自分を責め続けた13歳の私へ~大人になって知った「憧れの先生」のリアル
「どこまで行っても先生は先生だよね?」
自分に「甘い言い訳」を。 ~忍耐と我慢の境界線で迷子になっているあなたへ~
この記事の中で、ご縁が終わった幼馴染みの女性の話をした。彼女は教員をしている。
その彼女が、7年前に自身のびっくりエピソードを嬉々として話した出来事があった。
私は固まった。言葉を失った。
「嘘でしょ?そんなことってよくあることなの?」
「対象になるんだ。。。」
こんな風に思ったのを覚えている。
正直、先生にいい思い出がないワタシ
私の話になるが、恩師と呼ぶ先生には出会ったことがない。
中学生の頃、いわゆる回避型愛着障害が仇となり、先生と向き合えなくなっていた。
◉回避型愛着障害とは
**「親密になることを『心地よさ』ではなく『脅威(リスク)』と感じてしまう心理状態」**
担任(男性)の的外れな心配に苛立ち、クラスの女子と徒党を組んでその先生に反発した。
父親の影響が大きい。関わり方がわからなかった。
若気の至りとはいえ、私はお転婆だったと思う。だけど、まだ13歳だ。
実は、その背景には理由があり、
当時の我が家は、両親の離婚問題で修羅場だった。
毎日喧嘩が絶えず、母は家出。
私の心は荒んでいた。
私は誰にも知られないよう、自分のお弁当を自分で作って学校へ通っていた。
この時すでに私の心の土台はビビだらけだった。
そんな私を、学校の先生たちは「正論」で責めた。
家庭でも、自らの離婚騒動で精一杯の両親から、「面倒でやりづらい子」だと突き放された。
世間から見れば、それはただの「反抗期」だったのかもしれない。
けれど、毒親育ちの私にとっては、自己肯定感が粉々に砕けた「思春期危機」のきっかけとなった。
今思えば、それは大人たちの些細な外的要因に過ぎなかったのかもしれない。けれど、心の土台の脆い13歳の私にとって、ものすごい衝撃だった。
外的要因というひと吹きの風で、私の心の土台はあっという間に崩落した。
「どうしてこんなことをしたの?」と理由聞いてくれる大人は一人もいなかった。
ただ「正しさ」という棒で叩かれた。
そこから私の自己否定感は強くなり、自分を責めてしまったことから自我崩壊がゆっくりと始まっていく。
自我が崩壊しても誰も助けてはくれない。
受験生になっても、解離状態(心と体が離れてしまって自我が迷走状態)で勉強が手に付かず、成績は下る一方。
そんな自分を私は責め続けてしまった。
今なら思う。
「ごめんね。味方でいてあげられなくて」
あの頃の自分に謝りたい。
つくづく、
自分を責めないほうがいい と思う。
どんなことがあっても、
自分だけは自分の味方 でいて欲しい。
そんな時代も
あの彼女は私に寄り添ってくれた時もあったんだ。
学力の差があっても。
部活仲間と喧嘩しても。
「先生」という名の幻想が崩れるとき
罪悪感って何ですか?
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