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50代フリーランスが必要とする《孤独》とは?

先日来、読み進めている、山田ズーニーさんの『17歳は2回くる』。

思わず立ち止まって考えたくなるような「問い」が満載で、時に「ぐぬぬ・・・」と頭を悩ませながら読んでおります。

昨日は、こんな問い。

孤独の反対語は?

おおう。なんとも深い問いかけです。

「孤独」というと、「孤独死」だったり、「独居老人」だったりと、昨今はあまりよいイメージで受け取られない言葉の一つだったりします。

けれど、私はどちらかと言えば、フラットなイメージを持っています。ポジティブだとちょっと言い過ぎ。まさに、フラット。

そもそも、孤独でないとできないことがあります。私の仕事や、このnote執筆に関しても、孤独が前提です。

よく、恋愛ドラマや映画で、恋人やパートナーに別れを告げるときに、「あなたといても、私は孤独だった」なんてセリフがありますよね。

「他者がいるかどうか」というより、その「関係性の濃度」のほうが色濃く出る。

そして、このセリフの「孤独」には、「寂しい」という感情が潜んでいることがほとんど。

逆に、「孤独」でいるときに、心穏やかだったり、心の静けさを感じたりすることもあります。

それは、自分自身と向き合っているとき。

こうした場合は、たとえカフェや街の喧騒のなかでも、心地よい孤独を感じることができます。

私が仕事やnoteに必要なのは、この意味での「孤独」です。


ズーニーさんも、「孤独」について次のように語られています。

孤独は怖いものでも悪いものでもなく、創造の母であり、生きる喜びへと自分を押し出してくれるものだ。人に伝わるものを書こうと思ったら、孤独とはよくつきあわなければいけない。

『17歳は2回くる』 山田ズーニー著 河出書房新社

こうした点から考えると、「孤独」の反対は、「無刺激」だったり「無反応」かなと。

ちなみに、ズーニーさんは「思考停止」という言葉を挙げていらっしゃいました。

私の場合は、本やSNS、映像など漫然と眺めているときが、「孤独」と反対に位置する状態かな。

「ぼんやり」ならいいのです。人間、休養も必要ですから。でも、「漫然と」は、ちょっとそれとは違う。

「ひとりでいる」という物理的な意味では、「孤独」と言えるのかもしれませんが、「創造」や「生きる喜び」といった要素は皆無。

まったくの、無刺激、無反応状態です。流行のフレーズを使えば、「時間を溶かしている」だけ。

「虚無」と言い換えても、よいかもしれません。

「孤独」が、静寂さの中で世界とつながっているとしたら、「虚無」は、そのつながりがプツンと事切れているような状態。

先ほどのセリフ、「あなたといても、私は孤独だった」と、感情的には近しい状態なのかもしれないなぁ。

・・・と、こんな風に読書体験を深めていけるのも、「孤独」の愉しさであり、喜び。そんなことを改めて思った連休明けの朝でした。

あなたにとって、孤独の反対語はなんですか? (来月のnote部のお題にしようかな 笑)

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