私が7000回、跳んだ理由
◎高2の私は、訳もなく縄跳びを7000回跳んだ
【考察】
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
これは、大人になった私が
あの頃の出来事を振り返り、読み解く話です。
▷ この話の元になった本編を読む
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
高校2年生のあの日、私は縄跳びの自由跳びを
7000回跳んだ。
今でも、その数字を見ると少し引く。
冷静に考えれば、異常だと思う。
当時の私は「すごいことをやった」という感覚はほとんどなかった。
ただ、跳んでいた。
やめる理由が見つからなかったから、跳び続けていただけだった。
中学生の頃、私は一度、3000回跳んだことがある。
その時の動機は、単純な好奇心だった。
小学校では軽く跳べていたけど、私が頑張ったら何回まで跳べるのだろうと思った。
だが、3000回跳んだところで、
「ここまで跳べばもういいかな」と思ってやめた。
─────
7000回の日、私の中にはたぶん、
その3000回があった。
あの時の自分。
途中でやめた自分。
だからなのか、
その日は、やめる理由が見つからなかった。
痩せているとか、太っているとか、
運動しているとか、していないとか。
そういう現実を超えて、
「今の私は、あの時の私より先にいるのか」
それを、確かめたかった。
7000回は、限界だったわけじゃない。
引っかかったわけでもない。
本当は10000回もいけたと思う。
でも、途中で飽きた。
しんどいというより、
「これ以上続ける意味が見えなくなった」。
その瞬間に、私はやめた。
─────
私はずっと、理由もなく頑張る癖があった。
やらなくてもいいことを、やめられなくなる。
自分で始めて、
自分でやめどきを見失う。
誰かに命じられなくても、
役割を与えられなくても、
自分で自分に重りを課してしまう。
縄跳びも同じだったのだと思う。
何かを達成したかったわけでも、
褒められたかったわけでも、
証明したかったわけでもない。
「まだ私はやれる」
「ここに私はいる」
それを、言葉じゃなく
体で確かめたかったのかもしれない。
あの時跳んだ3000回。
それを超えた先を見てみたかった。
7000回という回数は、
達成感というより、
エンジンを切り忘れたまま、
しばらく回り続けてしまった音に近かった。
あの7000回は、
努力とも、
訓練とも、
根性論とも違った。
どれにも、ぴったり当てはまらなかった。
今でも、あの時なぜそこまで続けたのか、
これ以上説明することはできない。
あの時、私は
やめる理由を見つけられないまま、
ただ、跳び続けていた。

▷ この話の本編を読む
▶ 次の読み解き記事へ(壊れたベッドを使い続けた理由)
← 大人になった私の視点|考察一覧
← ここに至るまでに何があったのか|本編一覧
