Bar 灯影シリーズ 第66話|マンハッタン 切ない恋心と女王の名
十一月下旬の夜、冷たい空気が街を包んでいる。週の半ば、街は静かに落ち着いている。街路樹の枝が風に揺れ、乾いた音が響く。看板の真鍮プレートが街灯を反射し、「Bar 灯影」の文字が浮かび上がった。
カクテルの選択
彩香は重厚なチーク材のドアを押し開けた。
彩「こんばんは」
マ「いらっしゃい。今夜は少し考え事ですか?」
黒檀のカウンターに腰を下ろすと、低く流れるジャズが心地よく耳に届く。彩香はトートバッグからスマホを取り出し、カウンターに置いた。
彩「今日、同僚に食事に誘われて」
マ「それは良かったですね」
彩「でも、断ったんです」
マ「理由はありますか?」
彩「なんとなく……怖くて」
彩香は少し俯いた。
マ「今日はどんな気分ですか?」
彩「複雑です。嬉しいような、でも不安で」
マ「でしたら、マンハッタンでいきます」
彩「マンハッタン……有名なカクテルですよね」
マ「カクテルの女王です」
一杯の完成
マスターはミキシンググラスに氷を入れ、ステアして冷やした。余分な水を捨て、ライウイスキー、スイートベルモット、アンゴスチュラ・ビターを注ぐ。静かに大きく氷を回し、とろりとなめらかな質感を引き出す。
マ「静かに大きく回します。なめらかさを出すためです」
ストレーナーを取り付け、冷やしたカクテルグラスへ注ぐ。マラスキーノチェリーを添え、レモンピールをひねって香りを立たせた。深い赤茶色の液体が、美しく輝いた。
彩「きれい」
マ「まずは一口、どうぞ」
味わい・余韻
彩香はグラスを手に取り、一口飲んだ。ウイスキーの深みのある風味とベルモットの甘味が絶妙に調和し、ビターズのほのかな苦味がアクセントになる。喉ごしはとろりとなめらかで、レモンの香りが鼻腔を抜けた。
彩「濃厚ですね」
マ「ウイスキーとベルモットが調和しています」
彩「でも、バランスが取れてる」
マ「ビターズが全体を整えています」
彩香はもう一口飲み、スマホを見つめた。
彩「このカクテル、どんな言葉を持ってるんですか?」
マ「『切ない恋心』です」
彩「切ない……」
マ「複雑な気持ちですね」
彩香は少し考えてから、マスターを見た。
彩「同僚、優しい人なんです」
マ「どんな人ですか?」
彩「いつも助けてくれて。プロジェクトでも、すごく頼りになって」
マ「いい人ですね」
彩「でも、私、恋愛とか苦手で」
マ「苦手?」
彩「父が亡くなってから、母が一人で頑張ってて。恋愛してる場合じゃないって思ってたんです」
マスターは何も言わず、グラスを拭いている。
彩香はグラスを傾け、ゆっくりと飲んだ。ベルモットの甘味が舌を包む。
彩「このカクテル、どうして女王なんですか?」
マ「マティーニが王様、マンハッタンが女王と呼ばれています」
彩「女王……」
マ「ニューヨークのマンハッタンで生まれました。大統領選のパーティーで出されたと言われています」
彩「パーティー……華やかですね」
マ「華やかですが、深みもあります。このカクテルのように」
彩香はチェリーを見つめた。
彩「私、華やかなこと苦手なんです」
マ「でも、深みはあります」
彩「深み……?」
マ「あなたは、家族を大事にしています。それは深みです」
彩香はもう一口飲み、スマホを手に取った。
彩「同僚に、なんて返そう」
マ「正直に言えばいいんです」
彩「正直に……」
マ「今は答えられないって。でも、気持ちは嬉しいって」
彩香は少し考えてから、メッセージを打ち始めた。「誘ってくれてありがとう。でも、今はごめんなさい。また仕事で一緒に頑張りましょう」。
彩「これで、いいですよね」
マ「いいと思います」
彩「切なくないですか?」
マ「切ないです。でも、正直です」
彩香は送信ボタンを押し、スマホをトートバッグにしまった。
彩「このカクテル、複雑ですね」
マ「複雑ですが、バランスが取れています」
彩「私も、バランス取れるかな」
マ「取れます。ゆっくりでいいんです」
彩香はグラスを空にし、カウンターを離れた。
彩「ありがとうございます。また来ます」
マ「お待ちしています」
彩香はドアを押し開けた。冷たい夜風が頬を撫でる。空を見上げると、星が瞬いていた。彩は一歩を踏み出し、夜道を歩き始めた。
マスターのカクテルメモ

・ライウイスキー 45ml
・スイートベルモット 15ml
・アンゴスチュラ・ビター 1dash
・マラスキーノチェリー
・レモンピール
ミキシンググラスとサービス用グラスはしっかり冷却ステアは氷を静かに大きく回してとろりとなめらかな質感を引き出す
チェリーは軽くすすいで水気を切り最後にレモンピールをひねって香りをふわり
ダークチョコドライチェリーローストナッツ熟成チーズと好相性
カクテルの女王
カクテル言葉は「切ない恋心」
レシピページ
材料リスト
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