AIは言葉を「確率」で選ぶけれど、人は言葉を「意志」で選ぶ。
伝わる文章には、あえて書かなかった「余白」があります。 読む人の想像力に委ねる、その絶妙な匙加減。
昨晩、こんな文章に出逢いました。
まるで、病院の建物が私に見られるのをいやがって、魔法の殻に閉じこもっているのではないかと疑いたくなる。
「魔法の殻に閉じこもる」
理路整然とした説明ではありません。正確な描写でもない。
でも、この一文を読んだとき、何かの気配がじわりと忍び寄ってくる。
大いに想像力をかき立てられるのと同時に、少しの不気味さに足がすくむ。
その建物が実際にどんな外観をしていたのか、そんなことはもはやどうでもいいこと。
大切なのは、須賀さんがその場所に感じた「気配」。
そして、それを受け取った読み手の胸の内で静かに育っていく、それぞれの「イメージ」だから。
これが「余白」の力だと、私は想うのです。
型や文章術に則るなら、AIに任せた方がよほど完全な形になる。 整合性も、読みやすさも、構成の美しさも。
なので「型」や「文章術」を教えること、学ぶことには、もはや意味を見出せない。
一方で、「完全」であることと「伝わる」ことは、また別の話。
書き手の体温や息遣いは、むしろ言葉の隙間から漏れ出てくる。
迷いながら選んだ一語、論理より先に手が動いてしまう感覚、そして、記すことなく手放したであろう、幾つもの言葉たち。
効率化の先にある「不完全な美しさ」こそ、私たちが書き続ける理由ではないのかな。
AIが確率で最適解を導くとき、人は迷いながら、それでも「この言葉しかない」と一つひとつ選んでいく。
その切実さが、余白を生む。迷いを一手に引き受けてくれる言葉など、存在しないのだから。
そして余白が、誰かの想像力を呼び覚ます。
文章を書くということは、こうした意志の連鎖。そのことを、昨晩の一文に改めて気づかされました。
だとすれば、AIと人間の「共存」も、役割分担ではなく、もっとシンプルに考えられるかもしれません。
型はAIに。余白は人に。
調べることや整えることをAIに委ねた分だけ、「この言葉しかない」と迷い続ける時間を、自分のために取っておく。
不完全であることを恐れずに、むしろそこに宿る何かを信じて、書き続けること。
それが、これからの「書く人」の在り方なのかもしれません。
✿✿ 言葉の余白、一緒に考えてみませんか ✿✿
✿ 筆子だより ✿
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