【言ノ葉】Step_for_45
母親がただの「女」になってから、
わたしには、家族はただの「お飾り」だ。
初めは、眠剤からのスタート。
だんだん、生きてることが辛くなって、
自分を傷め続けた。
タバコを腕に押し当て揉み消したけど、
痛みを感じなかった。
ただ、そのヤケドの跡が生きてる証に思えた。
働いてカウンターに立ってるだけで、
涙が止まらなくなった。
たまらなく、海が見たくて、その足で、江ノ島へ行った。
冬の江ノ島は、とても寒かった。
でも、なぜか最終電車まで動けなかった。
わたしは、人に涙を見せるのが恥だと思っていたから、無理やり笑顔なんて作って過ごした。
独りになると、涙が溢れる。
そんな時に現れた大切な人。
(泣いてもいい、弱音を吐いていい、苦しみをぶつけてこい。)
言葉にはしなかったけど、そうゆう人だった。
自分も幼い頃から、苦しんできたから。って。
初めてカッターで腕を切った時、凄く痛かった。でも、血が滴るのをみて、(これはわたしを創っているモノ)と思い、生きてる感覚になった。
カッターは痛いので、生きる為に高価なナイフを買った。
何十回も何百回も切った。
大切な人は、(いいんだよ、生きる為だもんね、死ぬ為じゃなきゃいいんだよ)って受け止めてくれた。
大切な人とは、毎日電話をした。
涙を流しながら、過呼吸になりながら。
でも、ある日、大切な人は、お空の人になってしまった。
大切な人はいつも(その気持ちを(詩)にしておきなさい)と言っていた。
大切な人を見送った後にスラスラ降りてきて書いたのが「優しい歌」だ。
頑張って働いた。
でも、頑張れなくなった。
(頑張れ)は、一番嫌いな言葉。
心臓が動いて、息をしてるだけで、もう、頑張る限界になっていたから。
(詩)を書く上での、わたし的ルールを創ってくれたのは、高校の卒業時担任だった、国語の先生だ。
授業勉強で教わったこと1つ。と後は授業のやわらかな雰囲気。
(詩)を書くことが自己救済になっていることに気が付いた。
でも、わたしは鬱病で、精神安定剤を飲む生活にどっぷり浸かってしまっているから、
(薬のせいで、この感性になったのか)
(薬のおかげで、この感性になったのか)
もう、わからない。
眠剤からスタートした生活が、今や、精神科に入院する程になっている。
だけど、(キャンサーギフト)だと思って、
これからも、(詩)を書くことは続けたいと思う。
(Step_for_45 )
45歳になるわたしへの(詩)でした。
踏ん張ろうね、わたし。
