記紀神話を”あり得る話”にしてみた
古事記を事実として読んでみることにしました
こんにちは、minatoです。
今日から「記紀神話を“あり得る話”にしてみた」の連載を始めます。
完全に個人的な考察ですが、楽しんでいただければ嬉しいです。
古事記や日本書紀は神話として読まれることが多いですが、
私はあえて 「事実の書」 として読んでみることにしました。
奈良時代の編纂者たちも、上巻については
「本当かどうか分からないが、こう伝わっている」
というスタンスだったのではないかと思っています。
だからこそ、口伝のまま書き起こした部分が多い。
一方で中巻以降は、ある程度“そうだと言える時代”に入り、
歴史書としての体裁が整っていきます。
なお、神名の細かい研究には踏み込みません。
そこは専門の方の記事を参照していただければと思います。
古事記を読む7つのルール
これは「私がこう読んでいきます」という基準であって、
読者に押しつける意図はありませんのでご安心ください。
また、これらは上巻に多く見られますが、中巻以降はあまり関係なくなります。
神名は個人名ではなく、世襲名・役職名として読む
時間軸は数百〜数千年に及ぶことがある
ストーリーは暗喩として読む
神名の音は時代ごとに変わっていると考える
物語の順番は必ずしも時系列ではない
口伝を知らないと分からない部分は割り切る
そして何より「事実と思い込んで読む」
古事記は、口伝を知っている前提で書かれているため、
ところどころ“暗号”のように見える部分があります。
この連載では、それをどう読み解くかを考えていきます。
古事記の世界観
記紀では 根の国・黄泉の国・常世の国 を明確に区別しています。
これは物語の価値観を理解するうえで非常に重要です。
また、天孫降臨を語る以上、実際には渡航できない場所を
“暗喩”として使っていると考えられます。
ここで一つ、私が気に入っている視点があります。
日本地図を逆さまにしてみてください。
大陸が地面、海が空中。
日本列島は葦や稲のように見えてきませんか?
(この発見、すごいと思ったら既に言われていたようですね…笑)
では、それぞれの国をどう読むか。
■ 根の国
日本列島の“根元”にあたる朝鮮半島と考えるのが自然。
■ 黄泉の国
古代中国語で「地中深くの泉」。
地中深く=大陸内部と読むなら、中原〜西域あたり。
イザナミ・イザナギが向かった先が西域だったと考えるとロマンがあります。
■ 常世の国
記紀内の描写から“南方の豊かな地”。
垂仁天皇の田道間守が橘を求めて渡った場所。
柑橘類の原産地が雲南省であることを考えると、
常夏の地域=南国というイメージがしっくりきます。
高天原について
以上の世界観を踏まえると、
高天原にあたるのは 玄界灘 ではないかと考えています。
古代では「天=海」と表現されることが多く、
玄界灘の海原こそ“高天原”と読むことができる。
つまり、玄界灘を取り囲む海岸地域全体。
当時は国境もないので、広い海域文化圏と考えるのが自然です。
では天照は?
玄界灘の巫女、海上を照らす祭祀者。
鏡は海上移動や港での合図に欠かせない道具。
そうした象徴性から鏡を重んじる集団だったのかもしれません。
最後に
ざっくりとした説明になりましたが、
この連載が「どういう読み方をするのか」を
まずはお伝えできればと思い書きました。
次回は「禊」と「誓約」の中間あたりから
具体的な考察に入っていきます。
4〜5日後に更新予定です。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。
では、次回お会いしましょう。
