#14. 高IQ弁護士の言葉から紐解くギフテッドの自己理解
最近、発達障害当事者たちの「覚醒」体験についての投稿を何度か目にした。
ここでいう覚醒とは、
定型発達者(基準となる多数派)たちと自分との違いやズレ、違和感の原因、自分の言動や行動がどう見られていて何が人々の反発を引き起こしていたのか、人間関係がうまくいかなかった理由などを、これまでになかった客観的視点という見地から「そういうことだったのか!」とある日突然理解するという現象のこと。
それにより、自分の障害についての理解の深まったり、生きにくさからくる無意識に常態化していた過緊張から解放や、安心を取り戻す感覚だったり、自分の中で迷子になっていた感覚と現実のズレがカチッとはまる感覚などに繋がっていくことも多いという。
しかし同時に、今まで無意識に自分の言動行動が周囲の人を不快にしたり傷つけたりしてきたこと、空気が変わる原因も一気に理解できるようになるため、過去の自分に対する羞恥や罪悪感など新たな苦しみを生むこともあるそうだ。
その視点が機能し始めたことで、それまでも当たり前に目の前にあったのに見えなかった・気づかなかったさまざまなことが急に見えてきて理解が捗る感覚。私は発達障害当事者ではないのだが、自身のIQを知った時の感覚はこの覚醒に近いものであるように感じた(全く違うかもしれないけど!)。
過去に対しては、周囲の人たちとのすれ違いやはみ出し者的感覚についての羞恥や罪悪感よりも「どんなに努力しても、歩み寄ってもどうにもならないことだった」=”何10年もの時間を無駄な努力に費やしてしまった+今後も変わらない”という事実に打ちのめされたりした。
以前、弁護士の知り合いと話したときのこと。
日本と某国両方の弁護士資格を有し、現在は外国で活躍する彼女は誰の目から見てもわかりやすくギフテッドなわけだが、当の本人にその自覚は昔からあったのかと聞いてみたことがある。
彼女曰く、IQテストを受けたことはないが、ギフテッド的特性(当時はこの言葉はないけど)があることは幼稚園の頃から自覚していたそうだ。
では、どうやってそれを自覚できたのか?
「幼稚園の頃は、先生に言われたことを他の子供達よりもいつも早く課題を終わらせてしまうため他の児童が終わるのを待つ時間が発生し、いつもひまだなと思っていた」
「小学校に上がってからは、テスト等で明確に点数に表れるので、自分が他の子供達よりも勉強ができるということを理解していた」
そして、
「そのこと(ギフテッドである認知=人との違い)と、同級生たちと遊んでも楽しいと思えず内心ひどく孤独だったことの因果関係もなんとなく理解していた」
そうだ。
小学生にして、同級生たちと自分の能力の違いのみならず、友達が楽しそうにしていることを自身が楽しめないこと・一緒にキャッキャできないことが同じ線上にあることを理解していたというのだ。
(メタ認知の強さよ!!!)
私のnoteを読んでくださる方の中には、私のようにアンダーアチーバーだったり、大人になって知能検査を受けるまで自身のIQの高さに気づかなかったという人もいらっしゃるだろう。その観点がなかったことで、長らく苦しんできた生きにくさの理由の一端がまさか高IQに由来していただなんて想像もしなかっただろうし、知る由もなかったという方もいらっしゃるのではないだろうか。
「私には 『勉強ができる』という分かりやすい定規があったから、自分と人との違いに気づきやすかったし腑に落としやすかった。人とうまくいかないことも理由がわかっていたから『寂しいけど、しょうがない』と子供ながらに納得できた。だから、気づくきっかけがないままだったLilyさんは余計に辛かったと思う。」
彼女にそう言われて、確かにそうかもしれないなと思った。
私は勉強は学年が上がるにつれて上の上から中の中あたりにゆっくり下降して行ったこと、両親との関係性の中でどんなに成績が良くても「頭は悪い、勉強ができない」という刷り込みによりその点に関するメタ認知が壊滅していたこと(知能検査とカウンセリングにより知った)などから、自分の特性を完全に見過ごしていたのだろうなと思う。
ただ、必ずしも「勉強ができるというわかりやすさがあったら自覚できる」というわけでもないのだろう。多くのギフテッド当事者の本や動画をみてみると、勉強ができてもギフテッド特性という認識には繋がらなかった人も多い。IQの数値を知らずとも自身で認識できたこと、さらにはそれ特有の孤独感にまで認識を広げられていたのは、先述の彼女個人の能力だ。
ギフテッドというと、一般的にはなんでも器用にこなせる人生イージーモードな人々と思われている節があるが、実際はその中でも特性は幅広く分かれており、全員が全てを器用にこなせるわけではない。私は明らかにその類ではない。
そして、彼女のように自身の特性を認識・理解していようと、それに付随する孤独感がある場合には子供の立場ではどうにもできないし、「同級生たちと同じように物事を楽しめない」という思いは劣等感やコンプレックスにもなりうる。その知人も、学生時代は友達と呼べる人がおらず寂しい思いをしていたと話していた。
彼女のように、自身の特性を認識している人には「覚醒」が起こることはないし必要もないのだろう。しかし、知らないまま苦しんでいる人には、知識としての知能指数は大きな覚醒を促すきっかけになり、それを知ったことで苦しむこともあるだろうが、自己理解が深まり人間関係の悩みの原因を紐解く助けにはなると思っている。
