小説│1991年北海道自転車旅│019.エピローグ:re
エピローグ ――夏が、地図になった
夏が終わった。
それは、教室の空気でわかる。
9月。蝉の声がぱたりとやんで、夕暮れが少し早くなって、コンクリートに残る陽射しに秋が混じる。
大阪の大学の一講義室。学生たちの雑談の中、ソウタはひとり、窓際の席にいた。スケジュール帳を開く。そこに挟まれていたのは、旅の途中で撮った一枚の写真。
知床峠でのスナップ。爆笑しながらバンザイするコータロー、そしてそれに呆れたような笑顔の自分。どちらも泥だらけで、日に焼けて、信じられないほど幸せそうだった。
――この写真、誰かに見せるわけじゃない。
ただ、ここにあるのが、嬉しい。それだけだ。
教授の話がマイク越しに響く中、ソウタはペンを持ち、スケジュール帳の裏表紙に何気なく線を描いた。
それは地図だった。いや、正確には“記憶の地図”だ。
神戸を出発した日。琵琶湖をまわって敦賀。フェリーで海を越え、支笏湖の星空、占冠の峠、富良野の丘、旭川のラーメン、層雲峡の温泉、石北峠のペダル、北見の夜空、斜里駅の宴会、そして知床――羅臼。
全部、線でつなげて描くと、まるで一本の流星みたいだった。
「……ああ、風の通った道やな」
誰に聞かせるでもなく、ソウタはそう呟いた。
一方そのころ、コータローは九州の大学で、模型の前にいた。
建築学科の課題。白いスチレンボードで組まれた建物の模型は、屋根の角度が妙に斜めになっている。
「……コータロー、なんでここの勾配だけ斜めにしたん?」
教授が不思議そうに聞く。
「はい、あの……知床峠から見た海の角度です」
「……ほう、なかなか変わってるな」
「自覚あります」
そう答えて、コータローはちょっとだけ笑った。口元だけ、ほんの少し。
数日後。
ソウタの下宿先のポストに、1枚のはがきが届いた。裏には妙に汚い字で、こう書いてあった。
「おい、次はどこ行く?
まだ見ぬ地図は、きっとオレらを待ってる。
夏になったらまた漕ごうぜ。
今度は、旅の続きを描くために。」
コータローより
ソウタはそのはがきを読み終えると、写真の裏にそっと挟んだ。
そして、旅の続きが、また動き出す気がして、少しだけ心が熱くなった。
まだ誰も知らない道。まだ誰にも言っていない夢。
でも、確かに、そこには風が吹いている気がした。
そして、今年の夏が、ちゃんと地図になったことを、心の奥で感じていた。
おわり
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