やりたいことを表明するのをこわがるのはもうやめだ
目指すものの手段と目的をもう一度考え直してみた
2020年1月から新しい職場で会社員となって、早いもので8ヶ月が経とうとしている。
WEBライティングの勉強を始めたのが2018年春ごろ、それから1年半、業務委託やIT企業のライターのバイトをして、いまはインハウスのWEB担当者として、自社サービスへのWEB集客のためにコンテンツ制作などをしている。
(なんとライティング以外ほとんど未経験なのに部署立ち上げの社員1号というカオスな状況。現在はSEOの師匠とも呼ぶべき同僚が増えたので2人で運営している)
そういえば、なんで転職しようと思ったんだっけ、と思い返してみると、いつも環境を変えるきっかけは現状への焦りか、外部からの不可抗力だったように思う。
今回の転職の場合は前者で、ライターだけで今後もやっていくより、できることを増やして掛け合わせていきたい、という思いが強かった。
そして、今後もし環境が変わっても、時間や場所を左右されない働き方ができるようにスキルをつけておこう、とも思った。
でも、今後どんな風に環境が変わるかなんて、どれだけ準備して考えたところでわからない。
いまの仕事で、SEOのことやWEBマーケティングのことや、アナリティクスの分析なんかも多少はかじったけれど、大事なのはそれを知っていることじゃなくて、何に生かしたいのかということじゃないんだろうか?
自分がほんとうにやりたいことってなんだろう、と考えたとき、採算や現実を考えて先回りをして蓋をするようになったのはいつからだろう。
わたしにとって到底実現不可能に思える夢物語を口に出すことはとてもこわいことで、そんなのは無理だとか、現実見ろとか言われないためにせっせと脳内でシミュレーションしては、どうやって理屈で武装すれば怒られないのか、反対されないのかというところまで先回りして考えてしまう。(なんでそんな自意識過剰なこと考えてるのかってことについてはまた今度書いてみたい)
でも、周りには、自分のやりたいことを表明して、それに賛同する人が周りに集まってきて、仕事や生活の一部にして暮らしている知人や友人が何人もいる。
そうやって、声をあげて、周りの人を上手に巻き込んで、試行錯誤をしたから、現実がそちらに向かっていったのだ。
いつまでも脳内でやりたいことを思い描いているだけでは、実現する・しないの俎上にも乗ることもできないのは明白だろう。
で、前置きがとても長くなってしまったのだけど、ここからはわたしがやりたいことを決意表明しておきたい。
大好きなうつわや本やお茶に関わって生きていきたい
わたしは手仕事のうつわや民藝が大好きだ。
そして、そこに注がれる日本茶も大好きだ。(好きすぎて売ってたほど)
いつか、自分のお気に入りの空間に選りすぐりの素敵なうつわを並べて販売したり、ときどき展示会をしたりしたい。(ギャラリーの仕事もたのしかったな)
そして、大きな本棚がある空間も大好きだから、壁一面の本棚に詩歌や暮らしや旅の本をぎっしり詰め込んで、本屋なのかうつわ屋なのか、はたまたギャラリーなんだかよくわからない、でもなんか妙にいごこちの良い場所みたいなものが作りたい。
そうしてあちこちから集めてきたものや、作っている人の素敵な一面を伝えていけるような、そんな仕事ができたらいいなと夢見ている。
でも、現実には、採算が合うのかとても微妙だろうし、なんにせよ開業資金も人脈もなにもない。まあ、だからこれは妄想で終わることだ、と思っていた。
そうして、せっせと妄想だけが膨らんでいくうちに、はたと気が付いた。
「あれ、わたしがやりたいことってWEBを使って小さく始められるんじゃない?」と。
うつわや作家さんのことを伝えるなら、WEBマガジンやSNSを使って発信できる。
そして、やっぱり好きだと思える「モノ」を売りたいのだけど、それもネットショップで実現できる。
物理的に、空間そのものを作ることはすぐにはできないけれど「伝える」部分に関しては、いまからでも小さく始めることができる。
ちょうど、それと前後して、前から挑戦したかったWEBデザインの勉強をしようかどうか検討していた。
はじめは、書くことだけじゃなくて、デザイン(ビジュアル面)のスキルもつけておきたいな、という動機だったのだけど、この思いつきに背中を押されて、ついにデジハリに8ヶ月間通うことを決めた。(この話は別のマガジンで詳しく書いていこうと思う)
いままでだったら、きっと「WEBデザイナーになって家で仕事したい」ということを目的として勉強していただろう。
けど、いまはWEBデザインやライティングを手段として、自分がどんな暮らしをしたいのか、どんな仕事に生かしていきたいのかを少しずつ具体的に考えている。
WEBデザインとライティングやりながらECサイトもやりたいだなんて、そんな甘くないよ!とどこからかお叱りが聞こえてきそうな気もするが、理屈で身を守らなくたって「いや、わたしはこれがやりたいからやる!」って堂々としていていいのだよね。
やりたいことを通して気がついた、心の師匠の話
お盆だったので、父とよもやま話をしていたときのことだ。
実家では、亡き祖父が始めた自営業を父が継いでいるのだけど、法人化した頃に本屋をやる構想があったらしいと聞いてびっくりした。(結局実現しなかったけれど)
祖父は静岡出身で、お茶屋から鞍替えして家業を始めた人で、我が家はお茶には深い縁がある。
だから、わたしがお茶屋で働き始めたときはうれしそうにしてたよ、と父から聞いたこともある。
思えば、わたしが本のある空間が好きなのは、子供の頃毎週のように家族と図書館に行っていたころからだし、うつわに興味を持ったのも、お茶屋さんで急須やお茶碗が身近にあったことからだ。
それから一人暮らしをして好きな食器を買い集め、ギャラリーで作品とそれを作っている方と実際にお会いすることもあって、うつわへの興味を惹かれていった。
いまやりたいと思っている好きの詰め合わせのような妄想は、振り返ってみると、ぜんぶ自分のバックグラウンドにあったものから成り立っている。
祖父はわたしが学生の頃に亡くなってしまったから、仕事について深い話をしたことは1度もない。けれど、父と仕事の話をするたびに、妙な共通点が見えてくる。
出征もして、静岡から名古屋に出てきて仕事をして、7人の子をなし、50才過ぎてからいまの家業を始めて、60才前でマイホームを建てた、祖父のバイタリティは、わたしにとって何を始めるにしても遅くはないということを教えてくれている。
いつからか、わたしにとっておじいちゃんは仕事のことを見守っていてほしい心の師匠だ。もしお盆で近くに帰っているのなら、仕事のことを話してみたいなあ。
