銀河鉄道
「ほら、あそこに茶色い星が見えてきただろう」
頭の上で声が聞こえて、僕は顔を上げた。
そこには真っ黒いマントをかぶった背の高い男が立っていた。
銀色の髪を後ろで束ね、立派な口髭を生やし、裾からは金ぴかのブーツが覗いている。
どこかの星の王様かな。
そう思ったのは頭の端っこに、申し訳程度の小さな冠がのっかっていたから。
その王様のような人は窓の外に目をやったまま、さも当たり前のように僕の前に腰を下ろすとフカフカとした背もたれに寄りかかり、もうずっと前からそこに座っていたかのようにくつろいでいる。
「そこは僕の恋人が座る席なんです」
そう言おうとして、やめた。
本当は、座る『かもしれない』席だ。
僕が黙っていると、その人はこっちを見ないまま静かに言った。
「あそこは昔、水の惑星と呼ばれていたんだよ」
独り言なのか、僕に言っているのか分からない。
おかしな人だな。
そう思ったけれど、やっぱり僕は黙っていた。
僕らを乗せた列車は、今、地球という星の横を通過しようとしている。
王様は窓の外に目を向けたまま動かない。
その瞳は外の景色を映しているようでいて、遠い記憶を辿っているようにも見えて、そこから何を考えているのかを推し測ることは難しかった。
どうしていいか分からなくなって、僕はボロボロになったガイドブックの地球というページを開いた。
「砂の惑星、地球」とある。
何度も読んだから暗記してしまっているけど、膝がぶつかりそうなほど近い距離にいる、この知らない男との沈黙が居心地悪くて、もう一度説明文を目でなぞった。
太陽からの平均距離:1億4,960万km
大きさ(赤道半径):6,378km
質量:5.974×1024kg
公転周期:365.257日
自転:なし
何万年も前に自転することをやめてしまった死の惑星。
そこに生命や水が存在していた証拠は残っていないと書かれている。
だけど、僕は『水の惑星』という響きになんとなく惹かれていた。
一体この人は、なぜこんなことを言うんだろう。
もう一度よく観察してみようと思い、視線を上げると王様と目が合った。
じっとこっちを見つめてくる。
その瞳があんまり悲しい色をしていたから、僕はなんだか苦しくなって目を逸らしてしまった。
すると王様はマントの内側から一枚の緑色をした小さな薄いカケラを取り出し、僕に差し出した。
それはガラスのようで、鉄のようで、うっかり滑らせると手を切ってしまいそうなほど、断面が鋭かった。
そして、軽くてとても頑丈だった。
端っこには小さな穴が開いている。
「ドラゴンの鱗だよ」
王様はそう言ってまたマントの中に手を入れると、今度は中から瓶に入った牛乳とキャラメルの箱を取り出した。
苦労して紙のフタをこじ開けると、ぐいっと一気に半分飲んでしまう。
魔法みたいだ、と思った。
あのマントからは何でも出てきそうだ。
王様はキャラメルを1つ僕にくれると、窓の外で鈍く光る茶色い星を見つめながら誰に話すでもなく、ゆっくりと歌うように語り始めた。
僕は、その人の話を聞くことにした。
キャラメルをもらったからじゃなくて、ただ列車に揺られていることに退屈していたから。
もう思い出せないくらいの長い時間を、こうして一人で座って過ごしていた。
王様の声は低くて、昔どこかで聞いたことのあるような懐かしい響きだった。
その声に、じっと耳を傾ける。
さっきまでの居心地の悪さは、何処かへいってしまったようだ。
列車は地球の脇をゆっくりと通過してゆく。
恋人のいる星までは、まだ遠い。
昔 昔 広大な宇宙のはずれ
果てなく広がる 砂漠の星に
小さな 小さな 国があった
深い森と清流以外に何もない 貧しい国だった
