体内時計のない夫と奏でるジャズな暮らし
夫と暮らして約10年。
毎日を、メトロノームのように正確に刻むのではなく、
ジャズのように暮らせばいいのだと思えるようになった。
一昨日のこと。
我が家は19時から家族で市民プールへ行き、帰宅して夕飯を食べ終えたのは21時だった。
娘たちはお風呂にも入らず眠ってしまった。
こんな話を10年前の自分にしたら、
「なんて不真面目な生活…不良か!」と呆れて叱っただろう。
一見すると穏やかな成人男性の夫は、日本で言うならウチナーンチュ、世界で言うならラテンの人。
地方の真面目な公務員家庭で育った私からすれば、宇宙人のような存在だ。
何が違うかといえば、時間感覚である。
彼の内側には“時計”がない。
19歳から一緒にいて、その気配には気づいていた。
けれど、親になっても変わらないとは思っていなかった。
例えば、長女が3歳の頃。
夫が仕事から帰宅した21時、長女が「パパと温泉に行きたい」と言った。
変な時間に昼寝をしてしまい、目はぱっちり。でも翌日は幼稚園がある。
夫は「いいねぇ、ばぁばの家から車借りられるし」と、
家から30分以上かかる大型スーパー銭湯へ出かけていった。
長女の昼寝を切り上げられなかった自分を責め、
寝かしつけの苦労を予測し、焦っていた私は、
肩透かしをくらいポカンとしたまま、0歳次女と留守番することになった。
結果、次女はすんなり眠り、
長女は車で眠って帰ってきた。
この日の深夜のドライブのことを、夫は今でも楽しそうに語る。
彼の中には時計がない。
代わりにあるのは「今やりたいこと」と「今できること」だ。
長女が夜眠れないなら、楽しいことをしよう。
妻がワンオペで煮詰まっているなら、娘たちと30分でも外に出よう。
彼といると、心に風穴があくような自由と可笑しさを感じる。
もちろん、時間に縛られない生活にデメリットがないわけではない。
昨日はプールの疲れが残っていたのか、今朝の次女は「まだ寝たい」と大泣きだった。
夫が預かり保育へ送る担当だが、今日は難しいかもしれない――
半ば諦めていた私の横で、夫は朝のシャワー時間を犠牲に、必殺YouTubeで次女の機嫌を取り始めた。
気づけば普段は食べない朝食まで一緒に食べ、二人はご機嫌で時間通りに出発していった。
世は大ルーティン時代。
朝から夜まで、効率よく仕事・家事・育児・自己実現を詰め込む生活。
そんなメトロノームのような、理想的な規律とは真逆の我が家だが、
社会生活に支障が出ない程度には、なぜか辻褄が合う。
(夫が力技で合わせているとも言う。)
やるべきことも、間に合わせるべき時間もある。
それでも私たちは、ジャズのようにテンポを伸び縮みさせ、
音符を変奏しながら暮らしている。
即興で曲を奏で続ける大変さはあるけれど、
我が家の毎日には、その瞬間にしか生まれない楽しさと自由がある。
人のまばらな市民プールで、家族4人、浮力に身を任せること。
プールの帰り、寒いねと言いながら暗い道を手を繋いで歩くこと。
私たちにしかない、美しいジャズの暮らしだ。
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