おくり人〜栞〜|綴29 『 帰る。 …と、言うこと 』
※本作品には、葬儀に関する描写が
含まれています。
ご遺体、告別式、供花など、
死に関連する場面が登場します。
※本作品は創作です。
登場する人物、団体、施設、企業は
すべて架空のものであり、
実在する人物、 団体、施設、企業とは
一切関係ありません。
※本作品は、
毎週 火・木・土 更新予定です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
おくり人 〜栞〜
綴29『 帰る。…と、言うこと 』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
病室を出た時…。
栞はようやく呼吸の仕方を思い出したような
気がしていた。
閉じた扉の向こうには未保がいる。
点滴が付いていて顔色も良いとは言えない。それでも、生きている。
言葉を交わせたし、何より笑っていた。
それだけで十分だった。
胸を締め付けていた何かが少しだけ緩んでいる。
病室前の廊下。
窓の外から深夜の街灯が差し込んでいる。
白い壁に静かな病棟が…
やけに落ち着いて感じられた。
栞は小さく息を吐いて呟く。
「よかった……」
それは、誰かへ言った訳でもない。
ただ…零れただけだった。
神代朔は少し離れた場所で立っている。
夏帆は壁へ背中を預け…
煙草を吸えない代わりに飴を噛んでいた。
岩田は自動販売機で缶コーヒーを買っている。
どこか張り詰めていた空気が緩んでいた。
姉が無事だった。
それだけで十分な夜だった。
その時だった。
チンーー。
エレベーターの扉が開く。
続いて、慌ただしい足音が廊下へ流れ込んだ。
黒いスーツ姿の男性二人。
白い手袋でストレクチャーを押す。
看護師二人が横につき、早足で病棟の奥へ
向かっていく。
誰も騒がないし、誰も泣いていない。
けれど、その光景を見た瞬間。
栞の身体が僅かに強張った。
(あ……)
見覚えがある。
それは、館長と吉村。
そして自分。
病院の裏口から静かな廊下。
そして、白いシーツ。
老女の震える手。
あの病院での搬送。
あの日、栞達もこうして歩いていた。
……誰かを迎えに。
そして、最後を……送るために。
ストレクチャーは角を曲がり、
見えなくなる。
病棟は再び静かになった。
まるで何もなかったみたいに。
岩田が缶コーヒーを開けながら呟く。
「お迎えだな」
夏帆が頷く。
それだけだった。
特別な感情は、2人から感じられない。
ただ、栞は知っていた。
2人は冷たい訳ではない。
何度も見送ってきた人間の…会話だと。
栞は、その言葉を聞きながらストレクチャー
が消えた廊下を見ていた。
もし…もし、あれが――姉だったら。
胸の奥で何かが潰れる。
病室で抱き締めた感触…。
頭を撫でる手の温もり…。
優しい声……。
全部が一瞬で遠ざかる。
そんな想像が勝手に浮かんだ。
「……っ」
目の奥が熱くなる。
さっき泣いたばかりなのに。
また涙が込み上げてくる。
怖かった。
姉を失うことが。
……祖母の時みたいに。
もう二度と会えなくなることが。
栞は俯いて、目元を手で拭う。
そんな横顔を神代朔が見ていた。
少しだけ迷うように…言葉を探すように。
そして、小さく呟く。
「……きっと」
囁くような声に、栞が顔を上げる。
神代の声は相変わらず小さい。
けれど今は不思議と聞こえた。
「怖いのは……」
神代は廊下の奥へ視線を向ける。
「大事だった証……なんだと……思います」
病棟の静寂の中。
その言葉だけが、ゆっくりと栞の胸へ落ちていった。
レクサスの車内には、低いエンジン音だけが
流れていた。
高速道路を走って来た時とは違う。
誰も急いでいない。
フロントガラスの向こうでは、街灯が一定の
間隔で通り過ぎていく。
運転席の岩田は珍しく無言だった。
片手でハンドルを握り、前だけを見ている。いつもの軽口もない。
助手席では夏帆が窓を少し開けていた。
夜風が流れ込む。
煙草の先端だけが赤く灯り、吸うたびに
小さく明滅していた。
後部座席では栞がシートへ身体を預けている。
姉のこと…病院のこと。
そして、お迎えのこと。
安心したはずなのに、胸の奥はまだ少し重かった。
窓の外を眺めながら、小さく息を吐く。
その隣には神代朔が座っていた。
いつものように肩掛け鞄を抱え、
膝の上には古びた文庫本が置かれている。
けれど今は、本を開いていなかった。
神代は窓の外へ視線を向けたまま、
小さく呟く。
「……ギルガメシュは……
不死には……なれませんでした」
栞は、窓からゆっくり顔を動かして…
神代朔を見る。
栞と目線が重なり…
神代は少しだけ微笑んだ。
「でも……帰ったんです」
2人の間に、街灯の光が流れる。
その言葉だけが、静かな車内へゆっくりと
染み渡った。
「……帰ったって……どこに?」
栞が尋ねる。
今度は、神代朔が窓の外へ視線を移す。
「……分かりません。
