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6月の匂い

誰かに話すほどじゃないけど、
でも、誰かにちょっと聞いてほしい話。

僕の地元では毎年、6月のこの時期になると、米作りのために貯水池から田んぼへ水が
引かれ始める。
それまで乾いていた土に一斉に水が入ると、
その時にだけする『匂い』がある。

昔と比べて景色は少し変わった。
新しい家も増えたし、田んぼも少なくなった。
それでも、その匂いだけはずっと変わらない。

そして、毎年その匂いを嗅ぐたびに、
小学生の頃のことを思い出す。

「ねぇ、『おいしい水』飲んでみたくない?」

小学5年生の昼休みだった。
運動場の登り棒の一番高いところで、
友達の一人が言った。

今でこそペットボトルの水は
当たり前になったけれど、
僕の記憶では、当時はまだ珍しかった。

『六甲のおいしい水』という名前だった。

値段は300円くらい。

小学生だった僕たちにとって
300円は大金だった。
『ジャイアントカプリコ』と『パナップ』と
『ねるねるねるね』が同時に買えてしまう。

水の味なんて想像もつかなかったけれど、
その値段ならきっとそれらと同じくらい
感動するに違いない。
僕たちは本気でそう思っていた。

放課後、近所のスーパーに集合した。
一日のお小遣いは100円。
4人でお金を出し合って、
その『高級品』を買った。

レジを出たあと、誰かが言った。
「そーっと、揺らさん方がええんちゃう?」

今思えば炭酸でもなんでもない。
それでも僕たちは真面目だった。
4人とも自転車を押しながら、
できるだけ揺らさないように帰った。

向かった先は僕の家だった。
祖母に頼んでコップを4つ出してもらった。
そして、少し緊張しながら飲んだ。

・・・
普通の水だった。

台所の蛇口をひねった時に出てくる水。
井戸の水。
学校のウォータークーラーの水。

僕たちが知っている水と、
全く同じだった。

少なくとも、小学生の僕たちが
期待していたような感動はなかった。

でも今思い出すのは、水の味じゃない。

あの日
登り棒の上から見た景色はキレイだった。
そして、汗をかきながら自転車を
押していた時の空は驚くほど青かった。
僕たち4人は確かにドキドキしていた。

そのすべてが、今でも鮮明に残っている。

毎年、田んぼに水が入る匂いを
嗅ぐたびに思う。

あの日飲んだ水は普通だった。

でも、あの日そのものは、
少し特別だった。



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