別の世界の見本
ひとり暮らし。
それは、体験したことのない
心が広がるような暮らしだった。
0時30分。
最終電車で帰宅した私は、玄関の扉を開ける。
鍵を開けるとそこは、真っ暗な空間。
でもそれが嬉しかった。
誰もいない。
息が、通る。
私は家に入ると電気をつけ、
お気に入りの曲をかける。
こういう日は
テレビをつけるよりも、
静かに曲を流す方が好きだった。
静かな曲が流れる。
私はベッドの前に座り、
温かい紅茶をひとくち飲む。
聞こえるのは音楽だけ。
静かだった。
────
月に一度くらい、
実家の親から連絡が来ることもあった。
「みのり、最近どう?」
「何とかやってるよ」
「家族とは良い距離が取れている」
そう、感じていた。
その距離感は心地よかった。
たまに話す家族は
私を気遣ってくれているようにも見えた。
実家で感じていた苦しさは、
もしかしたら
私の気のせいだったのかもしれない。
私の感覚は、どこかおかしいから。
少しずつ過去が遠ざかっていく感覚があった。
私は、変わったんだ。
電話を切り、
カーテンを開けて、都会の景色を見渡した。
─────
私が住んでいたアパートの1階には大家さんが住んでいた。
その大家さんは、都会っぽさのない、
気さくな女性。
私はなんとなくその人が好きだった。
仕事が忙しい私の代わりに、
大屋さんはいつも荷物を預かってくれていた。
「忙しいでしょ。預かっとくね」
その日も、仕事帰りに声をかけられた。
「あなたのところに荷物が来てるよ。
受け取っておいたから渡すね」
そう言って、段ボールを渡された。
宛先は私。差出人は、父方の伯母だった。
部屋に戻り、箱を開ける。
電子レンジで温めるだけで食べられるご飯の素。
お肉や野菜に混ぜるだけで使える調味料。
美味しそうな紅茶が、ぎっしり詰まっていた。
どれも、手間をかけずにすぐ食べられるものばかりだった。
それは、私があまり触れたことのない種類の気遣いだった。
「ホームドラマみたいで、なんかいいね」
箱から荷物を取り出す。
なんだか、素敵な家庭の登場人物の一人になったような気がした。
見学者のように、そっと中に入れてもらった感覚。
私はすぐに、伯母に電話をした。
「荷物、受け取ったよ。ありがとう」
伯母は、いつもの明るい声だった。
「最近会ってないから、元気かなと思って。
みのりちゃん、がんばり屋さんだから。
色々送っても大変かなと思って、できるだけ手間のかからないものを選んだんだ。
口に合うといいけど」
箱の中に、コーヒーは一つも入っていなかった。
「伯母ちゃん、私がコーヒー苦手なの、
覚えてくれてたの?」
そう聞くと、伯母は笑って言った。
「みのりちゃん、紅茶が好きだったよね。
選んでたら楽しくなって、つい多くなっちゃった。」
心がほんのり温かくなる。
「こういう優しさも、世の中にはあるんだな」
「なんか、いいよね」
そんなふうに思った。
その段ボールは、
私の人生の中に、静かに置かれた
「別のすてきな世界の見本」
みたいだった。
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🫧この形の私

