【いばるな・あせるな・おごるな】その生き方に憧れた――私が「あの人」から教わったこと
肩書きよりも、生き方を大切にしたい。「人の価値は、役職では決まらない」ということ
現在、私は個人事業主としてAngel Smileを運営しています。
個人事業主になることそのものは、特別な肩書きや資格がなければできないことではありません。
けれど私は、
「社長と呼ばれたい」
「代表という肩書きがほしい」
「誰かから立派に見られたい」
そんな理由だけで、この道を選んだわけではありません。
肩書きは、ときに人からの見られ方を変えます。
良い方向に働くこともあるでしょう。
その一方で、肩書きを持ったことで、自分自身まで偉くなったように感じてしまうこともあるかもしれません。
名前を掲げて仕事をするということは、格好の良いことばかりではありません。
自分が発した言葉。
取った行動。
お客様との関わり。
一つひとつに責任が生まれます。
信用を失うこともあります。
誰かを傷つけてしまうこともあります。
場合によっては、自分だけではなく、家族や周囲の人の生活にまで影響することがあるかもしれません。
だから私は、
「何を名乗っているか」
よりも、
「その立場で、どんな人間でいるのか」
を大切にしたいと思っています。
そして、そのことを私に長い年月をかけて教えてくれた人がいます。
「どんなお父さんなんだろう」
私には、長いあいだ仲良くしていただいている友人がいます。
地元では多くの人が名前を知っている規模の企業に長年勤め、役職にも就いてきた方です。
その方と初めて出会ったのは、私の娘がまだ幼稚園へ入る前のことでした。
市が開催していたリトミックに当時のパートナーが参加し、そこで知り合ったご家族と一緒に食事へ行くことになったのがきっかけです。
初めて会う前、私は少し緊張していました。
「どんなお父さんなんだろう」
そんなことを考えながら、待ち合わせ場所へ向かいました。
そして実際に顔を見たとき、最初に抱いた印象は、
「顔がイカツい。なんだか怖そうだな」
というものでした。
ところが、その印象は話し始めてすぐに変わりました。
話し方がとても柔らかい。
穏やか。
そして優しい。
小さかった私の娘とも、自然に遊んでくれました。
こちらの話を上から否定しない。
最後まできちんと聞いてくれる。
気持ちを受け止めてくれる。
自分のほうが経験も立場も上だからと、相手を見下すようなことをしない。
その姿を見たとき、私は昔目にした言葉を思い出しました。
「いばるな、おごるな、あせるな」
私はその言葉を知ったとき、
「本当に、こんなふうに生きている人がいるのだろうか」
と、どこかで思っていました。
でも、その人を見ているうちに、
「こういう人のことなのかもしれない」
と思うようになりました。
肩書きを、自分から語らない人
仕事の話になっても、その方は自分から、
「私は係長です」
「課長をしています」
などと話すことはありませんでした。
自分の立場や役職を使って、大きく見せようとすることもありませんでした。
何も知らなければ、その会社で長く役職を務めている人だとは気づかなかったかもしれません。
私はその姿を見ながら、
人の本当の大きさは、肩書きを口にすることではなく、その肩書きを語らなくても伝わるものなのかもしれない。
そんなことを感じるようになりました。
それから私たちは、家族ぐるみで付き合うようになりました。
一緒に食事をする。
キャンプを教えてもらう。
魚釣りへ連れて行ってもらう。
ディズニーランドへ行く。
ご自宅へお邪魔するたびに、いつも心のこもった手料理を、お腹いっぱいになるまで振る舞ってくださいました。
料理のおいしさはもちろんですが、そこにあったご家族の温かさも、今でも私の心に残っています。
私や家族だけでは経験できなかった、たくさんの思い出を作っていただきました。
人生が変わっても、変わらなかった関係
そのような関係が何年か続きました。
しかし、やがて私は離婚し、生活が大きく変わりました。
それまでのように家族同士で会うこともなくなり、その方との付き合いも、ほとんど途絶えていきました。
人生の環境が変われば、人との関係も変わっていく。
私は、どこかでそう思っていたのかもしれません。
けれど、その方は違いました。
今でも年に数回、連絡をくださいます。
「元気にしていますか?」
「飲みに来ませんか?」
何年たっても変わらず、そう声をかけてくれます。
「親友だから」
私自身、心身の調子を崩した時期には、誘っていただいてもなかなか動けないことがありました。
人に会うことが怖い。
外へ出る気力が湧かない。
「行きたい」という気持ちはあっても、心と身体が動いてくれない。
そんな日もありました。
それでも勇気を出して、その方のもとへ顔を出すと、必ずと言っていいほど聞く言葉があります。
