…本当に嫌でイヤで仕方がなかった。

これが結婚前の東京時代の私である。
そう、私の全盛期…


結婚して大阪に引っ越し、子供を2人産み、子供が増えるたびにおっぱいがしぼみ、現在に至る。

今は加齢もあいまって、おしりの肉が垂れ、もはやおしりの肉なのか?太ももの肉なのか?判断がつかないほどになり、キミはどこのお肉なんだい?と問いたいほどだ。
おしりの境目?もはやそこに国境は存在しない…


大阪で初めて働きだし、電車で通勤が始まった時、大阪はチカンいなくていいなー!って思ったけど、いやいやいや…チカンがいないのではなく、私が若さとナイスバディを失ったからだと気付いてしまった時の物悲しさは、今だ忘れられない…

中身は変わってないのに、みてくれが変わっただけで…世間の評価はシビアで恐ろしい。 


以前、とある芸人さんが年増女性のおっぱいがシャバシャバだったと言っていて、全盛期の私はシャバシャバ???と全く意味がわからなかったけれど、今ならわかる!わかりたくないけどわかりすぎる程、わかるよ、シャバシャバ。

はい、オバハンのおっぱいはシャバシャバなのです…

ダルダルでもタルタルでもなくシャバシャバなのです。プリンプリンの対義語は多分、シャバシャバです。 

お若い方はわからないかもしれませんが、over45になれば大きく頷いているはずです。


あんなにデカパイを恨んでいたのに、今となってはおっぱいがプリンプリンで大きい人が羨ましくてたまらない。 

これぞ隣の芝生はなんとやら…



ただ大きなおっぱいを失ったことで得たモノも山ほどある。
しぼんだおっぱいの代わりに、かわいい子供から幸せをたくさんもらった事だ。

  

妊婦してどんどん膨らむお腹、どんどん増える体重…ナイスバディは見る影もくなり、醜い自分を嘆き悲しんだ日々が続いた。
 
普通なら楽しみなはずの赤ちゃん、普通なら幸せと感じるお腹の膨らみを受け入れることが出来ず、泣いて過ごした日々。

おしゃれな服もステキなヒールの靴も諦めなくてはいけない生活に絶望していた。

でもそれは違った。

長い髪もジャマだから切って、高い基礎化粧品をやめ、時間がないのでオールインワンジェルにかえ、靴はスニーカーしか履かなくなり、スカートは全部捨てた。
でもむしろ、それは自分が選んだ道だ。

だってかわいいんだもの、わが子たち。

あー、この子たちのためならなんだって出来る!やれる!もう子供に全フリして生きるんだ!と思えるようになった。なってしまった。


親バカだっていいじゃないか!
わが子かわいいー!って言える私、サイコーにステキ!

私もやっと「お母さん」になれた。

あんなに憎んだおっぱいが大好きな赤ちゃん。

お母さんの数だけおっぱいがあり、おっぱいの数だけドラマがある。
お母さんじゃなくたって、オンナの人…オトコの人にだっておっぱいは、ある。
おっぱいは世界中に溢れている。 
おっぱいがいっぱい!

そう!おっぱいはなくなったわけじゃない、小さいながら私にもまだ、ある。

ただ役目が変わり、役目をほぼ終え、ただただ、そこに存在しているだけ。 


おっぱいはきっと人を幸せにする。
おっぱい、バンザイ!





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