【何者かになろうとするほど、今を生きることから遠ざかっていた #3】
ある日、私はシンプルで、だけど衝撃な事実に気づいてしまった。
「私、普通にもう幸せじゃない?」
家族もいる。
健康もある。
暮らしも穏やか。
人間関係にも恵まれている。
昔みたいに、人生が詰んでる感じもしない。
なのに私は、
「もっと感性を開きたい」
「もっと幸せを感じられる自分になりたい」
と、“理想の状態”を追いかけることで、
また「今」を後回しにしているのでは?
その時わかった。
私はずっと、形を変えながら同じことをしていたのだ。
昔は、
「成功すれば満たされる」
「特別な何者かになれば幸せになれる」
と思っていた。
そして今は、
「感性が開けば」
「本来の自分に戻れば」
「瞑想して完璧な自分になれば」
人生が始まると思っていた。
でも、その根っこにずっとあったのは、
多分「無価値感」だった。
今のままでは足りない。
価値ある存在にならなければ。
意味のある人生にしなければ。
癒しで克服したと思っていた上記の焦燥感は、
形を変えて、
マインドフルネスや瞑想にも、
自己探求にも、
癒しにも、
スピリチュアルにも、
いつの間にか「完璧な私プロジェクト」を持ち込んでいた。
何かを生み出せた時だけ価値がある。
誰かの役に立てた時だけ意味がある。
やりたいこと、使命がある人生だけが特別。
無意識に、そんな世界で生きていた。
好きなことが見つからない、
やりたいことが見つからない、というのも
自分の無価値観を消すための好きなことがみつからない
社会的にもちゃんと認められるようなやりたいことが見つからない
だけだった。(そりゃ見つからないわ)
何者かでありたい → 安心したい
役割がほしい → 自分を確かめたい
意味がほしい → 不安を止めたい
でも最近ようやく、
この
「ただ存在しているだけで価値がある」
を頭ではなく体感で感じ始めている。
(知識や理解では何年も前から知っていたはずなのに!)
そして先日起こったこの感覚↓↓
この記事のように、
内側の平和が圧倒的に広がる感覚を経て感じるのは、
「焦りが全て消えた」というより、
“何もしていない自分”に、
前ほど耐えられなくならなくなった
という感じ。
例えば、今までの私は、
何も生産していない。
役に立っていない。
形に残っていない。
評価されていない。
そういう状態にいると、
まるで自分の存在価値まで薄くなっていくような感覚があった。
だから常に、
何か意味のあることをしようとしていた。
学ぶ。
癒す。
発信する。
成長する。
変わろうとする。
一見“前向き”に見えるその行動の奥には、
「今のままでは足りない」
という、静かな前提が無意識に存在していた。
(繰り返すけどこれも頭の中の知識では
数年前から十分理解していた!!笑)
でも、その日“焦燥感”が圧倒的に静かになった時、
初めて、
ただ生きている時間が、
自分に流れているのをとても穏やかに感じた。
何かを達成している時だけじゃなく、
ぼーっと窓の外を見ている時間も、
子どもとくだらない話をしている時間も、
スーパーに向かう道も、
疲れて何もできない日も。
全部私の大切な人生の時間。
前の私は、
人生を“意味のある瞬間”だけで
作ろうとしていたのかもしれない。
なんて息苦しい生き方だったんだろう。
そして
そんな風にして生きながら
自分を一生懸命守っていたんだと思う。
無価値な自分に耐えられなかったんだよね。
だから沢山の思考をぐるぐると巡らせて、
意味のあることに夢中になって
動き続けていたんだ。
ここからの人生は、
自分の命をもっとゆったりと味わいながら
また違う人生の質を生きてみたいし、
それを楽しみたい。
過去の自分にもありがとうと言いたいし、
これからの自分を楽しみにいたいと思う。