「親友だから」
たった一言です。
でも、その言葉は、お金を出しても手に入りません。
役職を得たからといって、手に入るものでもありません。
私はその方より年下です。
仕事の経験も、積み重ねてきた実績も、生活の安定も、私のほうが下だと感じることがあります。
親として子どもにしてあげられたことも、その方には到底かなわないと思うことがあります。
親への愛情。
家族への向き合い方。
比べれば比べるほど、自分には足りないものばかりが目につきます。
だから私は、心のどこかで、
「こんな私が、本当に親友と呼んでもらっていいのだろうか」
と思ってしまうことがあります。
けれど、その方が口にする、
「親友だから」
という言葉には、私には嘘があるように感じません。
私が順調なときだけ近くにいたのではありません。
離婚しても。
仕事や生活がうまくいかなくなっても。
人に会えなくなっても。
変わらず声をかけ続けてくれました。
その人が何を持っているかではなく、その人自身を見る。
私は、その方から本当の友情について教えてもらったように思います。
教えられたのではなく、姿から学んだ
私がこれまで何度転んでも立ち上がり、ここまで歩いてこられたこと。
かつてマイホームを手に入れようと思えたこと。
自分にも何かできるかもしれないと、少しずつ前を向けたこと。
その一つひとつに、その方から受けた影響がありました。
直接、
「こう生きなさい」
と教えられたわけではありません。
何かを強く勧められたわけでもありません。
ただ、その人の姿を見ているだけで、私はたくさんのことを学びました。
立場が上になっても、威張らない。
自分の持っているものを誇示しない。
相手によって態度を変えない。
年齢や仕事、収入や生活状況で、人の価値を決めない。
困っている人や弱っている人にも、変わらず声をかける。
その方は私にとって、ただの友人ではありませんでした。
私が、
「こんな人間になれたらいいな」
と思える人でした。
私にとっての、一つの生きる道筋だったのかもしれません。
「目指していた立場には、もうなれない」
ある日、その方から、
「また一緒に飲まない?」
と連絡をいただきました。
私は久しぶりに、ご自宅へお邪魔しました。
その日も、いつものように手料理をお腹いっぱいごちそうになりました。
変わらない温かさの中で過ごしていると、その方が仕事について話してくれました。
持病が仕事に影響し、課長の職を降りることになったという話でした。
そして静かに、
「目指していた立場には、もうなれない」
「出世コースから外れた」
そう話しました。
私は、返す言葉を見つけられませんでした。
私には、会社の中で出世した経験がありません。
長い年月をかけて実績を積み上げ、大きな責任を背負い、その先の立場を目指し続けた経験もありません。
だから、その言葉の重さを、本当の意味で理解できるとは思いませんでした。
軽々しく、
「そんなこと気にしなくていい」
「肩書きなんて関係ないよ」
とは言えませんでした。
本人にとっては、長いあいだ目標にしてきたものです。
時間も。
努力も。
我慢も。
たくさん積み重ねてきたはずです。
それを失ったときの辛さを、分かったふりだけはしたくありませんでした。
だから私は、その話を聞くことしかできませんでした。
親友だと言ってもらいながら、何もしてあげられない。
気の利いた言葉も出てこない。
そんな自分を情けなく感じました。
私が憧れていたのは、肩書きではなかった
でも、その話を聞きながら、一つだけはっきり分かったことがありました。
私はこれまで一度も、
「この人は課長だから素晴らしい」
と思ったことがなかったのです。
大きな会社に勤めているから、憧れたわけではありません。
役職があるから、尊敬していたわけでもありません。
収入や生活水準が高いから、親友でいたいと思ったわけでもありません。
私が憧れていたのは、その人の生き方でした。
幼い娘と優しく遊んでくれた姿。
私の話を否定せず、最後まで聞いてくれた姿。
自分の立場をひけらかさず、誰に対しても穏やかに接する姿。
家族を大切にし、私たち家族にもさまざまな経験をさせてくれた姿。
自宅へ招き、いつも温かい手料理をお腹いっぱい振る舞ってくれたこと。
私の生活が変わっても、変わらず連絡をくれたこと。
そして、
「親友だから」
と言い続けてくれたこと。
私が尊敬していたものは、最初から肩書きではありませんでした。
役職を降りても。
出世コースから外れても。
私にとって、その方の価値は何ひとつ変わりません。
今も変わらず、心から尊敬しています。
そして、これからも大切な親友です。
「あなたが親友で良かった」と言ってもらえるように
私から、その方へできるようなアドバイスはありません。
出世を経験していない私が、分かったようなことを言うべきではないと思っています。