その星で 最後に残った たったひとつの国だった
そこに住むのは1000人の人間と 1匹のドラゴン
ドラゴンは人間に それは それは 恐れられていた
ドラゴンを見た者は いない
それでもドラゴンは 恐れられていた
ある日一人の男が 森の奥深く迷い込み
帰る道を見失い 彷徨っていた・・・
辺りは夕闇 何も見えず 靴は擦り切れ 藪を進む
どれくらい歩いたことだろう 男はついに天に祈った
「あぁ 神でもドラゴンでもいい どうかどうか助けてください」
その時 天に雷鳴轟き 一匹のドラゴンが現れた
山のように大きな体 鋭い爪に真っ赤な舌
男は恐ろしさのあまり気を失い 街の外れで助けられる
熱にうなされ 三日三晩
男は三つの 夢を見た
自分を助けた ドラゴンの
自分を食らう ドラゴンの
この国を食らう ドラゴンの
生死の境を 彷徨ったのち ようやく目を覚ます
やーやー みんな 聞いとくれ
男は広めた ドラゴンの話を
それは それは 恐ろしい ドラゴンの話を
人々は 手に手に松明を持ち 森へ向かう
脅威となるドラゴンを 退治するため 森へ向かう
燃える 燃える ドラゴンの森
上がる 上がる 紅蓮の炎
全てのものを焼き尽くし 国に平和をもたらすように・・・
森は跡形もなく焼け落ちて 国に平和が訪れた
それからまもなく清流の 水は枯れ果て 星は滅んだ
恐ろしいドラゴンよ おまえは本当にあの森にいたのかい?
今では 誰にも分からない
ずっと昔の ドラゴンの話
語り終えた王様はしばらく考え込んでいるようだったけど、思い出したように残りの牛乳を飲み干した。
口髭に白い泡がつく。
自分に髭があることを忘れているみたいだ。
僕は少しぼーっとした頭で、手のひらの中で光るドラゴンの鱗を見た。
そして、分からないものに怯えて、自分の星を滅ぼしてしまった人たちの顛末を考えていた。
彼らは水の枯れた砂の星で、どんなことを思って最後の時をむかえたんだろう。
王様はそんな僕を黙って見つめていたけど、次の星に到着すると僕から鱗を大事そうに受け取り、列車を降りた。
そして、いつまでも手を振って見送ってくれた。
王様の姿が見えなくなると僕はぺったりと窓に顔をつけて、さっきもらったキャラメルをなめながら、もうずっと遠くに離れてしまった地球の姿を眺めた。
振動がおでこから伝わってくる。
ほんの一瞬、青い光が見えた気がした。
気がつくと、眠ってしまっていた。
ひどく喉が渇いている。
売店のある車両まで行き、缶コーヒーに手をかけたけど、思い直して牛乳の瓶をとった。
お金を払おうとして、飲み物のガラスケースの上に緑色のキーホルダーが乱雑に積まれているのに気がついた。
それはさっき王様が見せてくれたものにそっくりだった。
「これ、なんですか?」
と売店のおばさんに聞くと
「Tタウリ型星Hen3-600Aの鉱物で作ったペーパーナイフです」
と、言い慣れているのか難しい名前をスラスラと言う。
「なんだよ・・・」
思わず笑ってしまった僕を、おばさんは不審そうに見ていたけど
「じゃあ、これも一つ下さい」
というと
「危ないから気をつけて持つんだよ」
と言って、そっと手のひらにのせてくれた。
僕はお礼を言って席に戻ると、手を切らないように気をつけながらキーホルダーからチェーンを外してシャツのポケットの中にしまった。
列車は心なしか速度を落としたようだった。
僕は頭の中でさっきの話をなぞりながら、鱗を手にのせた君の顔を想像していた。
ガイドブックで、この先に数多く点在する死んでしまった惑星の位置を確認する。
王様のように、うまく話せるだろうか。
「まもなく次の星に到着します」というアナウンスが車内に流れた。
もうすぐ、君の星に着く。
