女友達
大学時代の知人からLINEがきた。
この十年、あいつはずっと不定期に、
絶妙な疲労感を残すメッセージを送り続けてくる。
『バイト先の高校生(♂オス)になつかれちゃって、
いっつもヤツらとつるんでまーす(笑)
ガキがガキ扱いしてきてむかつくよー!
ま、かわいいやつらだけどさ★』
『子ども3人産んだのに
ウエスト53cmを保ったままのウチって一体(汗)』
『こないだ大学の同級生の○○○に偶然会って、
握手求められちまったよ~。
彼女、大学時代ウチに一目置いてたんだってさ~←ナゼ』
今回の用件は、「昨日発売の雑誌に我が家が載っているから見ろ」というものだった。
またか、と思う。
主婦向け生活誌によくある『収納の達人に聞く!』みたいな特集らしい。
彼女がその類の企画に写真付きで掲載されるのは、今回が初めてじゃない。
東京都在住・宮本さん(32)だとか
福岡県在住・篠原さん(36)だとか。
自身のノウハウを惜しみなく出し切るカリスマ主婦みたいな一般人たちは、雑誌編集者によって発掘されているわけではない。
自ら「取材してくれ」と応募しているのだ。
そのことを、私は彼女によって初めて知った。
時間があるのだろうな、と単純に思う。
大学の卒業を待たずに結婚し、一度も会社勤めを経験したことがない彼女は、日々スーパーのチラシとにらめっこして、30円安い白菜に歓喜し、テレビボードの上に溜まる埃に神経を削り、キッチンの壁に棚を取り付け、カーテンの色を思案し、ゆっくりと一日を終えるのだろう。
そんな自分の存在意義を証明するみたいに、彼女は雑誌の企画に応募し続けるんだろう、と。
私が知る20代前半の頃の彼女は、とにかくバランス感覚のない女だった。
物事の好き嫌いや善悪の判断にひどく偏りがあったし、ファッションセンスも独特だった。
嫌いな人間は容赦なく攻撃した。
他人を受け入れることをせず、受け入れられようともせず、そのくせ、まだ出会ったばかりでよく知りもしない私に対して
「うちら親友よね?」
などと見当違いなことを言ったりもした。
顔の造りは端正で、見た目にはすごく愛らしい子だったから、ほんと、こいつもったいねぇ、と当時の私はずっと思っていた。
私たちが親しく言葉を交わすようになったのは、三年になってからだ。
それまでは、それぞれ別の友人グループに属していた。
けれど彼女は、二年の途中あたりから、ひとりでいることが多くなった。
詳しい事情は知らない。
ただ、彼女の気性が災いした結果なのだろうということは、なんとなく想像がついた。
ある日、あいつは突然私たちの前に現れて、
「ひとりは嫌だから、あなたたちのグループに入れてほしい」
と中学生みたいなことを言った。
いいよ、と言うのもこっ恥ずかしくて、返事に詰まった私と友人は、おどおどと、互いの困惑した顔を見合わせた。
実際つきあってみると、彼女はまあ癖のある女だった。
自分が美人であることを相応に自覚していた彼女は、自らの容姿を誇る一方で、なぜかひどく卑屈でもあった。
「どうせうちなんか」と、よく口にした。
それでいて、話す内容といえば、薄っぺらい自慢話か、あるいは嫌悪感を抱くほど陰湿な他人の悪口ばかりだった。
それは、あの世代特有の矛盾だったのかもしれないと、今になって思う。
彼女だけじゃない。
私も、友人も。
みな何らかの矛盾を抱え、そして病んでいた。
それはきっと、特定の世代にだけ蔓延した流行病みたいなものだったんだろう。
あの頃、私たちは。熱に浮かされるみたいに「答」を求めていた。
自分は何者なのか。
個とは何者なのか。
集団とは何者なのか。
