養成所の頃の話。【中編】
コンビを組んで、漫才ができる。
それがとても嬉しかった。僕たちは何度も何度もネタ合わせをした。僕は武蔵小金井。彼は小岩。その距離電車で片道1時間。順番でお互いの家に行こうと決めた。僕の家の近所の公園か、彼の家の近所の河川敷。そこが僕たちの、お決まりのネタ合わせ場所になった。
コンビと言っても、その関係性はさまざまだ。中でも多いのが、幼馴染や学生時代の友達とコンビを組んで、ふたりで一緒に養成所へ入学するパターン。一番羨ましいパターン。
そして、次に多いのが、養成所で出会い、そこで意気投合して仲良くなって、コンビを組むパターン。数年経ってから、仲良くなり始めの微笑ましいエピソードをラジオなんかで話したりするパターン。これも羨ましいパターン。
それに対して僕たちは、すでに書いた通りそういった王道パターンのどれにも属さない。流れに身を任せたままコンビを組んだ。お互いのことをほとんどなにも知らないまま。それだけではない。まず学年が5つ離れている。当時僕は27歳。爽やかな彼は21歳。
、、、にじゅういち?
小6の小1?高3の中1?ハタチの中2?計算合ってる?とにかくにわかには信じられない年齢差がある。
コンビを組んだ直後に、印象的だった会話がある。僕が、生まれてはじめて買ってもらったゲーム機は、スーパーファミコンだと言うと、彼は、ゲームキューブと答えた。げ、げえむきゅうぶ?スーパーファミコンとゲームキューブの間には、ニンテンドー64という、当時革命を起こし、後にロングセラーとなる伝説のゲーム機がある。僕たちのコンビ間には、ゲームハード丸2世代分の年齢差があった。ゲームハード丸2世代分も離れているふたりが、これから先、同じものをおもしろいと思えるんだろうか。
僕はとても不安になった。
繰り返すが、そんな僕たちは、お互いのことをほとんど知らない友達期間ゼロ日婚。だから僕たちは、急ピッチで仲を深める必要があった。お互いのことを知るために、すでに仲が良い同級生コンビと比べても遜色なく見えるように、なにより一日でも早くコンビに見えるように、ネタ合わせの日はそのままお互いの家に泊まることにした。
いや、違うな。たしかにきっかけはそうだった。でも、本当はそうじゃない。こんなこと今じゃ考えられないし、ここに書くことさえ気恥ずかしいけれど、あの頃の僕は、アイツと一緒にいるのが、ただただ楽しかった。
小岩の河川敷でネタ合わせをして、そのままアイツの家の近くにある銭湯へ行くのが楽しかった。ネコがいて、立派な電車のジオラマがある銭湯。そこでお風呂上がりにアイスを買って、食べながら帰るのが楽しかった。そのままアイツの家に戻って、一緒にサインを考えた。ノートを広げて「こんなんどう?」とか言い合ってた。それが楽しかった。アイツが慣れない手料理を振る舞ってくれたこともあった。グリルチキンとか。肉じゃがとか。初めて自分で買った調味料はクレイジーソルトだと言っていた。なんともアイツらしい。
僕の家の近所の公園でネタ合わせをしていると、雨が降ってきて、立体的なすべり台の中のトンネルで小さく丸まって雨宿りをした。そんなことが楽しかった。僕はいろんな料理を振る舞ったから、なにを作ったかはまったく覚えてない。よく一緒にスマホゲームの「荒野行動」をした。ゲームが始まると両手が離せないし、オンラインの待機時間も短いから、タバコを吸うタイミングが全然ないなーとふたりで笑っていた。人に話してもなにもおもしろくないのはわかっているが、これは今思い出してもおもしろい。
そしてもちろん、楽しいことばかりではない。
僕の家の冷蔵庫に、彼が紙パックの開封済みミルクティーを横向きに入れて、次に冷蔵庫を開けた時、庫内がミルクティーまみれになったことはもちろん一生許さないし、アイツの家の近所のネコ銭湯に初めて行った時、横で顔を洗う僕に、「小林くんて整形してる?」と本気で聞いてきたことももちろん許さない。
そしてなにより、「駅前に絶対連れて行きたい鉄板焼き屋あんねん!」とか「俺ん家模様替えしたから見てえや!」などとごたくを並べ、僕の優しさにつけ込み、僕が小岩へ行く回数を地道に増やしてきていたことも、もちろん一生許すつもりはない。
とにもかくにも、養成所生と、その養成所生が連れてきた謎の関西人外部生による、不思議な養成所生活が始まった。
養成所の授業は、前半が発声練習や座学など。そして後半はネタ見せ。彼は養成所生ではないので、授業を受けることはできない。だから僕は毎週前半の授業が終わると、近くの公園で待機している相方に「今終わったよ。」と連絡をして、ネタ見せだけコンビで参加する。といった流れだった。
そういった特殊な事情を受け入れてくれたのは、もちろん養成所のご厚意に他ならない。しかしルールはルール。授業料を払っていない者に授業までも受けさせるわけにはいかないので、彼は毎週、近くの公園で僕からの連絡を待つことになった。
季節は巡り冬が来て、ネタ見せにやってくる相方の唇は、どんどん紫色になっていった。それを見かねてなのか、1月後半あたりから、彼も前半の授業に参加することを認められた。周りの同期が不思議そうに相方を見る姿は、「となりのトトロ」で、さつきちゃんが通う学校にメイちゃんがやってきて、一緒に授業を受ける、あのシーンを想起させた。