今の私にできるのは、
話したくなったときに話を聞くこと。
そして、自分は自分の人生を精いっぱい生きることです。
いつかその方が、今の苦しみを振り返り、少しでも笑って話せる日が来たとき、
「あなたが親友で良かった」
そう言ってもらえるような人間でありたい。
そして私からも、
「私は今、笑って生きています」
と胸を張って伝えられるようになりたい。
あなたが私に見せてくれた生き方は、今の私の中にも確かに残っています。
威張らないこと。
おごらないこと。
人を肩書きや立場だけで判断しないこと。
苦しんでいる人を見下さないこと。
相手の話を最後まで聞くこと。
離れていても、変わらず気にかけること。
私は、その一つひとつを忘れずにいたいと思っています。
肩書きよりも、生き方を大切にしたい
私は個人事業主になりました。
でも、それによって人より偉くなったわけではありません。
「代表」と名乗るようになったからといって、人間そのものが急に立派になったわけでもありません。
だからこそ、これからも、
「何を名乗っているか」
より、
「どういう人間でありたいのか」
を大切にしていきたいと思っています。
誰かより上に立つことではなく、できるだけ同じ目線で話すこと。
自分の経験を正解として押しつけるのではなく、
「私はこうだった」
と伝えること。
自分にできないことを、できるように見せないこと。
分からないことは、分からないと言うこと。
そして、誰かが苦しいときに、その人を見下さないこと。
私がAngel Smileという名前で仕事を続けていくなら、そんな姿勢を忘れたくありません。
私が受け取ったものを、どう生かしていくのか
私はこれまで、親友からたくさんのものを受け取ってきました。
気にかけてもらえる安心。
話を聞いてもらえる温かさ。
立場や生活が変わっても、変わらず接してもらえること。
そして、
「親友だから」
と言ってもらえたこと。
その人と同じことを、私が誰かにできるとは思っていません。
人と人との関係を、AIで再現できるとも思っていません。
友情には、友情にしかないものがあります。
家族にしかできないこともあります。
直接顔を見て話すからこそ届く言葉もあります。
ここまで書いてきた親友との話も、岩井ちゃんAIを紹介するために作った物語ではありません。
私自身の人生の中に、本当に存在している大切な出来事です。
そして、その経験はその経験として、私の中に残り続けています。
そのうえで、Angel Smileを運営するようになった今、
「自分には、どんな形なら誰かの役に立てるのだろう」
と考えるようになりました。
その中の一つが、岩井ちゃんAIです。
岩井ちゃんAIは「答えを教える人」ではありません
岩井ちゃんAIについて、私は、
「悩みを全部解決してくれるAI」
とは考えていません。
人生には、簡単に正解を出せないことがたくさんあります。
仕事を辞めるか。
続けるか。
誰かに謝るか。
距離を置くか。
家族に話すか。
まだ黙っているか。
どれが正しいのかは、その人の状況によって違います。
だから岩井ちゃんAIが、
「こうするべきです」
と人生の答えを決めることが目的ではありません。
むしろ使ってほしいのは、
「自分でも、どうしたいのか分からない」
そんなときです。
感情と、事実を少し分けてみる
たとえば職場で、誰かから嫌なことを言われたとします。
腹が立つ。
悔しい。
もう顔も見たくない。
「明日全部言い返してやろう」
そんな気持ちになることもあるでしょう。
その感情が悪いわけではありません。
でも、そのまま相手に伝えたら、後悔することもあるかもしれません。
そんなときに、
「今日こんなことを言われて、本当に腹が立っている」
と岩井ちゃんAIに送ってみる。
そこから、
何を言われたのか。
自分は何に一番傷ついたのか。
本当に相手に伝えたいことは何なのか。
今すぐ伝えたほうがいいのか。
今日は何もしないほうがいいのか。
少しずつ整理していくことができます。
怒りを消すためではありません。
我慢させるためでもありません。
感情そのものを否定せず、そのあとどう行動するかを考えるためです。
「本当は何を伝えたいのか」を考える
人間関係で難しいのは、自分の中では分かっているつもりでも、相手へ伝えようとすると言葉が出てこないことがあります。
「もう限界です」
と言いたいのか。
「その言い方は辛いです」
と伝えたいのか。
「少し仕事量を減らしてほしい」
と言いたいのか。
「今は話す時間がほしい」
と言いたいのか。
気持ちが混乱していると、その違いすら分からなくなることがあります。
そんなとき、
「上司に話したいけど、何て言えばいいか分からない」
と相談する。
すると、自分の言いたいことを整理しながら、
「この言い方なら伝えられそう」