私は何がやりたいのか。
私は、何がやれるのか。
そもそも何もやりたくないし、
何もやれないんじゃないか。
じゃあ、なぜ私は存在しているのか。
出口の見えない自問はぐるぐると同じ場所を廻り続け、どろりと粘ついた感情だけが重たく沈殿していった。
そのねっとりと絡みつく自我を持て余しながら、それでも私は何もしなかった。
息をひそめ、身を固め、
そいつと共存することを選んだ。
そんな私とは対照的に、彼女は当時流行っていた女性シンガーのコピーバンドを結成し、そのボーカルを担当した。
行き場のない、暴力的な感情の塊を吐き出そうとしながら、しかしその得体の知れない感情に追いつくほどのボキャブラリーを、彼女は持ちあわせていなかった。
だから彼女は、借り物の言葉で、愛だの恋だの未来だのと叫び続けた。
彼女は美貌だけでなく、とびきり甘ったるい歌声も持っていた。
プロにならないかとスカウトされたこともあったらしい。
けれど、それは断ったのだという。
声をかけられたのは、バンドのメンバー全員ではなく、ボーカルの彼女と、ギタリストの二人だけだった。
ただし断った理由は、別に現メンバーの音楽性だとか、友情だとかを優先したかったから、というようなことではない。
そのスカウトマンは、「自分は○○○を見出した者だ」と、数年前にメジャーデビューした県内出身のロックバンドの名を挙げたのだという。
「うち、あいつらみてぇになりたくねーし」
吐き捨てるように、彼女はそう言っていた。
私は、彼女のことが嫌いではなかった。
彼女の言葉は、いつだって浅はかだった。
けれどそれは、言葉を塗りたくって本音を見えなくしてしまう種類のものよりも、ずっと透明で美しい気がした。
いつだったか、
「うち大学デビューなんよね。
高校んときは超暗くて友達一人もいなかったしー」
と、彼女が言っていたことがある。
――いや今も友達いないじゃん、
という突っ込みはさて置き。
そんな切ない告白を、「昨日の晩ご飯カレーだったー」くらいの軽さで、さらっと言ってのけたあいつを、私は、ちょっと好ましく思ってしまってもいた。
「うち、人と同じことしたくないんよね」
私の黴臭いアパートの部屋で、テレビの深夜番組の青白い光に照らし出されながら、彼女は、ゆらゆらと言った。
卒論の締め切りに追われ、気分がすっかり滅入っていた私は、なんとなく意地悪な気分になって
「『人と同じことしたくない』っていうのと、『人と同じだと安心する』っていうのって、他人が軸って部分で、似たようなもんよね。
それって結局、どっちも自分ってもんがないよね?」
と言ってやった。
あいつは、ぎゃはは、と笑った。
そして、
「あんたって時々そういうこというよねー」
と言った。
私は、今までただの一度も能動的に動いたことがないくせに、いつだってわかったふうな口をきいて、すべてを否定してばかりいる。
そんな卑怯さを見透かされているような気がして、ごまかすように、私も笑った。
コンビニで、彼女に教えられた雑誌をラックから抜き取り、ページを捲る。
そこには、家族と並んでほほ笑む彼女がいた。
それだけのことなのに、なぜだか、私は圧倒されてしまう。
あの日、「人と同じは嫌だ」といって、派手な配色と奇抜なデザインの服ばかりを買いあさった女は、いまや
「服は定番アイテムを数着だけ。賢く着回して、クローゼットはいつもすっきり」
などと言っている。
過去を引っ張りだして眺めることに何の意味があるのかと、卒業アルバムも買わなかったはずなのに、
「どんどん溜まっていく子ども達の作品は、思い出にパシャリ!