急に現れた謎の関西人外部生。しかしそこは彼の持ち前の人当たりの良さと爽やかさで、こちらが驚くスピードで馴染んでいった。
在学中、年に5回定期学内ライブというものがあった。これは、養成所の講師の先生や、マネージャー、作家さんなど計7人の審査員の前で在学生がライブ形式でネタを披露して、順位がつけられる、というもの。ようやくコンビを組んだものの、僕たちはその学内ライブで、まったくといっていいほど結果を残せなかった。
最終的に、この学内ライブでは向井が5回中4回優勝することになる。そして、向井の動画に出演していた片山のコンビ、ペニーレインがその次に続くことが多かった。
僕たちは、最高順位が13位。
30歳までに売れるに決まってると本気で思っていた。「ついてこれる人だけ声かけてください。」と豪語していた。「お前みたいな泥舟には乗れない。」と言い放った。そいつが、念願のコンビを組んで、養成所のライブで30組中最高13位。圧倒的敗北。声も出ていない、ネタもろくに覚えてないようなコンビにさえ負けていた。情けなさと、恥ずかしさと、悔しさと、他にもいろんな名前のマイナス感情がこれでもかと身体じゅうを支配してくれた。
学内ライブ終わり。いつもの笑笑新宿西口店。自分よりも断然結果の良かった面々が、楽しそうに話している姿を見ているとき、彼らがどんどん遠い存在に見えてきて、「俺ってもしかして、芸人向いてないのかな。」と初めて思った。
そんな頃、スタッフとして手伝ってくれている1年先輩(7期)の方々と、雑談をする時間があった。ある先輩が言った。
「うちの事務所、養成所通ってないヤツは成績よくても所属できないよ。だからお前らは絶対事務所入れないよ。」
当時、太田プロの養成所は、3月にある卒業ライブと、同年9月にある最終判定ライブの、計2回のライブの総合成績優秀者数組が、晴れて所属となるルールだった。例年6組ほどが所属になっていた。僕たち9期生は、その時点で25組ほど在籍していた。そのうちの6組。狭き門。
そして、1年先輩の代で、とても面白くて成績も優秀な、コンビの片方が外部者のコンビがいたが、所属できなかったという例を噂には聞いていた。(それがのちにM-1グランプリ2024で決勝進出するママタルトさん。優秀過ぎるやろ。)
そんなに成績優秀な人たちでさえ所属できなかったのに、学内ライブで1桁の順位さえ取ったことのない僕たちが、所属なんてできるわけがない。
なにが夢だ。売れるどころか、そもそも事務所に所属することさえできない。夢の入口にさえ立つことなく僕は終わってしまうんだろうか。少しでも、もしかしたら俺だって芸人としてやれるかもなんて思ってしまった。勘違いもいいとこ。突きつけられた。まざまざと。
「お前なんかの来るとこじゃない。」
姿も見えないどこかの誰かに、そう言われてるようだった。
でも、諦めたくなかった。情けないけど。恥ずかしいけど。なにか方法はないだろうか。僕は考えた。今からでも相方に入学してもらえば、少しはなにか変わるだろうか。そんな思いで、僕は彼に電話をした。「今からでも養成所にお金払って、入学しいひん?」彼が首を縦に振ることはなかった。まあ、考えてみればそうだ。急に何十万のお金が工面できるわけでもないし、仮に入学したからといって必ず所属できるという保証もない。仕方ない。僕は「わかった。」と電話を切った。
でも、僕は彼と解散して新しい相方を探すつもりはなかったし、もう一度ひとりでやっていくつもりも当然なかった。このコンビで絶対に所属したかった。
あの一年は、振り返ればたしかに楽しかった。ここにいる全員が、お笑いが好きで、同じ目標に向かっていて。そんな空間にいること自体が楽しかった。学校の同級生とはまるで違う、『同期』という存在ができたことは、とても嬉しかった。
だから僕は書き始めた。
でも、書いていくうちに、無意識にフタをしていたあの頃の記憶の輪郭がだんだんはっきりとしてきて、苦しくなる。
自分の思い描いている現在地と、本当の自分の立ち位置がぜんぜん違うことを知って。思い知らされて。でもその事実を受け入れられなくて、でもその事実から目を背けていても刻一刻と時間は過ぎていって。なにをしたらいいのかもわからない。
武蔵小金井のアパート。ニトリで買った小さな楕円形のテーブルに、無印で買ったA4の黒いノート。なにも浮かばないまま白紙のノートをずっと見ていると、このままノートの中に吸い込まれそうになるあの感覚。そのままただ時間だけが過ぎて、しだいに時計の秒針の音がどんどんうるさくなる。
東向きのアパートに、まったく遮光性能のないカーテン。いつも眩しくて目が覚める。楕円形のテーブルにいつの間にか沈んでいた重い体を持ち上げる。最悪の朝。
思い出してきた。つらかった。楽しかったのももちろん嘘じゃないけど、それ以上に、やっぱりつらかった。どんどん思い出してしまった。そうだった。
ずっと焦ってた。
ずっと悩んでた。
ずっともがいてた。
ずっと、しんどかった。
卒業までの時間は、もうほとんど残っていなかった。