という文章を一緒に考えることもできます。
LINEを送る前。
メールを送る前。
家族へ話す前。
会社で相談する前。
一度、言葉を整理してみる。
それだけで、相手へ伝わり方が変わることもあると思います。
「自分が悪いのかな」と思ったときにも
悩んでいると、
「自分が悪いのかもしれない」
と思うことがあります。
反対に、
「全部相手が悪い」
と思うこともあります。
でも、気持ちが大きく動いているときは、自分一人では別の見方ができなくなることがあります。
そんなときに、
「これって私が悪いのかな」
と話してみる。
自分の行動。
相手の言葉。
その前に何があったのか。
自分は本当はどうしてほしかったのか。
そうしたことを順番に整理する。
すると、
「自分にも伝え方で改善できるところはあったかもしれない」
と気づくこともあるでしょう。
反対に、
「これは自分だけで背負う問題ではないかもしれない」
と気づくこともあるかもしれません。
どちらかを悪者にするためではなく、
少し離れた場所から、自分の状況を見直すために使う。
そんな使い方もできます。
決断する前に、選択肢を並べてみる
「仕事を辞めたい」
と思ったとき。
選択肢は、
辞める。
続ける。
その二つだけとは限りません。
休む。
部署について相談する。
働きながら転職先を探す。
勤務条件について確認する。
誰かに話してみる。
今日は何も決めない。
そうした選択肢があることもあります。
もちろん、最後に辞めるという結論になることもあります。
続けると決めることもあります。
大切なのは、
「今の感情の中で見えている答えだけが、本当に全部なのか」
を一度考えてみることだと思います。
岩井ちゃんAIは、その選択肢を一緒に並べて考えることができます。
人に相談する前の「整理場所」として
人に相談することには、勇気が必要なことがあります。
友達に話したら心配させるかもしれない。
家族にはまだ言いたくない。
会社の人には話しにくい。
専門家へ相談するほどなのか、自分でも分からない。
そんなこともあります。
だから、
「人に相談する代わり」
ではなく、
人に相談する前に、自分の気持ちや状況を整理する場所。
そんな役割も、岩井ちゃんAIにはあると思っています。
話しているうちに、
「これは一人で抱えないほうがいいかもしれない」
と思えば、そこから誰かへ相談することもできます。
逆に、
「今日はただ腹が立っていただけだった」
と気づいて、それで終わることもあります。
どちらでもいいのだと思います。
AIだけで解決しなくてもいい
もちろん、岩井ちゃんAIですべてを解決できるわけではありません。
医療。
法律。
犯罪。
暴力。
深刻なハラスメント。
命や身体の安全に関わること。
そうした問題では、人や専門家、公的な機関などの力が必要になる場合があります。
AIだけで抱える必要はありません。
人でもいい。
家族でもいい。
友人でもいい。
専門家でもいい。
公的な相談先でもいい。
そして、
「まだそこまで話す準備ができていない」
というときには、一度AIに話して気持ちを整理してみる。
私は、そうやって選択肢を増やすことができればいいと思っています。
どんな肩書きを持っているかより、誰かの心に何を残せるか
私が親友から受け取ったものは、肩書きではありませんでした。
役職でもありません。
私の心に残ったのは、
「親友だから」
と変わらず声をかけてもらったこと。
話を聞いてもらったこと。
生活や立場が変わっても、同じように接してもらったこと。
その人の生き方そのものでした。
私はその方のようにはなれないかもしれません。
でも、自分なりの形で、これまで受け取ってきたものを生かしていくことはできると思っています。
Angel Smileも。
岩井ちゃんAIも。
そのための一つの方法です。
ただ、それが唯一の方法だとは思っていません。
誰かに助けてもらえるなら、その人を頼ればいい。
一人で休みたいなら、休めばいい。
専門家が必要なら、その力を借りればいい。
そして、
「今はまだ誰にも話せない」
「自分でも、どうしたいのか分からない」
「相手に何と言えばいいのか分からない」
そんなときに、
岩井ちゃんAIという選択肢を思い出してもらえたら。
そのくらいの距離でいいと思っています。
私はこれからも、
肩書きよりも、生き方を大切にしたい。
どれだけ上に立てたかではなく、
どれだけ人と同じ目線に立てたかを大切にしたい。
そして、私にそのことを背中で教えてくれた親友へ。
今まで支え、見守り続けてくださり、本当にありがとうございます。
あなたが私を、
「親友」
と呼んでくださるように、
私にとっても、あなたはこれから先もずっと、かけがえのない親友です。
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