スマホで撮って、捨てちゃいます。
だって残しておいても場所を占領されるだけだし、写真の方がいつでも見返せるんですよ」
などと言う。
なんだ、おまえ。
誰なんだ、おまえは。
私は、私が知るかつての彼女の痕跡を探すためだけに、追い立てられるみたいに、誌面写真の数々と細かい文字のすべてに、隈なく目を通す。
そして、
――ああそうか。
と、突如理解する。
『書類やハガキ類は無印のケースにファイリング。
色が統一されて圧迫感もありません』
『お菓子と食料のストックは籠に入る分だけ』
『学校のプリント類は、所定の場所にクリップで留め、布カバーで隠します』
『めんどうなお掃除も、カレンダーに予定を書き込んで、家族のイベントにしちゃいます』
――同じじゃないか。
あいつは何一つ変わっていないじゃないか。
あるべき場所に、あるべきものだけしかない。
彼女が必死に作り上げた整然とルール化されたこの部屋には、家族以外の一切の他者を拒絶するような、そんな頑なさがあるように思えた。
「人と同じことしたくない」と言い、
「あいつらみてぇになりたくねーし」と言い、
他人を蔑むことでしか自分を認めてやれなかった、あの頃の卑屈さが。
形を変えて、そのまんま。
この部屋に充満しているだけのような気がした。
店を出て、「雑誌見たよ」と彼女に伝えるべく、私はスマホをバッグから取り出す。
けれど、なにひとつ言葉が生まれてこなくて、そのまま送信を諦めた。
――うちら親友よね。
かつて、彼女にそう確認されたとき、私は、
「知り合いと友人の中間くらいちゃうか?」
と否定した。
そのときもあいつは、
「なにうちらのこの温度差ー」
と言って、ばか笑いした。
私は、怖かったのだ。
あいつが、私の何に期待していたのか、
その理由がまるでわからなかったから。
いつか、それが勘違いだったと気づいて
幻滅されるんじゃないか。
そのことが、ただただ怖くて、
私はいつも、素っ気無い返事しか返せなかった。
あれから、時間はずいぶんと経過した。
相変わらず私たちの関係性は
「知り合いと友人の中間」
その程度。
それでも、この十年のあいだ、たがいを繋ぎ留めてきたものは、一体何だったのか。
その絆めいたものの正体について、いまの私は思い当たってしまう。
私たちは、互いのことを見下している。
私は、一度も社会に出ることなく、専業主婦になって久しい彼女のことを。
毎日毎日、夫と息子の世話ばっかりで、会社の人間関係の歪みも知らず、客や上司から理不尽な叱責を受けることもない。
今年の流行アイテムも知らなければ、たまに昔の友人とランチに行くことになっても、思い浮かぶ店はファミレスくらいしかない。
それが幸福なのだと、自分を納得させるみたいに。
あるいは、そうやって形にすることで、自分が幸福だと他人に見せつけるみたいに。
こんな主婦雑誌に応募しなんてして、なにやってんだ。
ばっかみたい。
あんた、世界も、視野も、狭くなっちゃってんじゃねぇの、と。
彼女は彼女で、この歳まで結婚もせず、女でありながら出産の痛みも知らない私のことを。
ふらふらと転職を繰り返すだけで、特別なスキルや資格を身につけるわけでもなく、抜きん出た才能があるわけでもない。
貯金額だけがわずかに増えてゆくほかには、何一つ得るもののない、ひとりぼっちの私を。
もはや、小学校にあがろうかという子どもがいても全然おかしくない年齢で。
世間の同世代の女性たちは、子どもの栄養バランスのために、人参をすり潰したり、ハート型にくり抜いたり、日夜涙ぐましい努力を重ねているというのに。
おまえは、いまだにタケノコ嫌いとか。
好き嫌い言ってんじゃねーよ、と。
互いを見下しあうこと。
それが、
確固たる、
薄っぺらな、
私たちの絆なのだ。
雑誌を見た感想をなんと伝えようかと、私は思いを巡らす。
なにか、
決定的な悪意の塊を。
オブラートに完璧に包んで、あいつに投げつけたくて、うずうずする。
私の底なしの悪意はきっと、オブラートの薄い膜くらい簡単に突き破って、あいつに届くだろう。
けれど、あいつは決して、私の言葉では傷ついたりしない。
私がそうであるように。
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