私には、「普通」がよくわからない。
私には、「普通」がよくわからない。
昔からよく、
「考え方、変わってるよね」
と言われてきた。
でも正直、
自分では何が変わっているのか、
あまりよくわからなかった。
私はただ、
目の前で起きたことを、
そのまま見ているだけだったから。
たとえば、結婚。
私は2度、離婚している。
それぞれの結婚で子どもがひとりずついて、
私は2児の母でもある。
そして今も、
どちらの父親とも仲良く交流している。
二人目の父親とは、
離婚したあとも一緒に暮らしている。
こう話すと、
「仲がいいなら、離婚しなくてもよかったんじゃない?」
と言われることがある。
でも私には、
「仲がいい」と「夫婦でいたい」は、まったく別のことだった。
男女としての関係ではない。
でも、人として大切。
子どもにとっては父親と母親。
そして私にとっても、ファミリー。
だったら、それでいいと思っている。
婚姻届があるから家族。
離婚したから家族じゃない。
私は、そうは感じなかった。
夫婦という形がなくなっても、
人としての関係までなくす必要はない。
逆に、
夫婦という形だけ残っていても、
会話もなく、
一緒にいたくもなく、
お互いが苦しいのなら、
「夫婦でいること」って、
そんなに大切なんだろうか。
と思ってしまう。
子育ても、少し違うらしい。
私は「子どもを育てている」という感覚が、
あまりない。
むしろ、
育ててもらっているのは私のほうかもしれない。
と思うことがある。
小さい頃から、
できることは一緒にやってきた。
2歳でも一緒にお片づけ。
洗濯物を畳むのもゲーム。
料理だって一緒にする。
もちろん、
遅い。
汚す。
こぼす。
上手にできない。
そうなると時間もかかるし、
2度手間以上。
忙しい毎日だとやってられないのかもしれない。
でも、
「やりたい」
と思っているなら、
その気持ちを止める理由が
私にはあまりなかった。
どんなにわたしが忙しくても、
時間がかかっても、
上手にやることより、
やってみたい楽しいと思ったことのほうが大切だった。
だから、
「子どもだからできない」
というのも、あまり考えない。
大人にだって苦手なことはあるし、
子どもにだって、
大人より得意なことがある。
もちろん、
生きてきた年数が違うから、
経験量は違う。
でも、
人間として見たら、大人も子どもも同じじゃない?
と思っている。
人間関係もそう。
誰かと意見が違っても、
「この人、嫌い」
にはならない。
あなたはそう考える。
私はこう考える。
ただ、それだけ。
誰かに嫌われても、
「私がダメだから嫌われた」
とは、あまり考えない。
その人は今、
私を好きじゃない。
それだけ。
一人でいるから寂しいとも思わないし、
友達がたくさんいることが
幸せだとも思っていない。
そして私は、
感情もなるべく混ぜない。
仕事で嫌なことがあった。
モヤモヤした。
それは、
仕事で起きた出来事に対して生まれた感情。
そのあと家に帰って、
子どもが何かをこぼした。
それは、
今、新しく起きた別の出来事。
さっきのモヤモヤと、
今の出来事は関係ない。
だから、
仕事のイライラを家まで連れてきて、
家族にぶつけることもほとんどない。
私はたぶん、
いろんなものを
「一緒にしない」のかもしれない。
離婚と、不仲。
恋愛と、家族。
嫌われることと、自分の価値。
意見の違いと、好き嫌い。
年齢と、できる・できない。
ひとつ前の出来事と、今の感情。
世の中では、
セットになっているものを、
私は勝手にバラバラにして考えている。
だから、
「普通はこうでしょ」
と言われると、
ときどき、
「それ、ほんと?」
と思う。
これは、
人間関係だけの話じゃない。
食べること。
美容。
健康。
年齢。
仕事。
夫婦。
家族。
子育て。
世の中には、
「こういうものだから」
で終わっていることが、
思っている以上にたくさんある。
もちろん、
私の考えが正しいとは思っていない。
あなたにも、
同じように考えてほしいわけじゃない。
むしろ、
「そんな考え方、私は嫌い」
でもいい。
ただ、
ひとつしかないと思っていた答えの隣に、
「こんな考え方もあるんだ」
と、もうひとつ置くことができたら。
それだけで、
誰かの心が少し緩むことも
あるんじゃないかと思った。
だから、このnoteを始めることにした。
答えを書くというより、
私がこれまで生きてきて感じた
「?」
を書いていこうと思う。
夫婦って、なんだろう。
家族って、なんだろう。
親って、なんだろう。
嫌われるって、なんだろう。
普通って、なんだろう。
私にはまだ、
わからないことばかりだ。
だから、
問い続けてみようと思う。
toi ― 問い。
これは、私のひとつの考え方。
あなたは、どう思う?