分からないけど……ひとつの場所では…
無いと思います」
「……ごめん。
言っている意味……分かんないや」
「……そうですよね……。
僕も分かりません」
そう言って、神代朔は本を胸元へ抱え込んだ。
「…だから、僕は本を読んでいるのかも…
しれません。 知りたいから…」
彼は、窓の外を見たまま答えた。
そんな様子を眺めるていた栞も、窓の外へ顔を向ける。
景色が…街明かりが……ただ流れていた。
ふ〜っと、吐かれた煙草の煙が後部座席へ
流れる。
ほんの少し、いい匂いに感じられた。
レクサスは深夜の駅前ロータリーへ静かに
滑り込んだ。
エンジン音が小さくなり、やがて停まる。
車窓の向こうには、終電を終えた駅舎が
静かに佇んでいた。
岩田はシフトレバーへ手を伸ばす。
「着いたぞ」
「ありがとうございました」
栞が頭を下げる。
神代朔も小さく会釈した。
助手席の夏帆は煙草を指で挟んだまま、
窓の外を見ていた。
「お嬢ちゃん」
「はい」
「今日は、ちゃんと寝なよ」
「……はい」
「坊やもな」
「……はい」
岩田が笑う。
「またなー」
四人はそこで別れた。
レクサスのテールランプが遠ざかる。
夜の静けさが戻ってきた。
栞は小さく息を吐く。
その隣では神代朔が肩掛け鞄を持ち直して、
それから、少し栞を見て呟いた。
「……お姉さん」
「うん?」
「無事で……良かったですね」
栞は少し驚いた。
神代が自分から話すのは珍しい。
「うん。ありがとう」
それだけで会話は終わりそうだった。
だから栞は慌てて口を開く。
「あっ、そうだ。
LINE交換しない?」
神代は固まった。
少し困ったような笑みを浮かべながら言った。
「……理由を……聞いても?」
「理由?
今日さ、巻き込んじゃったじゃん」
「……」
「それに付き添ってくれたし」
「……」
「ちゃんとお礼したいから」
神代は視線を泳がせた。
そして、返事が出てくるまでに…少し時間が
掛かった。
「……分かりました」
渋々スマートフォンを取り出す。
栞は思わず笑った。
「嫌そうだなぁ」
「……そんなことは」
「そんなこと、あるでしょ?」
「……少しだけ」
二人はLINEを交換した。
「じゃあ帰ろうか」
栞が歩き出す。
神代も歩き出した。
しばらく進んだところで栞が首を傾げる。
「神代くん」
「はい」
「同じ方向なの?」
神代は少し考える。
「……たぶん」
「たぶん?」
「……はい。 たぶんです」
「何それ」
栞は吹き出した。
けれど神代は真面目だった。
結局、二人はそのまま並んで歩いた。
駅前を離れ、住宅街へ入る。
街灯が一定間隔で続いていた。
二人の影が長く伸びる。
近付いたり…離れたり。
栞の歩幅は少し大きい。
神代の歩幅は少し小さい。
だから…時々距離が変わる。
それでも不思議と離れ過ぎない。
会話はなかった。
栞は、無理に話そうとも思わない。
足音だけが夜道へ響いていた。
やがて見慣れた住宅街へ入る。
栞は立ち止まった。
「あっ」
神代も止まる。
「もう近くだから大丈夫。
あそこ曲がったら家だから」
神代はその先を確認するように視線を
向けた。
そして小さく頷く。
「……それじゃ」
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
神代は会釈し…そして踵を返した。
栞とは反対方向へ歩き始める。
街灯の下、肩掛け鞄と片手には古びた文庫本をもった彼の後ろ姿を見送る。
背中が少しずつ遠ざかっていく。
神代朔は一人で歩きながら、今日の出来事…
いや、日付けが変わっているので、正確には昨日の出来事を思い出していた。
よく分からないまま、合コンへ参加して…
成り行きで、病院へ行き…
気付けば、間宮栞の家の近くまで送って、LINE交換していた。
「……人の出会いって…不思議だなぁ……」
彼が呟いた、その時。
ブー。
ブー。
ブー。
スマートフォンが震えた。
神代は立ち止まる。
ポケットからスマートフォンを取り出し、
画面を見る。
LINEの通知が来ていた。
送信者は、『間宮栞』
神代は少し驚く。
スマホをタップするのを少し躊躇ったが…
意を決して、メッセージを開く。
開いた画面には…短く書かれていた。
『今日はありがとう
あと、ちゃんと家に着いたら教えてよ!』
夜の住宅街で、神代朔はしばらく画面を
見つめていた。
『ちゃんと家に着いたら教えてよ!』
もう一度、そのメッセージを読む。
そしてポケットへスマートフォンを戻した。
ふと空を見上げた。
七つの光が静かに並んでいる。
神代朔は手にした本を、そっと胸に抱き寄せた。
けれど今は、本の重さよりも……
ポケットの中のスマートフォンの方が、
少しだけ気になっていた。
「……帰るって……こういうことですかね」
答えはなかった。
けれど、その夜は少しだけ……
一人ではない気がした。
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