ミラノの柔道場|8歳のメモ
夫は小さいころ、柔道の道場に通っていた。
当時ミラノにあった講道館の名を冠する道場で、日本から師範として招聘されていたK先生のもとで稽古を積んだ。
残念なことに、10歳を過ぎたころ、怪我を境に柔道からは遠ざかることになってしまうが、今でも夫は道場、そしてK先生のことを懐かしく思い出すようだ。稽古の最初と最後の「礼」が特に好きだったといい、子ども心にそういった文化への敬愛の気持ちがあったのだと思われる。
本棚にはまだ、当時の武道に関する本がある。
「da cintura bianca a cintura nera(白帯から黒帯まで)」
多くの部分は柔道について書かれている。

さすがに図解ページには古さが。

柔道をはじめとする武道だけでなく、日本やその文化について紹介する部分も多い。

そして、ローマ字/かな変換表にも年代を感じる。というか、ちょっと古すぎるような気もする。1970年代にはすでに旧仮名遣いは一般的ではなかったはずだ。

本には、当時の夫が挟んだメモが残されていた。
上の表を参考に、伯父の名「Vittorio(ヴィットリオ)」と書こうと試みたのがこちら。なかなか挑戦的だ。

「ヴィ」の音を示す「V」がないため、「W」に置きかえて表を参照し、「井」としている。(正しくは「ヰ」と思われる)
さらに、小さな「ッ」の存在が知らされていないのは致命的である。
苦肉の策で「tt」を「toto」としたようだ。
メモにはこちら「柔道」も。
初めて見る漢字は、「込み入った図形」にしか見えなかっただろう。いい線いっているが「道」が惜しい、と思いきや……

別ページに筆字のこちらが。
こうして見ると、この「道」は一応忠実に書かれている。
こういうところは几帳面な夫(8歳)らしい。

*
20年ほど前、「K先生はどうしているだろう」と気にかける夫の様子を見て、講道館に問い合わせのメールをしてみた。事情を説明し「連絡先を教えていただくことは可能か」と。
先生は長い間ミラノで柔道の普及や指導に尽力されたあと日本に帰国。東北地方でイタリア料理店を経営されていたものの、お亡くなりになったとのことだった。
講道館からの返事には、「ちょうど今、イタリア在住の指導者の先生がお見えになったので尋ねました」とあった。K先生は絶妙なタイミングで消息を知らせてくださったのかもしれない。
イタリアへ柔道を広め、日本へはイタリア料理を紹介する。まさに日伊の架け橋として、大きな功績を残された。その地道で真摯な歩みには学ぶところが多い。K先生は、夫の師であり、私にとってもまた師なのだ。
