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『Blue Ivyから読むBeyoncé①』なぜBeyoncéはBlue Ivyをステージへ立たせたのか

割引あり

1. はじめに

子どもに挑戦させるべきか。

それとも、失敗しないよう守るべきか。


親なら一度は考えたことがあるかもしれません。


学校で学級代表や委員会の立候補を勧められたとき。

学芸会や発表会で主役やソロパートを任されそうなとき。

スピーチコンテストや作文の発表。

合唱コンクールの指揮・伴奏。


人前に立つ機会が来るたびに、

「まだ早いんじゃないかな」

「傷ついたらかわいそうだな」

と思うこともあります。


私も親として、その葛藤をよく知っています。


2023年、Beyoncéもまた、同じような選択をしました。

娘のBlue Ivyを『Renaissance World Tour』のステージに立たせたのです。


当時、観客の反応は決して一様ではありませんでした。


歓声もあれば、

「ネポベイビー(nepo baby)ではないのか」

「まだ子どもなのに必要なのか」

という声もありました。


しかし、ツアーが進むにつれて空気は少しずつ変わっていきます。


最初は違和感として見られていた存在が、やがて多くの観客に受け入れられていきました。


なぜBeyoncéはBlue Ivyをステージへ立たせたのでしょうか。

そして、その決断は何を意味していたのでしょうか。


2. ネポベイビー論争の表層

まず前提として、この出来事は現代的な文脈の中で受け取られました。


  • 親の影響でステージに立つのではないか

  • 実力ではなく環境ではないか

  • スターの子どもという“特権性”


いわゆる「ネポベイビー論争」です。


この視点は非常に現代的で、SNS文化とも強く結びついています。


しかしこの議論は、ある一点だけを見落としがちです。

それは、このステージが「個人の成功物語」として完結するものではない可能性、ということです。



では、Blue Ivyの出演を「ネポベイビー論争」ではなく、Renaissanceという作品全体の文脈から見ると何が見えてくるのでしょうか。

そこには、Beyoncéが長年描いてきた「継承」というテーマが隠されています。

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Blue Ivyを入口に、Beyoncé作品に流れる「継承」と「共同体」を読み解く文化論シリーズ。 Renaissance、Cowboy…

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