天地無用、混ぜるな危険
さて、コメント返しで自分で投げた布石を、自分で拾おうか。
noteにはときどき、やたら察しのいい人がいるので困ります。(ニヤニヤしながら)
そんなわけで今日は、大人の配慮を駆使してそういう設定にした、“架空の友人”の話をします。
久しぶりに会った架空の友人が、ゴミみたいな人生送ってたんですよ。
私が詳細を知らなかっただけで、彼もう十代の頃からちゃんとゴミだったっぽいんですけど。
周りに迷惑かけまくって。
その尻ぬぐいはすべて、出来のいい弟に押し付けて。
最近になって知った彼の愚行の数々を架空じゃない方の友人にぶちまけてたら、
彼女がこう言った。
「まあでもさ、その架空の友人にも、いろいろあったんじゃないかな。それに――」
「彼はまだ、ちゃんと、生きてるんだよね?」
――しまった。
一瞬、呼吸が止まる。
彼女もまた、ゴミみたいな兄を亡くしたばかりだった。
つまり彼女は、こう言いたかったのだ。
「どんなゴミみたいな人生を送っていようが、架空の友人はまだ生きている。生きているってだけで素晴らしいじゃないか。
ゴミはゴミなりに、リサイクルで再利用もできるしね」
彼女の言い分は、わかる。
わかるのよ。
やべっ、て思いましたよ。
でもさ……
生きてる人の愚痴に、死んだ人を被せてくるの、ずるない?
「でも死んでないじゃん」って言われちゃったら
もうそこで話は終わる。
これ以上、なんも言えん。
「死」は、無条件で同情を呼ぶ最強カードだ。
取り扱い注意。天地無用。火気厳禁。高温多湿を避けて保存してください。
どうしたって、こっちの分が悪い。
生きてる側=加害、鈍感、冷酷に見えがち。
私がどれだけ緻密に構成しても、どうせおまえらみたいなもんはこう言うんでしょ?
「『やべっ』て軽ない?」
「ゴミみたいな人生とか不謹慎じゃないですか?」
「でも死んでないじゃん」
善意フィルターに吸い込まれて、こっちを敵とみなすんでしょ?
ふざけんなよ?
私、いったい誰に怒ってんの。
でもね。
「でも死んでないじゃん」で片付けられたら、
生きてる側の苦しみは、正当な痛みも葛藤も、永遠に“マシな方”にされてしまう。
死者との対比なんて、そもそも成立しない。
それは、知らんユーチューバーと知らんユーチューバーの結婚のニュースに「世界では紛争が起きてるのに、素人の結婚報じてる場合か」ってコメントするヤフコメ民くらい、無意味だ。
それはそれ!これはこれ!
混ぜるな危険!
「死」を持ち出すのは卑怯だ。
そこには、悲しみの強度に序列をつける、無自覚の優越感がある。
でも――
それは、おたがいさまです。
私もまた、誰かの死を燃料にして、生を語ってる。
怒りによって、自らの生を証明している。
それは誰かにしてみれば「生きる側の無自覚の優越」であり、「卑怯」なのかもしれない。
それでも、生きている側は黙ってられないのだ。
言わずにはいられないし、書かずにはいられない。
大人の配慮爆弾を、そっと置かずにはいられない。
そして実際のところ
「生きてるんだよね?」と言われた私は、
一瞬止まった呼吸を整えた後、
「…だよねー!それでねー!」
って、かまわず続けた。
時間無制限1本勝負で、喋り続けた。
ああ、そうか。
やっぱ、生きたもん勝ち。おしゃべり勝ち。
*
丸一日抱え込んでいたもやもやを、でも吐き出せなくて、
もやもやしていたとき。
突如光った、東京ローカル岩男さんのコメント通知。
「使える」
と思いました。
おかげさまで、“大人の配慮”の“架空の友人”を登場させて、ためこんでいたものを吐き出せました。
ありがとう。
私の記事の細かな違和感に気づいてくれたこと。
そして、そこにちゃんと触れてくれたこと。
「関谷さんなら、何かありそう」と信じてくれたこと。
全部、めちゃくちゃ嬉しかったです。
信頼には信頼を。
私は、いまこの瞬間から、岩男さんのことを全面的に信頼します。
けれど、気負う必要はありません。
近づくのが一瞬なら、離れるのも一瞬。
noteで生まれる“わかりあえた”感情なんて、
絆じゃなくて一過性の発熱。
タイミングが合えば盛り上がるし、
ちょっとズレれば一瞬で冷める。
そんなもんです。
その直後の岩男さんの謝罪を受けて、私の熱は、すでに冷めました。
追い炊きしてよ。
そんな岩男さんのブスいじりの日常はこちら
願わくばすべてのブスを抱いて眠りたい(エッセイ ノンフィクション)
#岩男だけを笑わせたい
岩男を笑わせろ杯に参加するつもりが
思いが強すぎて岩男だけを笑わせたい杯に出てしまいました。
また間違っちゃった。
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