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山本コータロー 岬めぐり

このごろ、夜寝る前に「岬めぐり」を一度聴いています。

なんだかあのほのぼのとした景色、感じ?青空と海が思い浮かんで、水平線まで見えてくるようです。歌詞はあまり聞かず、ただの失恋?センチメンタルジャーニーの歌なのかなと思っていました。だけど、なんとなくよく聴いてみると言葉づかいがなんだかちょっと違うかなと思って考えてみました。

この歌は1974年の歌だと初めて知りました。

作曲は山本厚太郎さん自身、作詞は杉山路夫さん。


岬めぐり 

(作詞:山上路夫 作曲:山本厚太郎)

あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は 訪ねて来た
二人で行くと 約束したが
今ではそれも かなわないこと
岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう

幸せそうな 人々たちと
岬をまわる 一人で僕は
くだける波の あの激しさで
あなたをもっと 愛したかった
岬めぐりの バスは走る
僕はどうして 生きていこう
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう

岬めぐりの バスは走る
窓に広がる 青い海よ
悲しみ深く 胸に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう


気になる表現が少しある。

たずねて来た:わざわざ来たということは、遠くから来たということなので、よほど思いが強い、ということか?

かなわないこと:できないよりもよりもっと強くできない、不可能なことを表してる?

悲しみ深く胸に沈めたら:沈める?普通はどこかへやる、ふきとばす、忘れようとするものでは?心の奥底に残しておく、ということなのだろう。

この旅終えて:「たび」は普通の旅行とは違う。精神的に何か変化があるときに使われる言葉だろう。

街に帰ろう:街とは今までどおりの生活に戻るということで、彼女なしで生きていくという決意なのか?

僕はどうして生きて行こう:これは喪失感のきわみ。生きていけない(今の時点で)ってことだよね。相当深く傷ついてることがわかる。この部分であののんびりとしたメロディーとアレンジとは違う曲であることがはっきりとわかる。


ここまで深く悲しみ、傷ついているというのはどういう状況なのだろうと、考えてみた。相当仲がよかったことが想像される。一番突拍子もなく思われるのは、恋人の「死」だろう。でも、これはあまりにもできすぎている。歌詞にはぴったり当てはまるけれど。ひどいふられ方をした?いや、歌詞からは彼女は誠実そうな人だと思われる。歌詞の中の彼から見ての話だが。想像は想像を呼ぶだけだから別れた訳はあまり考えても仕方ないかと思う。聴いた人が考えればいいだけの話にしておけばいい。わかっているのは望まない別れをされたという事実だけ。


岬めぐりのバスに乗る

ぼくのまわりの席は

小さな子ども

おじいちゃん おばあちゃん

しあわせそうな人ばかり

バスが動き出す

彼女のことが頭をかすめる

視線が頭が気持ちがふわふわしている

来ちゃったな

彼女の言ってた

岬に


空が青い

海も青い

遠くの水平線は

海と空の青

太陽の光はあくまで明るく

底ぬけに明るい

ぼくの心のそこまで照らす

その光の明るさが

彼女のことを思い出させる



というような感じなのかな?とにかく傷ついた絶望的な状況の中に彼はいる。だけど、バスに乗っている。バスの中の人たちは明るい。見える景色も限りなく明るい。主人公の彼とはまったく反対だ。だからこそ、彼の悲しさはより強くなる。底抜けの明るさは悲しさをより際立たせる。

モーツアルトの音楽と似ているなと思った。モーツアルトの音楽にはなぜか悲しさを感じさせるものがある。後期の作品に顕著だけど、一番活動的だったころのものでも、ヴァイオリンコンチェルトなどの第2楽章あたりではそこはかとない悲しさを感じさせる。こういうことを考えると、あの牧歌的なアレンジと明るいキャッチーなメロディと歌詞の内容の食い違いは、モーツアルトの音楽を思い起こさせる。

作詞は山上路夫さん、当時の売れっ子作詞家だから、実体験というより想像で書かれていたのでは?その歌詞を読んだ山本厚太郎さんがあのようなメロディとアレンジを考えたのでは、と思ったりする。とすると山本厚太郎さんはなかなかできる人だなあ、なんて思う。青色と失った悲しみの対比。しかもだれも知らない。これはつらいです。


ちょっとむりむり解釈してしまったかな、と思ってます。岬めぐりをなんとなく毎日聴いていてちょっと考えてみたくなりました。それにしても古い歌です。50年も前の歌だったなんて。

今では、まず出て来ない曲です。あまりに簡単すぎて。あまりにフツウすぎて。あまりにも時代遅れな感じがして。だけど、どうだろう、一見当たり前の耳に残る歌だとあなどってはいけない気がする。メロディと歌詞のギャップから生まれるあの不思議な感覚はどうだ?今の曲はとても複雑なメロディラインをもっているけれど、やたら長くて普段使わないような言葉を使った歌詞を書いているけれど、そうなのかな、そんなにたくさんの言葉を使う意味はあるのか?圧倒的な言葉の量で聴く人たちを納得させているのか?多くの言葉を使わないと心の細かなニュアンスを表現できないとでもいうのか?音の幅をいっぱいに使って、やたらと高い音を出して、そうなんだろうか?難しい言葉を繰り出して聴く人にこんな言葉を使うからこんな心の奥深くまで表現できるって伝えているのか?なら、昔の曲はどうなんだっていうんだ?
時代の荒波を経て生き残った曲はどこかに残った訳がある。

岬めぐりは明るさと対比の悲しさと、歌詞そのもののメロディラインのよさで生き残っている曲だと思う。
馬鹿にしちゃいけないと思います。

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