【言ノ葉】いきてゆくということ
いきるということは、「我慢」をすることだと思っていた。
家族は、わたしを入れて5人。
ちゃんと覚えてる家族の形は、
父親は、土日しか会えないのに、呑み歩いていたし、
母親は、ご飯は作らず買ってきた惣菜を皿に乗せて出すだけ、
兄は、優しいけど歳が離れて働いていたし、
姉は、夜になると2階のベランダから抜け出して居なかった。
その時はね、それが当たり前だったから、
なにも考えず、ただ児童館に行って遊んで帰って、ご飯たべて、寝てた。
でもね、小2位から寝るのに2~3時間掛かって、
すぐ朝になる。
いつも保健の先生に(クマが酷い)って、言われ、朝礼ではよく倒れてた。
母親に連絡が行っても、(病院で待つの嫌でしょ)って、言われてたから「我慢」してた。
中学に入って、部活でイジメられても、「我慢」が身に付いていたから、イジメだと思ってなかった。
高校に入ってからは、両親が別居してたから、毎月、父親に養育費(学費、食費)を貰いに行ってた(振り込みにするならお金はださない)って言われてたから、電車乗り継いで「我慢」して通った。
もう、その頃から、眠剤飲んでた。
専門学校に入ったら、学費は払って貰えたけど、生活ができないから、「我慢」して夜働いた。
フリーターになってからは、鬱病になっていたけど、母親が田舎に帰ったので、頼るところがなくて、時給の良い深夜、歌舞伎町で働いた。(眠剤と鬱のせいで朝が嫌いになってしまったせいもある)
いつも、いつも、「我慢、我慢」
でもね、大切な人がいつも「応援」してくれたの。
その時のわたしは働くのに必死にで、伝わってなかったの。その時は。
失って、「応援」だったんだな。って、気がついたけど、もう、(ありがとう)って言えなかった。
しばらくは、救急車のサイレン聞こえると、泣いてたし、送ることの出来ない手紙をノートに書き留めた。
20代は、お薬の影響で、その子との事以外は、ほとんど覚えてないんだけど、その子とは、Fayrayが縁で出逢えたから、わたしはFayrayを応援していこうと思ってたのに、アメリカ行っちゃって。
今度は、一青窈ちゃんを応援するようになった。
歌い方とかも好きだったけど、デビュー当時の窈ちゃん、大切な人と顔が似てたの。重ねちゃって。。
窈ちゃんの歌詞は独特だから、めっちゃ勉強になった。
でも、ライブ中にパニック発作でたりしてしまったから、行かなくなった。
今のパートナーに出逢って、何人かライブ観に行ったけど、(楽しかったね~)止まり。
今回、おかあさんのライブには、感謝の気持ちを伝えるためと「応援」したくて行った。
でもね。
おかあさんのパワフルな歌声や振る舞いを観たら、逆に「応援されてた!」大好きな歌も優しく包み込むように歌ってて。涙涙
目の前で「応援」されると、こんなに嬉しいんだ!!と、初めての経験でした。
ちゃんと、伝わってきた気持ちのお礼をしないと!って思ったから。
わがままながらも、バグさせて頂きました。ってか、してもらいました。
昨日、先生にお会いした時も、高校時、支えて貰ったから、ご馳走したかったのに、ご馳走になってしまい、そして、わたしの夢を笑わずに「応援」してくれました!
東京いく前までは、(一生治らない病気が2つ、胃潰瘍に後遺症で手書きの手紙も書けなくなった。平均年齢考えたら、あと倍、生きなきゃいけないなんて辛すぎる。どこかで区切りを作ろう)って、考えてました。
でも、帰りの新幹線で、おかあさんの歌を聴きながら、2日間にあったことを思い返していたら
2人の「応援」が、わたしの何かを変えました。
いきてゆくということ、は
「応援して、応援されて」
「支えて、支えられて」ゆく事なんかな?
と、1つ大人の階段昇れた、気がした。
文字にすると、当たり前なことだけど、
ちゃんと、これから体現していきたいと思う。
